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事実証談 神霊部(上) 19~22 各地、しゃぐじの杜(もり)の崇り



(遠江国一宮、小国神社の「飯王子社」)

事実証談 神霊部(上)第19話から第22話までは、各地に残る、しゃぐじの杜(もり)の崇りの話である。

第19話
同郡太田郷の杣人武助という者、粟倉村社宮子の杜の木を伐りべかりしに、その日伐り終らず、翌朝、又伐らんとて、行き見るに、一夜のうちに、昨日の伐り口癒(い)え合いて有りし故、畏き事に思い、粟倉村文殊院という修験に祈願を頼みて、札守りをかの杜(もり)に収めしといえり。

第20話
同郡天宮村、市兵衛という者、天宮郷薄場村の山にて、松の木を伐りしに、その日伐り終えずして、翌日なお猶伐らんと行きしに、切口もとの如く癒(い)え合たりし故、怪しみて伐る事止めしと言えり。又粟倉村の何某、同村なる社宮子の杜の木を伐りしより、口曲がりたるも、上にいえる文珠院の父、仲條院の祈願にて、速かに直りしと言えり。これは安永年中の事なりとぞ。

第21話
榛原郡地頭方村、勘兵衛、幸八という者両人とも、十五、六歳の頃、山の神の辺なる草を刈るとて、勘兵衛はその事を山神に断り申して刈りけるを、幸八嘲けりたりければ、その者の口、忽ちに曲りたりし故、和し祭りければ、大方は直りしかど、猶いさゝか曲りて、文化五年五十二歳にて、なお然りと言えり。
※ 和す(なごす)- 柔らげる。穏やかにする。

第22話
佐野郡尾高庄、五郎右衛門という者の妻、社子師の杜の辺にて草刈りけるを、人皆社宮子の杜のわたりなる草をば、忌みて刈らぬ習いなりというを、かの妻言いけるは、草刈りたりとて何事か有るべきと、社子師の杜の草刈りければ、忽ちに口曲りたりける故、崇りなりと和(なご)し、祭りたりければ、少しは直りしかど、それより口曲りて今に然りと言えり。


崇りで口が曲るという話が続いたが、病だとすれば脳梗塞のようなものだろうか。「しゃぐじ」から「斜口」で、「口が曲る」という症状が連想されたようにも思う。もちろん、個人的な思い付きであるが。脳梗塞のように、突然に襲われる病は、崇りとでもしなければ理屈が付かなかったのであろう。

小国神社の境内に「飯王子社」という小祠があると、ネットで見付けた。7月28日に現地へ行ってみた。小国神社の鳥居の前には、「ことまち横丁」という商業施設が出来ている。伊勢神宮の「おかげ横丁」を真似たものなのだろうが、神霊スポットブームにも乗って、この暑さにも関わらず、駐車場はいっぱいで、カキ氷の店など行列が出来ていた。後から考えるとその日は日曜日だった。「飯王子社」は「ことまち横丁」のすぐそば、鳥居を潜った左手の山の斜面にあった。近くをたくさんの参拝客が通るけれども、関心を寄せる人はいない。

ネットの由緒では、昔、遠州横須賀で、旱魃や長雨で五穀稔らず、住民は遠江国一宮に詣でた。豆を捧げたところ、村長の霊夢に「端殿を横須賀の方に向け、保食神を飯王子社と称へ奉らば五穀稔らむ」との神託を受け、社殿を横須賀の方に向けて祭ったところ、以来、不作が絶へたと伝わる。2月15日の祭りに上げた大豆を、馬や牛に与えれば災いなく無病に育つとも伝えられる。

この「飯王子社」の振り仮名が、「いいおおじしゃ」となっていた。縄文時代の狩猟、採集の神であったはずが、弥生時代以降の農耕の神になっている。おそらく「飯王子」という当て字されたことから生じた、誤解ではないのかと思う。誤解されても、その祈りを受けてしまう「しゃぐじ」の杜の神の大らかさが面白い。
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