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事実証談 神霊部(上) 18 周智郡天宮村、しゃぐじの杜の崇り



(裏の畑のブルーベリーの収穫、7月27日)

事実証談 神霊部(上)第18話は周智郡天宮村のしゃぐじ(飯王子)の杜の崇りの話である。

周智郡天宮村に飯王子(しゃぐじ)の杜(もり)(或は社宮子又左軍師、左口神、赤口神、六狐、また夜川十五七百村なるは社子神と書けり、未詳)とて、雑木生い繁りし杜有り。
※ 夜川十五七百村 - 周智郡にかつてあった村

寛政年中、ある老婆、かの森の枯れ枝を取りて薪とせしに、それより眼かすみて、瞽(めしい)の如くなりしゆえ、飯王子杜の崇りなるべしと、天宮の社人、乗松衛門という者に乞いて、祈願せさせたりければ、廿日余りかすみたりし眼の、忽ち明らかになりしは、誠にかの崇りなること、著しくぞ有りける。

すべて飯王子の杜というは、山里に数多あれども、祠のある所は、おさ/\見えず。多くは楠の木をしるしとし、諸木生い繁げれる杜のみなるが、萬ずに付きて、崇り有る事、いち早き故に、速かに崇る事をば、世の諺に「社宮子の罰」と言えり。
※ おさおさ - ほとんど。まったく。


飯王子の杜の神とは、日本にまだ稲作が伝わって来ない以前、狩猟と採集でかてを得ていた時代(縄文時代)から、日本の杜にいる神であるといわれる。文字のない時代の神だから、日本に文字が伝わってから、様々な文字が当てられて、200種類以上の書き方がされ、その属性も地域によって様々である。ないがしろにすると、崇りを起こす神様で、縄文の神とか、狩猟の神とか、山神、測量神、樹木の神とか、その信仰も様々である。「しゃぐじ」に接頭語「み」を付けて、「みじゃぐじ」と呼ばれることもある。

多くの場合は、社殿や鳥居もなく、野原の真ん中の数十センチの自然石に、しめ縄を巻いたりして、「しゃぐじ」を拝む場としたり、また、毎年、山の小枝で山中に小さな社殿をつくり、ここに「しゃぐじ」を祀る地域もある。本州中部に多い信仰で、山梨や長野には特に多い。現代でも、山仕事をする人たちは、しゃぐじに山の幸を頂くことを断り、作業の安全を祈る。

6月8日の当ブログで、「ヤシャビシャク」の話を書いた。「ヤシャビシャク」を手元に置く効用として、「昔は猟師が、縁起物、あるいは神が宿ると考えたのか、狩にでる前に庭に植えたヤシャビシャクに、ちょっと手を合わせて出かけると、良い猟が出来る」という伝聞を書いた。「ヤシャビシャク」は夜叉柄杓と書く。柄杓は杓子(しゃくし)とも言い換えられるから、「しゃくし」から「しゃぐじ」が連想されて、人目に付かない高木の上で密かに生える「ヤシャビシャク」が飯王子の杜の神の化身とされて、祈りの対象になったのではないか。まったく個人的な想像であるが、どこかの民俗学者がそんな話を書いているかもしれない。
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