ほそかわ・かずひこの BLOG

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仏教64~シナ仏教の新訳時代、玄奘、法蔵

2020-10-05 10:19:46 | 心と宗教
●仏教の新訳時代

◆玄奘
 玄奘は、7世紀半ばの仏教の大翻訳家であり、三蔵法師または玄奘三蔵と呼ばれる。
 玄奘は、仏教の教学を研究するうちに様々な疑問がわき、特に唯識説をインドの原典によって研究したいと願うようになった。そして、629年に唐の国禁を破って、インドへの大旅行に出た。インドでは、ナーランダー僧院で唯識学を学び、各地を訪問した後、多数の聖典や仏舎利、仏像を持って、645年に長安に戻った。
 シナでは、2代太宗の庇護を受け、整備された翻訳組織を得て、死の直前まで翻訳に従事した。サンスクリット語の原典に忠実な翻訳に努め、また新しい訳語を用い、旧文体を一新した。それによって、翻訳の質が向上した。量的にも、玄奘以外の歴代の翻訳者たちが翻訳した聖典が469部1222巻であるのに対し、玄奘は一代で76部1347巻を翻訳したとされる。その聖典の中には、唯識論を中心に、アビダルマ論・仏教論理学(因明)等、貴重なものが多かった。彼の翻訳によって開かれた時代を、新訳時代という。7世紀半ば~9世紀にあたる。玄奘が当時のインドから新しい仏教思想を伝えたことで、シナの諸宗派での研究が進み、シナ仏教は最盛期に至った。また、玄奘訳の聖典は、以後の東アジアの仏教の基礎文献となった。
 インド仏教は中観派と唯識派が二大主流だが、シナ仏教は中観派の系統を中心に発達し、唯識説の研究は不十分だった。玄奘が、天台の教学でそれまで軽視されていた唯識説を伝え直したことによって、シナ化していた仏教は再考を求められた。彼の弟子の慈恩大師・基(き、窺基[きき])は、唯識法相宗の開祖となった。玄奘を同宗の開祖とする場合もある。
 玄奘が帰国直後に、皇帝の求めに応じてまとめられた旅行記『大唐西域記(だいとうさいいきき)』は、7世紀前半の中央アジアやインドの地理・風俗・文化・宗教等を伝える重要な文献である。また、三蔵法師や孫悟空が活躍する『西遊記』の題材となったことで知られる。

◆義浄
 玄奘に続く新訳時代の翻訳者には、義浄や法蔵等がいる。
 義浄は、法顕や玄奘を慕って671年にインドに渡った。約25年滞在した後、戒律に関する原典など約400の聖典を携えて帰国し、洛陽に入った。その後、その翻訳を行なった。『金光明経』等の多数の聖典を訳出し、また『華厳経』の新訳に加わるなどした。また、『大唐西域求法高僧伝』『南海寄帰内法伝』を執筆した。特に後者は、玄奘の『大唐西域記』と並んで、当時のインドを知ることのできる貴重な文献となっている。

◆法蔵
 7世紀後半から8世紀の初め、賢首大師(げんじゅだいし)法蔵は、『華厳経』の翻訳に加わり、華厳教学を大成した。シナの華厳宗第三祖とされる。
 法蔵は、若き日に華厳宗第二祖の智儼(ちごん)から『華厳経』を学んだ。則天武后の厚い信任を得て、その命を受けて祈祷や供養等で大任を果した。中央アジアから実叉難陀(じっしゃなんだ、シャクシャーナンダ)が『華厳経』の原典を持ち来たり、則天武后の命により、菩提流支(ぼだいるし)、義浄とともに訳出した際、法蔵は筆受の任にあたった。また、各地に華厳寺を創建し、多くの弟子を育てたほか、『華厳経』に関するものを中心に多数の著書を残した。
 教学に関して、法蔵は、智顗の法華経至上主義に対抗して、『華厳経』を最高位に置く五教十宗の教判を立てた。
 五教は、いっさいの仏教を教説の浅深によって5段階に分けたものである。すなわち、(1)小乗教(阿含経、アビダルマ論)、(2)大乗始教(唯識説、中観説)、(3)大乗終教(如来蔵説)、(4)大乗頓教(とんぎょう)(『維摩経』等。後に禅宗が加わる)、(5)大乗円教(華厳教学)である。
 十宗は、五教をさらにそれぞれの中心となる説によって10に分けたものである。すなわち、(1)我法倶有宗、(2)法有我無宗、(3)法無去来宗、(4)現通仮実宗、(5)俗妄真実宗、(6)諸法但名宗(以上は小乗教)、(7)一切皆空宗(大乗始教)、(8)真徳不空宗(大乗終教)、(9)相想倶絶宗(大乗頓教)、(10)円明具徳宗(大乗円教)である。
 以上の五教十宗において、華厳教学が最高位に置かれ、大乗円教にして円明具徳宗とされる。そして、一切の事象が互いに融合して障害となっているものがない円融自在の事々無礙の教えとされる。ちなみに、智顗は、華厳教学を五教八時の第一の華厳時に充て、釈迦が相手の能力を顧みることなく、悟りの内容を語った時期の教えとしている。
 縁起説について、華厳宗では、現象世界をそのまま真如であると見る立場から、個々の事物・事象の中に一切が含まれ、すべての存在が互いに関連し合って生起しているとする法界縁起を説いた。法界縁起説は、宇宙を現象と本体から、4種の様相に類別する。第一の事法界は、すべての事物は個々に存在するととらえた差別的な現象の世界である。第二の理法界は、すべての事物の本体は真如であるととらえた平等的な本体の世界である。第三の理事無碍法界は、現象の世界と真如の世界は同一であるととらえ、現象界と本体界の両者が融通する一体不二の世界である。第四の事事無礙法界は、すべての事物は互いに縁起し合う存在であるととらえ、それらの一つ一つが相互に交流し融合する真実の世界である。
 法界縁起は、一切のものが互いに相即相入する重々無尽の構造をいうので、重々無尽縁起とも呼ぶ。また、三界すなわち欲界・色界・無色界の縁起を一心の顕現として唱えるので、三界唯心縁起とも呼ぶ。

 次回に続く。

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