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「参宮留守見舞状」

(庭のサルスベリ - 今年は花盛り)

本日、当家の人口は三家族10人、車が6台、前の農道にまではみ出している。酷暑もあって暑苦しさがひとしおである。昼食はソーメン、15束茹でたが7人の大人では少し物足らなかったようだ。午後は雷雨を期待したが、雲の気配もなくて、残念であった。快晴なのに空気が少し濁って見えるのは黄砂か噴煙の影響だろうか。

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木曜日の古文書解読講座で解読した、もう一つの文書を書き下し文で示す。

参宮留守(留主)見舞状
使札をもって申し上げ候、いよいよ御安康御座なされ目出たく存じ奉り候、然らば御両所様御儀、御参宮なされ候由、御門出(首途)も存ぜず候いて、御見送り(見立)も申し上げず候、まずもって、この頃は天気続きよく、道中さぞ(嘸)賑わい申すべくひとしお(一入)の御慰みと御うらやましく(浦山敷)存じ奉り候、随って些少ながら粗肴(麁肴)一折り留守中御見舞い(尋問)のしるし(証)まで、お目に掛け申し候、かつ又、相応の御用候わば承り申すべく候、まずは右御意を得たく、かくの如くに御座候(如此御座候)、以上


古文書の中には参宮や寺社詣でなどの記録も多く見かけるが、これは参宮の留守宅に出した見舞状である。見舞いといえば、病気見舞い、火事見舞いなど、降りかかった災難に対して、慰めたり、安否をたずねたりすることと理解していたが、留守見舞いとは新しいジャンルである。もっとも、陣中見舞い、暑中見舞いなど色々あるから、留守見舞いがあってもおかしくはない。

行き先は具体的に示してないが、当時は「参宮」といえば、お伊勢参りに決っていた。始めに「使札(しさつ)」という言葉が出てくる。これは、「使者に持たせてやる書状」のことで、現代なら郵便か電話でこと足りるが、当時は近在なら誰かに持たせてやることになる。

今回は判りやすく言葉を変えた所に、括弧で原文の言葉を示した。留守は「留主」とも書き、門出は「首途」とも書く。かつては見送りを「見立」と云った。「嘸」は「さぞ」と読む。「一入」は「ひとしお」と読み難読の一つであろう。「浦山敷」は読みだけをもらった当て字で、こういう例は意外と多くて、読み方が判ると楽しい。「麁肴」は見慣れない文字だが、読みも意味も「粗肴」と同じで、人に勧める料理をへり下っていう言葉。「見舞い」を「尋問」、「しるし」を「証」などと大仰であるが、そんな言い方を昔はしていたのだろう。最後の「如此御座候」は手紙の末尾に出てくる決まり文句の一つである。「かくの如くに御座候」と読む。
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