ほそかわ・かずひこの BLOG

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仏教66~禅宗の伝来と発展

2020-10-10 10:09:53 | 心と宗教
●禅宗の伝来と発展
 
 浄土宗とともに、唐代の仏教に新風を起こしたのは、禅宗である。浄土宗と禅宗は、それまでの諸宗派が教学の研究を重視する学問的な仏教であるのに対し、もっと実践的な仏教である。複雑高度・煩瑣難解な教理を論じることより、念仏や座禅を実行することを中心とする。シナ仏教は、翻訳と研究を主としていた時代から、浄土宗と禅宗によって実践主体の時代に移ったともいえる。
 禅宗は、6世紀にインドから菩提達磨が伝えた禅を受け継ぎ、禅の実践そのものを中心とした宗派である。仏教の実践は本来、戒すなわち戒律、定すなわち瞑想、慧すなわち悟りの智慧の三つが備わっていなければならず、戒を守り、定を修めることによって、慧が得られるというものである。だが、シナでは、定の行法である座禅のうちに、戒も慧もあるとして、座禅に特化した禅宗が発達した。
 初期の禅宗は、『楞伽経(りょうがきょう)』を重視した。『楞伽経』は、唯識説と如来蔵思想が融合したインドの後期大乗仏教の思想を表している。禅を段階的に愚夫所行禅・観察義禅・攀縁如禅・如来禅の4種類に分類して、仏教以外の諸宗教の禅、部派仏教の禅、大乗仏教の空の思想の禅に対し、究極の禅は如来禅だとする。禅宗では、菩提達磨が伝えたものが、この如来禅だとした。また、禅宗では、『楞伽経』は、釈迦が晩年に自分は一生何も説かなかったと述懐したと伝えるものと理解し、禅僧たちは、仏の悟りは経文に説かれるのではなく、心から心に直接伝えられるものだとした。そして、教外別伝・不立文字・以心伝心を旨とした。
 禅宗は、第五祖弘忍の後、7世紀後半に南北二宗に分裂した。当初は、北宗禅が優勢で、南宗禅は少数派だった。北宗禅では、神秀(じんしゅう)を第六祖とする。神秀は、儒仏道三教を学んで精通した学者だったが、出家して禅を修め、則天武后に国師として迎えられた。同門の慧能は、彼とは対照的に、農民出身であまり学問知識がなく、直感的な傾向が強かった。『楞伽経』ではなく、『金剛般若波羅蜜経』(略称『金剛般若経』)を重視した。この経典は般若経に属し、空の語は使われていないが、一切のものにとらわれずに超越すべきという空の思想が説かれている。神秀の弟子・荷沢神会(かたくじんね)は独立して北宗禅を批判し、慧能を第六祖、自分を第七祖として南宗禅を確立した。以後、慧能の系統の南宗禅が禅宗の主流となっていった。この系統に、「平常心是道」と説く馬祖道一(ばそどういつ)が現れた。
 通説によると、北宗禅は、順序を追って修行を積み重ねて、悟りを目指す漸次修行を特徴とする。南宗禅は、頓悟といって修行の段階を経ずに、一挙に悟るという速疾一念を主張する。これを南頓北漸という。仏教の禅はインドの伝統的な瞑想法であるヨーガの一種だが、インドでは、ヨーガによって簡単に悟りに達し得るなどとは説いていない。インド仏教では、解脱への道は、何年もの間、厳しい修行をして、段階的に悟りを目指して進んでいくものだった。それは、何世紀にも及ぶ長い間の経験に裏付けられた知恵だった。ところが、南宗禅は一挙に悟りを得ることが可能だとする。これは、シナ独自の発想であり、その安易安直な姿勢は、大きな誤解に基づくものといわざるを得ない。禅宗は、シナ化の進んだ仏教を本来の姿に戻そうという動きであるが、結果として、最もシナ的な特徴を持つ宗派を生み出すことになった。
 シナの仏教は、唐の武宗の廃仏で大打撃を受けた。聖典は焼却され、僧尼は還俗させられた。権力の弾圧の手から逃れる僧侶は、山間部に移って住み着いた。その環境では、多くの経典・論書はなく、満足に教学の研究はできない。自給自足の生活をしながら、坐禅に打ち込むしかない。そのことが、かえって、禅宗が発展する社会的条件になった。また、禅宗の指導者たちは、シナ文明の土着的・伝統的な思想・文化と対立して迫害を招かないように努めた。そのため、禅思想はシナの固有の思想、特に老荘思想の影響を強く受けるようになった。
 唐代以降、南宗禅は栄えたが、北宗禅は衰退した。南宗禅から臨済宗・曹洞宗・雲門宗・潙仰宗・法眼宗が生まれ、臨済宗から黄龍派・楊岐派が生まれた。合わせて、五家七宗という。
 これらの中で、最も栄えたのは、臨済宗である。宗派名は、開祖臨済による。臨済は、教義教学によらず直接に弟子たちの自覚を求めて、棒で打ったり、厳しい喝を与えたりした。その言行は弟子によって、『臨済録』にまとめられた。曹洞宗は、良价(りょうかい)を開祖とする。宗派名は、慧能の住んだ曹渓と良价の住んだ洞山にちなむ。もっぱら座禅し無念無想となることを修行する禅を行った。臨済宗の側からは禅の陥りやすい誤りとして、黙照禅と呼ばれる。逆に、公案という課題を考えて理解することによって大悟に至ろうとする臨済宗の禅風は、曹洞宗の側から看話禅と呼ばれる。
 シナの禅宗は、やがて浄土思想を取り入れるようになり、禅浄の融合が進んだ。座禅の修行を通じて自力で解脱できなければ、最後は念仏を通じて阿弥陀如来によって極楽往生させてもらえるように信仰するということだろう。

 次回に続く。

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