平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「(御普請所に関する)定」一条
酷暑が続いている。夕方、ごろごろと遠雷が聞こえたので、ムサシの散歩を急いだが、雷雨は東へ遠ざかって雨にはならなかった。山添い(川根の方面)は雷雨だったのだろう。庭の木々、草花、裏の畑ともども、雨が恋しい日が続く。明日は午後に雷雨が期待できそうだ。夜遅く、名古屋の娘一家が来たる。
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昨日、靜岡の古文書解読基礎講座で解読した文を一つ取り上げる。おそらく、安倍川の川会所に高札として掲示されたと思われる「定」一条である。前もって下読みして、特に前半が全く読めなかった。自分の解読の力もまだまだだと思い、講座に参加した。読めないのに理由があった。いきなり、川除普請(治水工事)の専門用語が羅列されて、その言葉がちんぷんかんぷんで、理解不能に陥ったのであった。ともあれ解読できた文を書き下してみる。
定(さだめ)
御普請所、籠出し、はら籠(?)、柵牛、笈牛などの上へ上がり申すまじく候、たとい出水の節、流れ木、又は塵芥掛かりこれ有るとも、拾い取るべからず、総じて堤通りに植え立ち候竹木は申すに及ばず下草たりとも、みだりに刈取申すまじく候、もし相背くに於いてはきっと曲事たるべきものなり
寛延二年(1749)巳 大屋杢之助
「定(さだめ)」は幕府が庶民に出した掟(おきて)で、高札などに掲げられた。公家や武士などへは公家諸法度や武家諸法度など、法度(はっと)が出されている。この定は「普請所」(安倍川の川除普請の現場)で、色々な工作物に手を掛けて壊さないように諌めたものである。
工事の専門用語を調べてみた。「かごだし(籠出し)」は川の流れを変えたり、堤防崩れを防いだりするために、川に突き出して蛇籠(じゃかご)を並べたもの。「たなうし(柵牛)」「おいうし(笈牛)」ともに下図のようなもので、流れに構築し蛇籠などで固め、流れを制御する目的を持つ。現在でも川に構築された名残を見ることもある。「はら籠」あるいは「ばら籠」かもしれないが、どんなものか良く判らない。
川除普請の工作物が人の手で壊されるようなことが、しばしばあったのであろう。手を掛けることを一切禁じている。曲事(くせごと-犯罪)になると脅して守らせようとしている。大屋杢之助は延享元年(1744)から宝暦五年(1755)まで11年間、駿府の代官を務めた。代官としての在任期間は長い方である。
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