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入会訴訟の「内済取替せ規定」

(大雨から半日経った大代川)

そう遠くない昔、日本では平地に一面に田圃が広がり、豊かな農村に見えても、田圃だけでは人々の生活は成り立たなかった。生活には煮炊きの薪が必要だったし、牛馬には秣(まぐさ)が必要で、その他、建築材料、肥料や山菜など、様々なものを得るために、人々は山に入った。その山に最も近い村が「地元」または「山本」と呼ばれて、山の管理をしていたが、「地元」だけではなく、近辺の多くの里村がその山に入り、必要なものを採取することが慣習として許されていた。これを入会(いりあい)と呼ぶ。入会については古来頻繁に出入(訴訟)があり、多くの村々が入会の権利についての争いごとに加わった。

昨日の古文書解読基礎講座では、靜岡の丸子で起きた入会出入の取替(とりかわ)せ規定(ぎじょう)が課題となった。以下に解読した書き下し文を示す。

    別紙取替せ規定の事
去る文久元(酉)年八月、丸子野山入会場、故障出入り差起り、紺屋町御役所へ出訴中、扱人立入り、翌(戌)年十一月、示談に及び候らえども、その後、字芹ヶ谷、立ヶ谷弐ヶ所の儀、行違い再論に相成り、去々(子)年中、鎌田村より地元へ相懸り、紺屋町御役所へ出訴奉り候ところ、御利解の趣、双方服し兼ね、示談不行届、去(丑)十二月願書御下切りに相成り候につき、なお又今般鎌田村より寺社御奉行所様へ出訴奉りたき旨、領主添翰申請け、江戸出立相成り候ところ、引き留め置き、石部村嶋惣八外五人立入り、双方へ掛合いの上、内済塾談相整い候、趣意左の通り
一 鎌田、寺田両村の儀は、右山地の内、切畑役米六斗五升相納め候場所これ有るを以って、前々の通り総体入会、秣、柴、下草刈取り、並び枯れ落ち候枝葉など拾い取り致すべく候事
前書の通り取決め候ゆえ相違無く御座候、これまで申し争いの廉(かど)は扱人貰い請け、すべて去る文久弐(戌)年十一月済口証文面に基き、何事に限らず、不実意これ無き様相互に睦み合い、内済塾談仕り候上は、向後少しも申し分御座なく候、これにより後日のため、双方並び扱人一同連印、取替せ一札件(くだん)の如し
(以下双方並び扱人の名前と印が並ぶが省略)

「扱人」は仲裁人。「去々年」は一昨年。「下切」は却下。「添翰」は添えた文章、手紙。「切畑」は、山腹や林などを切り開いて新しくつくった畑。「廉(かど)」は、ある事柄の原因・理由となる点。「済口証文」は、和解の内容を記し、双方が連印した文書。

一度は示談になったことが、部分的に再燃して再び紺屋町御役所で訴訟になった。お役所から見解が出たが、双方とも不満で示談ならず、御役所からは却下された。それならば江戸へ裁定を仰ぐべきと、出訴へ出発直前に、隣村の名主たちが仲裁役に入って(扱人立入)、和解(内済熟談)が漸く整った。そういう内容である。
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