ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

日本学術会議、何が問題か3

2020-10-23 10:16:25 | 時事
●中国の「外専千人計画」に参加している会員が

門田隆将氏のツイート
「今年の新聞記事で優れていたのは読売5月4日付の中国「千人計画」に参加した学者への取材だろう。このAI専門の元東工大教授が“軍事技術への転用”が分っていながら協力している事を本人に語らせた。新聞ジャーナリズムここにあり。中国の軍民融合戦略の日本への浸透度がよく分る。国民が共有すべき記事」

甘利明氏の発言
「中国の千人計画は、日本の学者を好待遇で引っ張り、研究と知識を全て吸い取る。世界中が警戒している。科学技術の機関に『日本の学者で千人計画に何人参加している?』と聞いたら、『十数名参加している』とはっきり言われた。日本学術会議は防衛相の研究に参加すべきでないと言うなら、千人計画に対しても言うべきだ」

八幡和郎氏のツイート
「日本のアカデミズムは、反日左翼の論理(社会主義が世界普遍的に平和主義とはいえまい)に基づいて、国公立を含む日本の大学は、防衛のための研究に協力することを拒否し、自衛隊員の大学や大学院への入学まで排除・制限するという暴挙を平気で行っている。これは明らかに学問の自由の侵害である。
 一方で、外国の軍事研究への協力になることには最低限の警戒もしていない。自民党の甘利明税制調査会長は8月6日のブログで、中国が世界から技術を盗み出そうとしていると、米国で大スキャンダルになっている「千人計画」に、日本学術会議が積極的に協力していると批判している。
 アメリカではノーベル賞クラスの教授までも届け出せずに中国から多額の報酬をもらっていたとしてどんどん逮捕されている。北朝鮮の核開発にも、京都大学など日本の大学の研究者が貢献したと疑われているくらいだ。
 自然科学でないが、孔子学院など欧米ではスパイ機関とみられて追放されつつあるわけで、日本の大学が対策を講じないで放置していると、その大学や設立運営にかかわる関係者もアメリカなどから制裁が及びかねない。
 文科省をはじめとする政府機関は、この状況を放置してきたが、米国と中国の対立が激化するなか、日本の企業、大学、研究機関、さらには研究者個人に至るまで、無神経でいると世界の研究網から排除されたり、留学や学会のためのビザも拒絶されかねないのである」

●「日本学術会議は廃止せよ」との意見

 10月23日、櫻井よしこ氏が理事長を務める国家基本問題研究所は、「 日本学術会議は廃止せよ」と題した意見広告を、産経新聞、読売新聞、日本経済新聞の3紙に出した。下記の内容である。

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【意見広告】 日本学術会議は廃止せよ

 日本を否定することが正義であるとする戦後レジームの「遺物」は、即刻廃止すべきです。国家機関である日本学術会議は、その代表格です。
 学術会議は、連合国軍総司令部(GHQ)統治下の昭和24年に誕生しました。亀山直人初代会長は設立の際、GHQが「異常な関心を示した」と語っていますが、日本弱体化を目指した当時のGHQは学術会議にも憲法と同様の役割を期待したのでしょう。会議はこれに応えるように「軍事目的の科学研究は絶対に行わない」との声明を何度も出してきました。憲法も学術会議も国家・国民の足枷と化したのです。
 他方、学術会議は、国家戦略として「軍民融合」を推進する中国とは研究者の交流、科学情報の共有について覚書を交わしています。会員らは、学問の自由が脅かされていると政府批判をしますが、矩のりを越えた学者の政治活動で自由な学問・研究を阻害しているのは、学術会議自体ではないでしょうか。そんな組織に毎年10億円以上の税金を注ぎ込むとは何ごとでしょう。
 真の独立国家としての土台を蝕む組織は、一掃すべきです。日本を私たち国民の手に取り戻し、前向きな光を当てる第一歩が学術会議の廃止です。
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●世界的な安全保障への脅威

 ここで私見を述べる。日本学術会議問題について、私は、日本国内の問題ととらえるのではなく、米中対決、自由主義と共産主義の対決という構図において、今回の菅首相の決断をとらえるべきだと考える。日本国政府が共産中国を利する学問研究を放置し続けることは、米国をはじめとする自由主義諸国に対して深刻な脅威を与えることであり、毅然とした対応を迫られたものと思う。日本の安全保障だけでなく、世界の安全保障の問題だということである。
 私は、6名の任命見送りに杉田和博官房副長官が関与したと伝えられることに注目する。杉田氏は、事務方の官房副長官であり、同職は国家官僚のトップである。共同通信社は、政府関係者からの情報として「杉田和博官房副長官が内閣府の提案に基づき、任命できない人が複数いると、菅義偉首相に口頭で報告していた」と報じた。杉田氏は警察官僚出身であり、橋本内閣で内閣情報調査室(内調)の室長となり、小泉内閣で内閣危機管理監を務めた国家危機管理のプロである。
 6名を除外したのは、日本の安全保障に係る情報機関(インテリジェンス)が収集した機密情報に基づく政治判断だろう。CIAないしファイブアイズ加盟国諸機関との連携があるものと推測する。
 関連することとして、トランプ政権は、対中姿勢を硬化し、次世代移動通信システム(5G)からファーウエイを中心とする中国企業を排除しつつある。米国政府は、本気で共産中国を潰そうとしていると私は見ている。そう考えるのは、藤井厳喜氏(「米中最終決戦」徳間書店他)、渡邉哲也氏(「米中決戦後の世界地図」徳間書店他)、宮崎正弘氏(「WHAT NEXT」ハ-ト出版他)、田村秀男氏(「習近平敗北前夜」ビジネス社他)らの最近の論考に負っている。日本の政府や企業は、米国政府の意図の理解が浅く、見通しが甘いと思う。米国が規制の対象にしているのは、ファーウェイと取引をしている外国の企業を含む。当然、日本企業も対象である。場合によっては、そうした企業と取引している銀行も対象になるので、規制を恐れる銀行から融資を受けられなくなる企業も出るだろう。
 トランプ政権は、共産中国が米国の大学・研究所等から先端技術を盗んで来たことを問題視し、中国からの留学生や人民解放軍に関係する研究者へのビザ発給を止めたり、彼らの国外退去させることを強力に進めている。米国から排除されたスパイ研究者は、他の国へ向かいます。日本は、格好の対象となるだろう。菅政権は、来年度から、留学生や外国人研究者らにビザを発給する際、中国を念頭にして経済安全保障強化の観点から審査を厳格化する方針を固めたと報じられる。この動きは、米国の対中政策に呼応するものだろう。わが国も、特に人民解放軍と関係のある中国人を厳しくチェックし、彼らが日本の大学や研究所に入ってスパイ活動を行なうことを防止する必要がある。
 日本学術会議の問題は、日本国民が、自国の安全保障のために軍事科学研究を必要とするか否かという選択に関わる。当然、中国や北朝鮮の核ミサイル、サイバー攻撃、生物化学兵器等から、どうやって国民の生命と財産、わが国の独立と主権を守るかという課題に直結する。10月18日放送のフジテレビ「日曜報道プライム」で。日本が世界に遅れをとる軍事科学研究に対するアンケートを取ったところ、研究を推進すべきという回答が88%、現状のままでいいが7%、やめるべきが5%という結果だった。
 日本の安全保障を確固としたものにするためには、日本学術会議を根本的に改革しなければならない。年間10億円の税金を投じる特別国家公務員の集団でありながら、日本共産党に支配され、共産中国の軍事研究・覇権拡大に協力するような組織のこれまでのあり方を、もはや許してはならない。学術会議側が政府による改革に応じなければ、廃止するしかない。(了)

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 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
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日本学術会議、何が問題か2

2020-10-22 10:06:20 | 時事
●日本共産党が支配

福井県立大学教授・島田洋一氏のツイート
「日弁連も、一部の活動家が組織を牛耳り、左翼的声明を出すので有名だが、会費制で税金は入っていない。その点、毎年10億円以上の税金をかすめ取っている日本学術会議の方がはるかに悪質である。半端な「改革」を求めると、「政府全額出資の財団」といった姑息な生き残り策を考えかねない。きっぱり廃止すべき」
「日本学術会議の「抜本改革」といった言葉は危ない。明確に廃止としないと、形ばかりの人事「透明化」程度で誤魔化されかねない。焼け太りすらあり得る。左翼は利権を死守しようと、学問にはついぞ注いだことのない量の情熱を注いでくるはずだ」
「左翼の大学教員が、国民が選挙で選んだ政権の安保政策をほぼ全否定しながら、税金で「提言」役に雇えというのは民主制の基本を理解しない要求」「愚かな上に虫が良すぎる」

教育評論家・藤岡信勝氏のFBポスト
「日本学術会議は「左翼支配」の問題と言われているが、そんな漠然とした話ではない。明確に「日本共産党支配」なのだ」「会員を選挙で選んでいたころは、候補者名が下りてくる。知っている人物ならいいが、全く知らない人物に投票する。そうして、「学者の国会」などとうそぶいてきた。この選挙のやり方は、日本共産党の選挙のやり方と同じだ」
「日本学術会議は日本共産党の巨大な利権である。選挙をやめる代わりに日本学術会議の会員が後任者を推薦する制度になった。利権の継承にこれ以上都合のいい話はない」
「アメリカは世界中の共産党員の移民を拒否する方針を取り始めたと伝えられる。日本でも共産党利権の日本学術会議は、叩き潰すべきだ」

評論家・八幡和郎氏のFBポスト
「学術会議の現状には2つの問題がある。1つは、各分野の学会の集合体になって、彼らの「既得権益の守護神化」していることだ。もう1つは、軍事研究の禁止のように、「特定の政治勢力が国策に影響を与えるための道具」になっていることである」「これを可能にしているのが、アカデミズムにおける左派勢力、とりわけ日本共産党系の勢力の強さだ」
「民営化すべきだという人もいる。(略)だが、私は放りだしたら良くなるとは思わない。ますます、利権獲得に熱心になるだけではないか。むしろ、政府として、科学技術研究者に期待する役割を高らかに宣言し、「守旧的セクショナリズムを克服する組織見直し」や「政治的動きの排除」を要求する。できなければ、予算配分や組織のあり方を根本的に見直すと、フェアに方針を明確化すべきだ」

●中国の軍事研究に協力

甘利明衆議院議員(自民党税制調査会会長)の発言
「学術会議は軍事研究に繋がるものは一切させないとしながら、民間技術を軍事技術に転用する中国と一緒に研究するのは学問の自由だと主張し、政府は干渉するなと言う。日本の技術が中国の軍事技術に使われても防ぐ手立てがないのが現状だ」

ジャーナリスト・門田隆将氏のツイート
「税金で運営される内閣府の #日本学術会議 が中国科学技術協会と覚書を交わし、結果的に中国の軍事転用可能な技術に協力する日本の科学者の“窓口”になっている。この際、税金を使った日本の“内なる敵”を洗い出して頂きたい。これを機に同会議解体の検討を。日本国民に支障はなく、困るのは中国だけだ」
「#日本学術会議 と中国との関係を書いた私のWiLL7月号「祖国を“中国に売る”人たち~中国“千人計画”の脅威」が話題に。日本では軍事研究は一切させず、一方で中国の研究には積極参加させる同会議。日本人の“命の敵”になぜ10億もの税金投入が必要か。国民はよく考えて欲しい」

憲政史研究者・倉山満氏のFBポスト
「日本学術会議が学問の自由を説く? 人殺しが命の尊さを語るようなものだ。要するに、自分が殺すのはいいけど、自分が殺されるのは嫌なだけじゃないか」
「日本学術会議は「軍事研究の禁止」を堂々と宣言している。(略)それでいて中国の軍事研究には協力している。この一事で以って敵国のスパイ機関と疑われても仕方なかろう。国会が国政調査権を発動して証人喚問を行うべきだろう」
「学術会議の廃止は当然として、浮いた予算の10億円で「軍事研究者への奨学金」を創設しては如何? 学問の自由を侵害することを目的とした団体など廃止が当然、有為の若者を育てるべきだ」

小野寺五典元防衛大臣の発言
「中国人民解放軍で経験のある人が、日本の大学で先端技術の研究をし、本国に持ち帰ったり、日本の研究者が中国に招聘され、中国の安全保障に繋がる研究をしている報道もある。なぜ日本を守るための研究に反対して、中国には様々な技術を流してしまうのか?不思議な組織」

 「不思議な組織」とは、えらく婉曲な表現である。元防衛大臣なら、もっとはっきりものを言うべきである。例えば、反国家的な組織、日本と世界の安全保障を脅かす組織、共産中国の覇権拡大に協力する組織、日本共産党に牛耳られている組織などである。

 次回に続く。

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仏教71~元の時代と明の時代

2020-10-21 10:19:38 | 心と宗教
●元の時代

 13世紀初頭、チンギス・ハンがモンゴル高原からユーラシア大陸各地へ侵攻し、東ヨーロッパ、ロシア、中東、チベットに渡る広大なモンゴル帝国を樹立した。シナでは、フビライ・ハンが1234年に金を滅ぼし、1271年に国号を元とし、1279年に南宋を滅ぼし、シナ全土を征服・支配した。元は、さらに満州・チベットを併有し、高麗を属国とし、東アジア大陸部をほぼ勢力下に収めた。
 政治機構は、広大な領土を支配するために、直轄地を支配する中書省の出先として、自治的な機能をもつ行省を設けた。民族間の身分制を設け、支配民族のモンゴル人、色目人 (西方人)、被支配民族の漢人、南人 (南宋人) の順位とし、官庁の長は前二者が占めた。シナ伝統の政治を担ってきた士大夫は、冷遇されたため、文学の創作に活動の場を見出した。
 モンゴル帝国では、帝国全土の交易路や駅伝制度を整備したり、紙幣を発行して法貨とするなどして、交通・通商の円滑化を図ったので、東西交渉が繁栄した。だが、この史上空前の大帝国の栄華は長続きしなかった。元では、クビライの死後、帝位が安定せず、帝位を巡る紛争が頻発し、権臣の悪政によって政治が乱れた。また、14世紀の初頭から、世界的に気候が寒冷化し、シナでは洪水や疫病等の天災が相次いだ。大規模な治水工事で政府の支出が増大し、塩の専売や紙幣の濫発で経済が悪化し、庶民の生活は困窮した。各地で反乱が発生する中で、1351年に紅巾の乱が勃発し、た。その中で頭角を現した朱元璋によって、元はシナから駆逐された。

◆元代の仏教
 モンゴル族は、チベット仏教を信奉していた。元もチベット仏教を保護したが、他の宗教や仏教の他宗派も許容した。元代にシナ土着の宗派の中で最も勢力を強めたのは、浄土信仰を基礎とする白蓮教だった。白蓮教は、モンゴル人支配に不満を持つ知識層や民衆の間に信者を増やした。元代の末期には、黄河と淮河の流域を中心に各地に拡大した。その白蓮教徒が中心となって起こしたのが、紅巾の乱である。紅巾の乱は、元帝国に衰亡をもたらした。

◆元代の道教
 南宋時代にシナ北部に現れた全真教は、王重陽の弟子の丘処機がチンギス・ハンからモンゴルにおける道教の総取締りに任じられた。元朝の庇護を受けた全真教は、シナ北部全域に広まり、江南にも勢力を伸ばした。江南では、五斗米道の系統の天師道が活動していた。元の初代世祖であるフビライ・ハンは、天師道の公称を正一教と定め、江南地域の道教を掌握させた。全真教は道教・儒教・仏教の三教が融合した新道教であり、正一教は伝統的な道教である。これら道教の新旧二つの潮流をなす教団が道教界を二分する状態が、清代末期まで続いた。

●明の時代

 紅巾の乱の中から頭角を現したのが、貧農出身の朱元璋だった。朱元璋は、白蓮教を排して地主勢力と結び付いて勢力を拡大し、1368年に明を建国し、太祖・洪武帝となった。同年、元の都である大都を攻め落とし、元の政府をモンゴル高原へ撤退せしめた。その後の元を北元と呼ぶ。明と北元の争いは、その後も続いた。
 洪武帝は、金陵(南京)に都を置き、漢民族の統治を復興した。シナの伝統に基づく官制・律令を行って内政を改革し、一世一元制を敷いて皇帝独裁制を確立した。対外的には、海外渡航や海外貿易に禁圧を加える海禁政策を取った。
 洪武帝の死後、孫の建文帝が即位すると、叔父の朱棣が「君側の奸を除き、難を靖んず」と唱え、靖難の変を起こして永楽帝となった。永楽帝は、都を北京に移し、北元を攻撃したり、海禁の例外として国営貿易を行ったり、鄭和を南海に遠征させるなど、積極的な対外政策を行った。
 だが、永楽帝の死後、北元が再び勢力を強め、1449年には正統帝が捕虜となる土木の変が起きた。また、15世紀後半から倭寇が活発になり、シナの南部は頻繁に襲撃を受けた。北のモンゴルと南の倭寇による北虜南倭に、明は苦しみ、財政も窮迫した。
 宗教・思想の面では、明代は儒教が発達し、キリスト教の宣教が行われた時代だった。仏教は概して低調だった。洪武帝は、朱子学を儒教の正統と定め、永楽帝は、朱熹の著書を編纂し、科挙受験者の必読書とした。明代の中期末頃には、王陽明が朱子学を批判して陽明学を樹立した。明代後期には、それが主流の思想となった。16世紀末にマテオ・リッチが渡来し、キリスト教の伝道をはじめた。彼らイエズス会宣教師は、ヨーロッパの思想や暦学・天文・地理・数学・砲術等を伝え、シナ人に知識や技術の進歩をもたらした。その点では歓迎されたものの、布教の成果はあがらなかった。
 明は皇帝独裁制だったため、皇帝次第で政治が大きく左右された。宦官が側近の大多数を占めるようになって国政は腐敗した。過酷な徴税で民生は崩壊し、農民による反乱が相次いだ。その反乱の指導者である李自成が1644年に北京を占領し、明は滅亡した。だが、わずかその40日後、満州女真人が北京を奪い、清がシナを支配することになった。

 次回に続く。

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日本学術会議、何が問題か1

2020-10-20 10:16:39 | 時事
 菅義偉首相は、科学者をメンバーとする政府機関である日本学術会議が推薦した新会員候補のうち6人の任命を見送った。これは、英断だと思う。この日本の安全保障、さらには世界の安全保障に関わる関わる問題だからである。「学問の自由」を隠れ蓑にした反国家的な活動を、政府は容認すべきではない。本件に関する有識者の発言を紹介し、私見を述べる。

●「学問の自由」の侵害ではない

科学史家・科学哲学者として名高い村上陽一郎氏の発言
「日本学術会議次期会員の推薦候補の一部を内閣が任命しなかった事について、出発点から、『学問の自由の侵害』と捉え、糾弾するのが新聞輿論のようです。一部の学者や識者層も、その立場で動こうとしているようです。しかし、客観的に見れば、この主張は全く的外れであることは明瞭で、間違いの根本は『現在の』日本学術会議に対して広がっている幻想、あるいは故意の曲解にあります。
 日本学術会議はもともとは、戦後、総理府の管轄で発足しましたが、戦後という状況下で総理府の管轄力は弱く、七期も連続して務めたF氏を中心に、ある政党に完全に支配された状態が続きました。特に、1956年に日本学士院を分離して、文部省に鞍替えさせた後は、あたかも学者の自主団体であるかの如く、選挙運動などにおいても、完全に政党に牛耳られる事態が続きました。
 今、思えば、そうした状態を見ぬ振りで放置した研究者や会員に大きな責任があるのですが、見かねた政府が改革に乗り出し、それなりの手を打って来ました。1984年に会員選出は学会推薦とすることが決まり、2001年には総務省の特別機関の性格を明確にし、2005年には、内閣府の勢力拡大とともに、総理直轄、実際には内閣府管轄の特別機関という形で、日本学術会議は完全に国立機関の一つになりおおせました。
 もちろん、この動きに反対する活動も無かったわけではないのですが、政党支配に不満を持つ一部会員は、この政府の動きを支持し、一般の会員の大部分はここでも成り行きに任せた状態のままでした。
 その結果として、今回、菅首相が主張する、日本学術会議は国立の機関として、首相・内閣府の管轄下にあること、その会員は(特別)公務員としての立場にあること、その任命の権限は内閣・首相にあること、といった内容は現行の規定に従えば、まず疑問の余地のないところです。
 実際、今回の件で、自分の学問の自由を奪われた人は、一人もいません。強いていえば、任命を見送られた方の中で、学術会議会員の資格の欲しかった方は、希望の就職の機会を奪われたことになるわけですが、それも就職の際には、常に起こり得ることと言わねばなりませんし、どんな推薦があっても採用されないという人は出るものです。採用されなかった人に、その理由を細々と論って説明する義務は、選考側には通常は無いはずではないでしょうか。
 そうした事情を抜きにして『学問の自由』を訴えるのは、完全に問題のすり替えであって、学問の自由の立場からすれば、却ってその矮小化につながる恐れなしとしません。むしろ、学術会議の会員になること自体が、ある立場からすれば、学問の自由に反する行為になる可能性さえあるのですから」

 文中の「ある政党」とは、日本共産党であることは明らかである。村上氏は事実に基づく科学的思考の枠組みを研究する学者なのだから、一個の事実として政党名を明示してほしかった。

評論家・石平氏のツイート
「学術会議任命見送りの件、任命権は首相にある以上任命しないのも法的に定められた首相の権限だ。学者たちが今まで任命を受けていることは、要するに彼らも首相の任命権を認めていること。任命してくれる時任命権を認めるが、任命してくれないとけしからんという彼らの論理はまるで駄々っ子ではないか」
「学術会議任命見送りの一件、一部のマスコミや学者本人が「学問の自由」云々と言うが、それは全く別々の問題。有給の学術会議のメンバーにならないだけのことで、学者たちの学問の自由に何の支障も生じない。まさか、税金からの報酬のある仕事を失ったから「学問の自由」も失うと言うのか」

イスラーム思想研究者・飯山陽氏のツイート
「大学に所属する特定の研究者に権威と公金を与えるのを政府が承認しなかったからといって、社会が劣化などするわけがない。安保法制が施行されれば日本は戦争になる、などとウソで人々の不安を煽り、日本の安全保障を損なわせようとする活動家らにカネと権威を与えるほうが、よほど社会を劣化させよう」

 次回に続く。

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仏教70~朱子学と仏教

2020-10-19 10:18:19 | 心と宗教
●朱子学と仏教

 宋代の性理学を大成した朱熹の学説を、朱子学という。朱熹は、儒教の聖典として、五経とは別に四書を定めた。四書とは、『大学』『中庸』『論語』『孟子』である。『大学』『中庸』は、五経の一つである『礼記』から抜粋したものである。四書の選定によって、堯・舜以来聖人に伝授された道を孔子が受け継ぎ、その孔子の教えを継承したのが曽子・子思・孟子であるとして、儒教の系譜が確立された。朱熹は、四書を五経の入門書とし、これに注釈を加えて、『四書集註(しっちゅう)』を著した。これを通じて、朱熹は、政治と道徳が一体となった修養の学問としての儒教の本来のあり方を回復しようとした。
 朱熹は、道徳を単に人間性に基づくものではなく、宇宙の理法と万物の体系に根差すものととらえた。いわば自然哲学と社会哲学の統一的な展開の試みである。朱子学における中心的な概念は、理である。朱熹は、これに性・気等の概念を組み合わせて、万物の生成論、人間の心性論及び修養論に及ぶ思想体系を完成した。
 万物生成論は、事物の生成の仕組みを明らかにするもの、心性論は、人間の心と体のあり方を明らかにするもの、修養論は、人間はいかに生きるべきかを説くものである。
 朱熹の万物生成論は、理気二元論を説く程頤の思想を継承したものである。宇宙の万物は、形而上の理と形而下の気によって生成する。気は、万物を形づくる根源的なものである。物質にしてエネルギーであり、物理的にして心理的でもある。これに対し、理は事物のあり方を規定する原理、事物の成り立ちの根拠である。朱熹は、すべての理を統括する根源的な理を想定し、これを太極と呼んだ。周濂渓は『太極図説』で「無極にして太極」を宇宙の本体とし、そこから陰陽が現れ、五行(木火土金水)という元素が生じ、その結合によって、万物が生成するとした。朱熹は、太極説を取り入れることで、理気の二元を総合した。無極は、『老子道徳経』では無を意味するが、朱子学では太極の無限性をいう。私見を述べると、「無極にして太極」を道ととらえるならば、朱子学は儒家と道家の哲学を総合する理論となり得る。「無極にして太極」は、無にして無限大、0にして∞とも考えられる。
 朱熹は、理には万物を貫徹する普遍的な理、すなわち天理と、個々の事物に内在する個別な理、すなわち物理とがあるとした。一物には一物の理があり、それは普遍的な「一理」と同じだとし、これを「理一分殊」という。
 朱熹によると、理は人間においては性として内在し、道徳的な規範となる。朱熹は性即理、「性は即ち理なり」とし、人間の本性は理であるがゆえに純粋至善であるとする性善説を説いた。朱熹が、天の理と人の性を一貫したものとしたのは、シナの伝統である天人一貫、天人合一の思想の表れである。
 朱熹によると、人間の心には理としての性が備わっている。性には「本然の性」と「気質の性」がある。「本然の性」は、人間における理であり、天理につながっている。だが、心は体に依存しており、体は気によって成り立っている。それゆえ、心は気の影響を受け、「気質の性」が生じる。「本然の性」は、人間における理であるから絶対的に善である、だが、「気質の性」は、感情や欲望のために混濁しており、その人欲によって、悪が生じる。気によってもたらされる感情や欲望を抑えて、本性としての天理に立ち返らねばならないとした。
 「気質の性」が透明となり、「本然の性」を体現した人間が、儒教の理想的な人格としての聖人である。逆に、「気質の性」の混濁がひどく、感情や欲望のままに行動する人間が、悪人である。人間は、「気質の性」から混濁を除き、「本然の性」に回帰するように努めなければならない。朱熹は、そのために実行すべきことが、居敬(きょけい)と窮理であると説く。
 居敬とは、人欲を廃し、敬(つつしみ)を以って徳性を涵養することである。それには、心を集中し、慎しみ、正しく保つことが必要である。そのための方法が、静座である。窮理とは、広く事物について理を窮め、正確な知識を獲得することである。そのための方法が、経書の読書である。
 窮理は、『大学』における格物につながる。『大学』は「格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下」を説く。朱子学は冒頭二つの条目を格物致知として重視する。格物致知とは、知を広め、自己と事物に内在する理を窮めて、宇宙の普遍的な理に達することとした。
 朱子学において、人間における道徳的規範としての理は、徳目としては、仁、義、礼、智、信の五常をいう。また、対人関係では、君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信の五倫をいう。朱子学は、身分の上下関係の秩序を重んじ、名分すなわち身分に伴って守るべき本分を尊んだので、封建社会の倫理説として受け入れられた。
 朱熹は、シナの北部が異民族に支配されている時代に生きた。天の理がシナの社会に実現されているならば、シナは漢民族によって統一されているはずだが、現実は理想とかけ離れている。この秩序喪失の時代にあって、朱熹は、中華と夷狄(いてき)の区別、すなわち華夷(かい)の秩序を強調した。この点では、朱子学は、エスニシズム(民族主義)の思想である。
 朱子学は、初めは異端視された。だが、朱熹の死後、朱子学を継承する学者が多数出て、次第に士大夫の支持を得ていった。元代には伝統的な儒教に替わって、科挙の試験における経書の解釈に朱子学の学説が採用された。15世紀初め、明代の永楽年間以後、官学としての地位がさらに強固になり、その地位は清代末まで続いた。
 次に、朱子学と仏教の関係について述べると、従来、儒教の側では仏教を排撃する傾向が強かったが、朱子学は仏教に対して受容的だった。また、その思想体系は、仏教を排除せず、両立し得るものだった。宋代以降、士大夫の間に仏教、特に禅宗の信徒が増えた。彼らが、居敬のための静座を座禅に替え、窮理のための読書に仏教の聖典を加えることは、朱子学と矛盾しない。一方、仏教は、朱子学を取り入れることで、現世的な規範を踏まえ、家族的・氏族的な倫理や国家的な倫理を説いた。それは、仏教の儒教化であり、仏教のシナ化の一層の進展となった。

 次回に続く。

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仏教69~宋代の禅宗・浄土宗、道教・儒教

2020-10-17 14:59:34 | 心と宗教
◆宋代の仏教(続き)

・宋代の禅宗
 インド仏教は、出家者が食糧を托鉢に求め、労働を禁じ、これを戒律に定めた。だが、風俗・習慣の異なるシナでは、同じ戒律は実行できない。唐代の廃仏によって、山間部に住み着いた禅宗の寺院では、自給自足的な生活を行うようになった。修行僧たちの集団生活の規則がつくられ、それを清規(しんぎ)と称した。「本来清らかな規則」の意味である。「一日作(な)さずんば、一日食わず」とは、唐代の禅僧・懐海が述べた自戒の句だったが、禅宗では食糧を生産するなどの協同労働(作務)が重視され、それが修行の一環となった。
 宋代には、代表的な禅書として、『碧巌録』『無門関』等が編纂された。禅宗は、同時代の朱子学、漢詩、山水画、造園等、様々な思想・文化に広く影響を与えた。とりわけ朱子学と禅の間には、共通する発想が多い。唐代に老荘思想の影響を受けた禅宗は、宋代に儒教との融合が進んだ。これは、仏教の儒教化である。
 宋代に栄西がシナに渡って臨済宗、同じく道元が曹洞宗をわが国に伝えた。これらはともに南宗禅の系統である。

・宋代の浄土宗
 宋の時代には浄土宗が一大勢力に伸長した。禅宗は、自力による修行によって悟りを目指す難行を行う。これに対して、浄土宗は、阿弥陀仏によって救済されることを信じる他力の信仰であり、誰でもできる易行を説く。そのため、宋代には民衆に広がった。東晋の時代に廬山の慧遠が阿弥陀信仰を行う白蓮社を作ったが、宋代にはその系統の念仏結社が種々作られた。白蓮社系の念仏結社では、南宋末期に阿弥陀信仰に弥勒信仰が加わった。
 さらに唐代にペルシャから伝来したマニ教と融合した白蓮教が現れた。白蓮教では、世界には光明と暗黒の二つの原理があって、これらがそれぞれ善と悪である。弥勒仏が下生すれば、光明が暗黒に打ち勝って、極楽浄土が実現すると説く。こうした新たな宗教運動が、現状に不満を持つ民衆を引きつけて、大きな勢力となると、南宋は危険な宗教として取り締まりの対象とした。だが、その勢いは止まらなかった。

◆宋代の道教

 唐代には、王室の道教信奉策のもと、教団として組織化された道教がシナ各地に広まった。そこで各地域の習俗と結合した道教は、宋代においても民衆的な宗教として栄えた。前者を教団道教というのに対して、後者を民衆道教という。南宋の時代に、金の支配するシナ北部において、民衆道教をもとにした新しい道教の教団が生まれた。これを、新道教と呼ぶ。新道教は、民俗信仰をもとに道教・儒教・仏教の三教が融合しているところに特徴がある。
 新道教のうち、のちに最も有力な教団になったのが、全真教である。12世紀前半に王重陽が興した。それまでの道教は、不老不死をめざす仙術や不老長生の霊薬とされる金丹の作成を中心としていた。だが、王重陽は、現世利益のための符呪の術を斥け、悟りを目指す修行を重視した。儒仏道の三教の根本は同じという立場をとり、清とは仏教の『般若心経』、儒教の『孝経』、道教の『老子道徳経』等の経典を学んだ。修行には、仏教でいう自利にあたる真功と利他にあたる真行の両面があった。全真教では座禅を奨励しており、禅宗の影響が色濃い。これは仏教の道教への影響、また道教の仏教化といえる。

◆宋代の儒教

 宋代には、儒教に新たな動きが起こった。この新しい儒教は、宋学、宋明性理学と呼ばれ、道学、理学、新儒学などともいう。
 儒教は、孔子・孟子らによる初期儒教の後、漢代から唐代にかけては、主として五経等の古典の読解を中心とする訓詁注釈の学問である漢唐訓詁学が発展した。唐代には、仏教や道教が宗教・思想の領域を席巻したが、儒教は煩瑣な字句の解釈に陥っていた。宋代になると、この傾向を脱して仏教や道教に対抗するために、経書を解釈し直し、孔子・孟子の真の意図を明らかにしようという学問が発達した。その動きは、明代まで続いた。これを、宋明性理学という。
 前漢の末期から北宋の中期までは、貴族すなわち豪族や大土地所有者が儒教思想の主な担い手だった。だが、唐代の後半から貴族の勢力が衰え、宋代に入ると、新興地主層が台頭した。主にその階級から官僚になった知識人が、新しい儒教思想を生み出した。
 宋代の儒教思想家は、仏教、特に禅宗や老荘思想、道教の影響を受けながら、それまでの儒教に欠けていた高度な思想体系を構築し、宇宙と人間のあり方を総合的にとらえようとした。北宋では、周敦頤(しゅうとんい、周濂渓)が、『易経』にある太極の概念に道教の宇宙生成論を加えて『太極図説』を著した。張載(張横渠)と程顥(ていこう、程明道)・程頤(ていい、程伊川)の兄弟は、周敦頤の説を受け、理と気の概念を用いる思想を発展させた。彼らの思想を継承し、集大成したのが、南宋の朱熹である。
 彼らが展開した宋学の目的は、体系的な思想の構築そのものではなく、その理論に基づいて、人格の修養に努めるところにある。宋代に現れた性理学も、儒学の一派として、修養の学問であることに変わりはない。

 次回に続く。

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「コロナ禍を乗り超えて、日本を立て直そう」をアップ

2020-10-16 10:03:55 | 時事
 10月4日から14日にかけてブログに連載した拙稿「コロナ禍を乗り超えて、日本を立て直そう」を編集し、マイサイトに掲載しました。全文を通してお読みになりたい方は、下記へどうぞ。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-10.htm

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仏教68~五代十国時代及び宋代の仏教

2020-10-15 10:15:12 | 心と宗教
●五代十国時代と仏教

 唐は、907年に朱全忠によって滅ぼされた。以後、960年に宋がシナを統一するまでの間を、五代十国時代という。
 五代とは、黄河流域を中心とするシナ北部を統治した後梁、後唐、後晋、後漢、後周の5つの王朝が興亡したところから出た名である。そのほか、シナ中部・南部と北部の一部を支配した地方政権が10あったので、十国という。五代のうち後唐・後晋・後漢の開祖は、沙陀族の出身である。
 五代十国の時代に、仏教が栄えたのはシナ南部の呉越地域だった。五代最後となる後周の世宗は、955年から廃仏を行った。三武一宗の廃仏の第四回となるものである。世宗は唐以来行われてきた仏教管理政策を再確認し、皇帝から勅額を下賜されていない寺院を整理したり、官許を得ずに得度した私度の僧尼を多数、還俗させた。だが、その一方、国家公認の得度を証明する官文書すなわち度牒(どちょう)を発給することも行っており、前三回の廃仏と違って根本的な廃仏ではなかった。

●宋の時代

 分裂と戦乱の時代のシナを統一に導いたのは、960年に宋を建国した趙匡胤である。彼の死後の976年、宋はシナ全土を統一した。
 宋は、多くの国家機関を皇帝直属とし、中央集権化を進めた。節度使の反乱で唐が滅んだことを踏まえ、文官が軍隊を率いる文治主義をとった。文官は科挙によって登用され、最終試験は皇帝が行った。そのため、皇帝と官吏の結びつきが深まった。この時代において、科挙出身の官吏である士大夫の多くは、形勢戸と呼ばれる新興地主層であり、彼らが以後、清代まで帝権を主に支える勢力となった。
 唐の衰亡によって、周辺諸民族は勢力を増し、独自の文化を発達させていた。文官が統制する宋の軍隊は戦いに弱く、周辺諸民族に圧迫され続けた。とりわけ強力な、モンゴル系及びツングース系の契丹族の遼とチベット系タングート族の西夏に対して、宋は毎年財貨を贈ることで戦争を回避していた。結局、1127年、宋はツングース系の女真族の金に倒された。
 シナ北部を征服・支配した金は、魏晋南北朝時代の五胡の諸民族とは異なり、シナの文化に完全には同化せず、民族独自の文化を保持した。金以後のモンゴル系の元、満洲女真族の清も同様だった。
 金の侵攻で敗走した宋は、都を汴京(べんきょう、開封)から江南の臨安(杭州)に移した。これ以前の宋を北宋、以降を南宋と呼ぶ。南宋の初代高宗は、金と和議を結ぶと、金の皇帝に対して、自ら臣と称した。これは、南宋は金の属国であると認めたことに等しい。異民族に臣従するという屈辱的な状態である。
 南宋では、江南の経済が急速に発展した。また、海上の東西交易が発達し、陶磁器等が輸出された。生産力の増大を背景として、実用的な技術の開発が進み、羅針盤・火薬・活版印刷の三大発明がされた。宋文化の主な担い手は読書人・知識人である士大夫であり、彼らの中から、新しい儒教として朱子学が生まれた。

◆宋代の仏教
 五代十国から宋の時代となる10世紀以降のシナでは、インドからの聖典の伝来・翻訳がほとんど無くなったため、仏教は教学的な研究よりも、実践的な傾向を強めた。宋代以降のシナ仏教は、座禅の実行を中心とする禅宗と民衆に分かりやすい浄土宗を二大主流として発展した。官吏には禅宗が支持され、民間には浄土宗が広がった。これらは、シナの風土に定着した仏教として浸透していった。
 北宋では、太祖(趙匡胤)が仏教を保護したが、度牒を販売して財政収入の一助としたり、寺院の資産への課税による寺院統制を行うなどした。
 南宋では、禅宗の寺院を格付けして管理する五山十刹(ござんじゅっさつ)制度を敷いて、国家の統制の下に置いた。唐代以来、沈滞していた天台宗・華厳宗等が復活した。その際、唐末以来の戦乱で失われた多くの典籍が、朝鮮半島の高麗から届けられた。天台宗の志磐(しばん)が『仏祖統紀』を著し、天台宗の立場から仏教通史を叙述した。以後、元・明の時代にも類書が書かれた。
 シナ文明の印刷技術は、宋代に飛躍的に発展した。宋代はシナの印刷技術の黄金時代といわれ、この時代の木版印刷はその後の時代の印刷技術の模範となった。その技術を用いて、大蔵経の刊行が進み、仏典がより多くの人々に読まれるようになった。
 宋代に現れた仏教信仰の新たなあり方を、居士仏教という。居士とは、在家の信徒をいう。居士仏教とは、出家して寺院で生活する僧侶の仏教に対して、俗世間での生活を送りながら、仏教に帰依し、修行する人たちが行う仏教である。士大夫の間に仏教の信徒が増え、多くの文人が在家の信徒だった。僧侶の伝記とともに著名な居士の行状が書物に記録されるようになった。また、宋代には浄土宗が盛んになり、白蓮社の系統の種々の念仏結社がつくられ、念仏を在家者に広めた。これが、居士仏教を盛んにした一要因となった。
 宋以後、仏教は一般社会に浸透して、人々の日常生活を導く社会倫理となった。また、仏教の儀礼が、花祭、盂蘭盆会 (うらぼんえ)、冬至冬夜の儀式等の年中行事となったものが多くある。

 次回に続く。

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コロナ禍4~米中対決が本格化している

2020-10-14 10:13:01 | 時事
●米中対決が本格化している

 現在の世界情勢を一言で表すと、米中対決である。1980年代に、米ソ対決があった。アメリカのレーガン大統領がソ連に軍拡を挑み、経済力と技術力で圧倒してソ連を崩壊に導いた。その後、中国が発展し、強大化した。現在の中国はかつてのソ連の比ではない。軍事力、経済力、人口、国際社会への影響力ではるかに上回っている。今や中国を抑えないと、米国や世界が危うくなっている。
 そういう時期に米国でトランプが大統領になった。トランプ大統領は、就任以来、共産中国に対して、強硬な姿勢を打ち出している。2018年から米中経済戦争が繰り広げられてきたが、その対立が新型コロナウイルスの感染拡大で一層激化した。米国は世界最多の死亡者が出て、大恐慌以来の経済的な打撃を受け、中国を厳しく非難している。そういう状況で中国共産党が行ったのが、香港市民への弾圧の強化である。それに対し、トランプ政権は中国に対する圧力を一層強めている。
 中国共産党は、6月30日の全人代常務委員会で香港国家安全維持法を可決した。高度な自治と自由を50年間保障するという国際的な約束をかなぐり捨てて、「一国二制度」を実質的に否定し、香港の自治と自由を守ろうとする人々への本格的な弾圧を開始した。言論・表現・集会・結社等の自由を奪う強硬策の実行である。武漢ウイルスの感染拡大で、香港への国際社会の関心が薄れていた隙を狙ったものだろう。
 中国共産党は、チベット族、ウイグル族、法輪功等への暴虐を告発されても、決して自らの非を認めない。香港における約束違反を咎められても、同じである。逆に、米国の人種問題を論って非難し返している。
 もし中国共産党が世界を支配することになったら、今の香港のように、自由、民主、人権、法の支配といった価値は踏みにじられる。唯物論によって宗教は弾圧される。中国の共産主義・全体主義から自由や民主主義を守るためには、国際的な連携の強化・拡大が求められる。
 中国共産党が香港で国家安全維持法を施行した暴挙に対し、日本、フランス、英国など27カ国は6月30日に国連人権理事会で、中国に対して懸念を示す共同声明を発表した。ところが、キューバなど53カ国は同理事会で、同法を称賛する共同声明を出した。国際社会への中国の影響力は、想像以上に大きくなっている。このことは、全体主義をよしとする国家が世界には多数存在することを意味する。特に独裁政権・軍事政権の発展途上国である。そうした国家の特権的な指導層にとっては、共産中国と連携することで政治的・経済的・軍事的な利益を得られるのである。
 こうしたなか7月23日、米国のポンペオ国務長官は、対中政策に関して演説し、それまでのトランプ政権の政策より格段と踏み込んだ方針を示した。
 ポンペオは、米中和解以降のアメリカの対中政策は失敗だったと断じた。アメリカは、中国が経済的に豊かになれば民主化するだろうと期待していた。だが、中国は経済が発展すると、増大した経済力を以って軍拡を進め、覇権の拡大を行なうようになった。ポンペオは「現在の中国は、国内では一層権威主義化し、国外では自由を攻撃し敵視している」と指摘し、「自由世界は新たな専制国家に打ち勝たなくてはならない」と呼びかけた。習近平国家主席については「破綻した全体主義思想を心から信じており、中国的共産主義に基づく世界的覇権を何十年間も切望してきた」と非難した。
 ポンペオは、中国の脅威の対処という課題には「一国で立ち向かうことはできない」とし、「「民主主義国家による新たな同盟を構築するときだろう。自由世界が中国を変えなければ、共産中国が私たちを変えてしまう」と強調した。ここで重要なことは、ポンペオが「米国は中国の人々と関係を築き、彼らに社会的な力をつけさせなくてはならない。彼らは中国共産党とは完全に異なり、活力に満ちた自由を愛する人々だ」と述べ、中国共産党と一般の中国民衆とを分け、中国の自由を求める人々との連帯を目指す方針を打ち出したことである。これは、中国の体制変更を目指していくことを意味する。
 米国は、「中国共産党から自由を守る」ために、自由民主主義の国々の新たな同盟を呼びかけている。イギリス、オーストラリア、インド、そしてわが国が連携の主要な対象となる。EU諸国や東南アジア諸国、台湾等も対象となるだろう。
 米国と中国の対決は、自由主義・資本主義・民主主義と共産主義・全体主義・権威主義の対決である。もし米国を中心とする勢力が共産中国との対決に敗れたら、世界は共産主義によって支配されるようになるだろう。もの凄いハイテクによって監視される社会になる。中国の軍事的な動きを封じつつ、経済的に追い込んで、共産党政権を崩壊させて、中国を民主化することができないと、中国は武力を行使し、力づくで覇権を拡大しようとして、戦争を起こすおそれがある。最悪の場合は世界核戦争になる。それを避けるためには、自由民主主義の国々は、協力し団結しなければならない。この大きな山を乗り越えた後に、はじめて“昼の時代”すなわち新しい文明が実現する時代が来るだろう。この山を乗り越えられないと、人類は自滅の道を進むことになる。
 米国では、今年11月3日に大統領選挙がある。共和党のトランプが勝てば、今述べたような対中政策が強力に実施されるだろう。民主党のバイデンが勝てば、中国に対する姿勢は、消極的で融和的なものとなるだろう。
 この選挙の結果は、日本にも大きく影響する。どういう結果になっても、日本人は、今日の香港は明日の台湾、将来の日本であるという危機感を持ち、真剣に最善の努力をする必要がある。

●結びに

 共産主義による世界支配を阻止し、自由、民主、人権、法の支配の共通価値を守るために、わが国の役割は重要である。これらの西洋文明的な価値をより良い形で実現することのできる、高次元の指導原理が、日本文明に伝わる共存共栄の精神である。日本人は、日本精神に基づいて日本を再建し、共存共栄の生き方を世界に広めていかなければならない。それ以外に、日本の滅亡、人類の自滅を避ける道はない。(了)

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仏教67~密教の伝来と発展、シナでの縁起説の展開

2020-10-12 16:17:21 | 心と宗教
●密教の伝来と発展
 
 唐の時代の最後に、シナに伝来したのが密教である。7世紀後半から、インドより善無畏(ぜんむい)、金剛智(こんごうち)が渡来して密教を伝えた。8世紀には、同じく不空が入唐(にっとう)して、唐代の密教を大成した。彼らは『大日経』『金剛頂経』等の密教の諸経典を翻訳し、密呪の念誦や加持祈祷等を教えた。その独自の修法が王室や貴族をとらえ、やがて民間にも流行した。
 密教では、宇宙生成の要素として地・水・火・風の四大を挙げ、これに空・識を加えて六大とする。その六大によって万有一切が展開するという六大縁起を説いた。これは、万有のあり方をすべて六大という根本要素によって説明しようとするものである。
 不空は、新しく『仁王護国般若経』を漢訳し、国家のために灌頂道場を置いた。それによって、密教の鎮護国家の役割を強めた。不空の弟子・恵果は、密教の秘奥を極めた。8世紀後半から9世紀の初めにかけて、代宗・徳宗・順宗という歴代皇帝の崇敬を受け、三朝の国師と仰がれた。また、民衆に密教を広めた。だが、9世紀後半の武宗の廃仏によって密教は衰退した。
 日本から入唐した空海は、805年に恵果から金剛界・胎蔵界の灌頂を受け、教法を伝授された。この年、恵果は没した。帰国した空海は、真言宗を開き、唐代密教を伝え、さらに独創的に発展させた。真言宗では、恵果を真言付法の八祖のうち第七祖と仰ぐ。

●シナ仏教における縁起説の展開

 さて、唐代まで述べたところで、シナ仏教における縁起説について記す。縁起説に関しては、教義の縁起の項目とインド仏教の項目に書き、シナでの展開は各宗派の項目に書いてきた。ここでそのシナでの展開をまとめておきたい。
 シナ仏教では、無自性縁起説を発展させた三論宗の真俗二諦縁起、空―仮―中の三諦に基づく天台宗の円融三諦縁起、『華厳経』に基づいて重々無尽を説く華厳宗の法界縁起、万有の根本要素として六大を挙げる密教の六大縁起等が説かれた。
 中観派の三論宗では、ナーガールジュナの無自性縁起説を発展させて体系化した真俗二諦縁起を説いた。真諦は絶対不変の真理で空の立場、俗諦は世俗的真理で有の立場をいう。真諦を説くには世俗の言語や思想を用いるしかなく、俗諦によらなければ真諦には至れないと主張し、真俗二諦は不二として縁起を論じた。
 天台宗では、空・仮・中の三諦に基づく円融三諦縁起を説いた。空諦は一切の存在には実体がないという真理、仮諦は一切の存在は縁起によって仮に存在するという真理、中諦は一切の存在は空・仮を超えた絶対のものであるという真理であり、これらの三つの真理が互いに融け合って、同時に成立している。こうした真理の構造において縁起を論じた。
 華厳宗では、現象世界をそのまま真如であると見る立場から、個々の事物・事象の中に一切が含まれ、すべての存在が互いに関連し合って生起しているとする法界縁起を説いた。一切のものが互いに相即相入する重々無尽の構造をいうので、重々無尽縁起とも呼ぶ。また、三界すなわち欲界・色界・無色界の縁起を一心の顕現として唱えるので、三界唯心縁起とも呼ぶ。
 密教では、宇宙生成の要素として地・水・火・風の四大を挙げ、これに空・識を加えて六大とする。その六大によって万有一切が展開するという六大縁起を説いた。これは、万有のあり方をすべて六大という根本要素によって説明しようとするものである。
 縁起説は、さらに日本においても展開された。縁起説が上記のように多様化したことは、仏教がシナでも分裂を続け、多様性を増すばかりで、収束を観ないことをよく表している。仏教の内部において縁起説を統一できなければ、当然、他の宗教や思想を縁起説で統合することもできない。シナにおいて、仏教は儒教や道教を理論的に統合し得ないまま、長期的に衰退の道をたどった。

 次回に続く。

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