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あっくんのお宮参り

(大井神社拝殿内)

今日はあっくんが生れてちょうど1ヶ月、朝から向こうのお母さんが合流して、大井神社にお宮参りに出かけた。その前に、写真館で記念撮影する。まーくんのときもそうだったが、撮影の段になって寝てしまった。写真館の人が鈴を鳴らしたり、足をくすぐったり、身体をゆすったりしたが、眼を開けない。これだけ周りが騒がしいのだから目が覚めないはずはないと思うのだが、目を開けると大変なことが起ると思ってでもいるように、眼を固く瞑ったままで、プロの写真館の人も諦めた。兄弟して目を瞑ったままのお宮参りの写真になった。

まーくんはチェックの半ズボンに黒いチョッキと黒い靴を履いて、ズボンと同じネクタイまで付けて、しゃれていた。撮影後、車にまたがったまーくんの姿を、写真館の人がポーズを付けてたくさんとってくれた。あっくんの目を開いた写真が撮れなかった言い訳なのかもしれない。

2歳1ヶ月のまーくんは言葉を覚えるのが速くて、帰りの車の中の、大井川の橋のしばらく手前で渋滞に入ってしまった。まーくんは車のスピードが緩んだのを見て、「渋滞だねぇ」といった。女房と二人でびっくりした。

誰も教えたわけではないという。たまたま何度か国一で渋滞に巻き込まれることがあって、チャイルドシートからしっかり観察していて、大人の口から洩れる「渋滞」という言葉が何を指しているのか、理解してしまった。

意味もなくオウム返しにしゃべることでもむずかしいのに、渋滞がどういう意味で大人は使っているのか、回りを観察して理解し、同じ状況が発生したときにその言葉を使ってみる。その一連の過程がたった2歳の子供に出来るのである。

よく言えたねぇと大人に誉められて、家に帰るまで渋滞を連発していた。あとで、父君に話すと最近は信号も理解して、信号が赤になると止るように、運転している父親に言うのだという。大人は幼児に幼児言葉を使って話しかけるが、もう幼児言葉は要らないなあと、女房と話しながら帰った。

そういえば、最近まーくんの鋭い視線を感じることがよくある。じっと観察する眼には、大人がとっくの昔に失ってしまっている、世界のすべての事象に可能な限りのアンテナを伸ばす、あふれんばかりの感受性があった。「三つ子の魂、百までも」というけれども、60歳でブログを始めたときに、自分が思い出した好奇心はこの気持だったのだろうと、今思う。

まーくんは最近、「今、何時?」と大人を捕まえて聞く。同じ時にパパにもママにも、じいじにもばあばにも聞く。何も教えてはいないが、今に時計も読めるようになるかもしれない。ちなみに、保育園や幼稚園の時計はデジタル時計ではなく、アナログ時計だという。子供は形で何時かを覚えてしまうのだろう。
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