ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

キリスト教133~ベルクソン:愛の飛躍による人類の進化

2018-12-18 09:26:09 | 心と宗教
●ベルクソン~愛の飛躍による人類の進化

 アンリ・ベルクソンは、1859年にポーランド系ユダヤ人を父、イギリス人を母としてフランスに生まれた。20世紀前半を代表する哲学者の一人であり、また当時の世界的知性の一人として尊敬を集めた。
 ベルクソンは、自分の哲学を意識に直接与えられたものの考察から始めた。ベルクソンは、一般にいう時間とは、空間的な認識を用いた分節化によって生じた観念であると批判した。そして、分割不可能な意識の流れを「持続」(durée)と呼んだ。そして、意識は、異質なものが相互に浸透しつつ、時間的に継起する純粋持続として、自由であることを主張した。
 次に、ベルクソンは心身問題を考察した。実在とは持続であるとする立場から、持続が弛緩した極限は、記憶を含まない瞬間的・同時的な純粋知覚としてのイマージュであり、持続の緊張の極限は、すべての過去のイマージュを保存する持続的な純粋記憶である。前者が物質であり、後者が精神であるとした。身体と精神は、持続の律動を通じて相互に関わり合うことを論証し、デカルトの物心二元論を乗り越えようとした。
 こうして持続の一元論から意識・時間・自由・心身関係を説くベルクソンは、その学説をもって、生命とその進化の歴史を考察した。その取り組みは、ダーウィンの進化論を受け入れつつ、進化論から人間の精神性を守ろうとするものだった。
 1907年刊の著書『創造的進化』は、持続は連続的に自らを形づくる絶えなき創造であるという思想に基づく。ベルクソンは、事物を固定して空間化する知性や、限られた対象に癒着した本能では、持続としての実在の把握はできない。自己を意識しつつ実在に共感する直観によらなければならないと説いた。そして、進化を推し進める根源的な力として、「生の躍動」(élan vital、エラン・ヴィタール)を想定し、エラン・ヴィタールによる創造的進化として生命の歴史をとらえた。生命の根源には、超意識がある。超意識に発する生命は、爆発的に進行しながら、物質を貫いていく流れである。その流れは、動物・植物に分かれ、様々な種に分裂してきた。その先端に、自らを意識する人類が立っていると見た。
 さらにベルクソンは、この創造的進化説をもとにして、1932年刊の『道徳と宗教の二源泉』においては、人類の精神的な進化を論じた。人間性を特色付けるものは、道徳と宗教である。ベルクソンは、この二つを単に文化科学的にではなく、どこまでも生物現象の発展としてとらえ、生物現象においてすでに現れる社会生活を土台にして道徳と宗教を論じようとした。
 道徳と宗教の第一の源泉は、自然発生的な「閉じた社会」における防衛本能である。その社会は、社会的威圧が個人を支配する停滞的・排他的な社会であり、閉じた道徳と迷信的な「静的宗教」に支えられている。道徳と宗教の第二の源泉は、愛である。「閉じた社会」は、実在を直観によって把握する道徳的英雄や宗教的聖者の働きかけによって、「開かれた社会」に飛躍し得る。開かれた道徳は特権的人格のうちに体現され、それを模倣する人々によって実現する。「静的宗教」は、愛を人類に及ぼす「動的宗教」に替わると説いた。生が真に創造的であるなら、生命は生物的人類をさらに突き破って前進すべきではないか。それを実現するものこそまさに動的宗教である。動的宗教とは創造的宗教であり、それこそ真に生命を無限の創造に導くものである、とベルクソンは説いた。
 ベルクソンによると、開かれた魂の出現は、唯一の個体からなる新しい種の創造であり、生命の進化の到達点を示す。彼らの愛は人類を包み込み、動植物や全自然にまで広がる。その愛は、特権的な人々に全面的に伝えられた「生の躍動」であり、彼らは「愛の躍動」(élan d'amour、エラン・ダムール)を全人類に刻印しようとする。われわれが彼らの呼びかけに応える時、人類は被造物である種から、創造する努力に変わり、人類を超えた新たな種が誕生するだろう、とベルクソンは述べた。
 ベルクソンは、宗教のもとにあるものとして神秘主義を評価した。「宗教とは、神秘主義が燃えたまま人類の魂のうちへおろしたものがーー知的冷却の作用によってーー結晶したもの」と見た。そして、「神秘主義の位置は、物質中を貫いて放出された精神の奔流が、おそらく達しようと望みながら現実には到達できなかった地点にある」とした。
 ベルクソンはユダヤ教を宗教的背景に持ちながら、カトリック教会にユダヤ教の完成形態を認め、完全な神秘主義は、愛としての神との合一を目指すキリスト教神秘主義であるとした。
 このように書くと、ベルクソンは、非科学的な神秘思想家だったと思う人がいるだろう。しかし、彼は、進化論のみならず、アインシュタインの相対性理論を哲学的に検討したり、実験科学的な心霊科学の進歩に期待するような、実証主義的・経験主義的な形而上学者だった。 
 ベルクソンは、大意次のように書いている。「科学がまず力を傾けたのは、物質だった……物質の科学的研究が精神のそれに先立って行われた……それは要するに、最も差し迫った仕事にまず取り掛からねばならなかったからである……幾何学から物理学へ、化学へ、さらに生物学へと広がっていったあの正確さ、厳密さ、そして証明を求める心へ、精神科学が独力で達することは望み得ぬことだったろう、--そうした要件が物質科学から精神科学へと跳ね返って新しい展開を見るまでは」と。
 ベルクソンは、人類の課題について、次のように述べた。「人類は今、自らのなしとげた進歩の重圧に半ば打ちひしがれてうめいている。しかも、人類の将来が一にかかって人類自身にあることが、十分に自覚されていない。まず、今後とも、生き続ける意志があるのかどうか、それを確かめる責任は人類にある。次にまた、人類はただ生きているというだけでよいのか、それともそのうえさらに、神々を生み出す機械というべき宇宙本来の職分がーー言うことを聴かぬこの地球上においてもーー成就されるために必要な努力を惜しまぬ意志があるのかどうか、それを問うのもほかならぬ人類の責任なのである」と。
 ベルクソンは、機械文明が発達し、世界戦争が繰り返される危機の時代に、人類の精神的な進化を願い求めつつ、1941年に死去した。彼の思想は、進化論を全く否定する者には異端的な思想だが、キリスト教に対して、進化論を受け入れたうえで、宗教の意義を提示し得る可能性を示している。彼は、物質科学の成果を踏まえて人間の霊魂や超能力、死後の世界を科学的に研究する精神科学の発達によって、宗教がより高次のものに発展することを期待していたと見ることができる。

 次回に続く。

改正入管法は将来に禍根を残した~櫻井よしこ氏

2018-12-17 11:43:25 | 時事
 入管法の改正案が国会で審議されていた12月3日、櫻井よしこ氏が理事長を務める国家基本問題研究所は、緊急政策提言を出しました。一般永住の急増を止めるため、入管法改正案の付帯決議に「入管法22条の厳格な運用」という文言を入れることを提言したものです。
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/8943855d1a3c9b46d8ad63fe70bb7290
 参議院法務委員会で12月8日に採択された付帯決議には、「政府は、本法の施行に当たり、次の事項について格段の配慮をすべきである」として、「十 近年の我が国の在留外国人数の増加を踏まえ、在留外国人からの永住許可申請に対しては、出入国管理及び難民認定法第二十二条第二項の要件の適合性について、厳格に審査を行うこと」と盛り込まれました。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/gianjoho/ketsugi/197/f065_120801.pdf
 この決議を受けて、政府がどの程度、一般永住の急増を抑えるかどうか、しっかり見守っていかねばならないと思います。
 さて、櫻井氏は、改正入管法について、非常に重要な意見を述べています。櫻井氏は、2017年末で一般永住者が75万人いて、その3分の1となる25万人 が中国人であることを指摘し、次のように書いています。
 「一般永住者は日本人と同等の権利を与えられた外国人と考えてよい。滞在期間は無制限で、配偶者や子供にも在留資格が与えられる。活動も日本国民同様、何ら制限もない。彼らが朝鮮総連のような祖国に忠 誠を誓う政治組織を作ることも現行法では合法だ。
 他方中国政府は10年に国防動員法を制定し、緊急時には海外在住の中国国 民にも国家有事の動員に応ずることを義務づけた。仮に、日中両国が紛争状態に陥った時、在日中国人が自衛隊や米軍の活動を妨害するために後方 を攪乱する任務に就くことも十分に考えられる」と。
 以下は、櫻井氏の記事の全文

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20181212
◇「将来に禍根残しかねない入管法改正案」櫻井よしこ

 安倍晋三首相も自民党も一体どうしたのか。まるで無責任な野党と同じで はないか。
 外国人労働者受け入れを大幅に拡大する出入国管理法改正案についての国 会論戦を聞いていると、普段は無責任な野党の方がまともに見える。それ 程、自民・公明の政権与党はおかしい。
 11月2日の閣議決定に至るまで、同法について自民党の部会で激しい議論 が何日間も続き、発言者の9割が法案に強く反対した。しかし結局、外国 人労働者の受け入れを大枠で了承し、法律の詳細は省令で決定するという 異例の決着を見た。
 深刻な人手不足ゆえに倒産が相ついでいるといわれる建設業界や介護業界 の悲鳴のような要請を無視できないという事情はあるにしても、この法改 正は将来に深刻な禍根を残しかねない。
 今回の改正で受け入れる外国人の資格として「特定技能1号」と「2号」が 設けられ、「1号」の労働者の「技能水準」は「相当程度の知識又は経験 を必要とする技能」とされた。「2号」の労働者の技能水準は「熟練した 技能」とされた。
 前者の「相当程度」とはどんな程度なのか。後者の「熟練」とはどの程度 か。いずれも定義されていない。
 眼前の人手不足解消のために何が何でも外国人を入れたいという姿勢が見 てとれる。あえていえば政府案は外国人の野放図な受け入れ策でしかない。
 外国人は単なる労働者ではない。誇りも独自の文化も家族もある人間だ。 いったん来日して3年、5年と住む内に、安定した日本に永住したくなり、 家族を呼び寄せたくなる人がふえるのは目に見えている。その時彼らが機械的に日本を去るとは思えない。すると日本社会にどんな影響が出るだろ うか。欧州諸国は移民を入れすぎて失敗した。政府は今回の受け入れは移 民政策ではないと繰り返すが、5年間で最大34万人とみられる労働者が事 実上の移民にならないという保証はない。
 日本にはすでに258万人の外国人が住んでいるのである。その中で目立つ のは留学生の急増だ。2013年末に19万人だったのが17年末までの4年間に 31万人にふえた。技能実習生は16万人から27万人に、一般永住者は66万人 から75万人にふえた。
 日本には特別永住者と一般永住者の2種類がある。前者は戦前日本の統治 下にあった朝鮮半島や台湾の人々、その子孫に与えられている地位であ る。彼らは日本に帰化したり日本人と結婚したりで、日本への同化が進 み、その数はこの4年間で37万人から33万人に減少した。
 問題は一般永住者である。シンクタンク「国家基本問題研究所」研究員の 西岡力氏の調査によると、17年末で75万人の一般永住者の3分の1、25万人 が中国人だ。一般永住者は日本人と同等の権利を与えられた外国人と考え てよい。滞在期間は無制限で、配偶者や子供にも在留資格が与えられる。 活動も日本国民同様、何ら制限もない。彼らが朝鮮総連のような祖国に忠 誠を誓う政治組織を作ることも現行法では合法だ。
 他方中国政府は10年に国防動員法を制定し、緊急時には海外在住の中国国 民にも国家有事の動員に応ずることを義務づけた。仮に、日中両国が紛争状態に陥った時、在日中国人が自衛隊や米軍の活動を妨害するために後方 を攪乱する任務に就くことも十分に考えられる。
 一般永住資格はかつて日本に20年間居住していなければ与えられなかった が、98年に国会審議もなしに、法務省がガイドラインで「原則10年以上の 居住」に緩和した。その結果、20年間で9万人から75万人へと、8倍以上に ふえた。今回の外国人労働者の扱いだけでなく、一般永住者の資格も含め て日本国として外国人政策の全体像を見直す時であろう。
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キリスト教132~世界大戦とキリスト教の混迷

2018-12-15 12:14:10 | 心と宗教
●世界大戦とキリスト教の混迷

 1914年7月に始まった第1次世界大戦は、英仏対独の戦いが主軸となった。フランスは、西部戦線で短期決戦を目論むドイツの侵攻を受け、パリ近郊まで攻め込まれた。しかし、9月のマルヌの戦いでドイツの進撃を阻止し、戦闘は塹壕戦に突入した。その後、戦闘はこう着状態になり、18年11月まで約4年4ヶ月続いた。主戦場となったフランスは、戦勝国となりながら、被った被害も大きかった。
 大戦の終結後、世界は安定せず、再び世界大戦が勃発した。1940年5月、ナチス・ドイツが電撃的な作戦を開始し、対独防衛のために構築していたマジノ線は、やすやすと突破された。今度はパリが占領され、第3共和制は崩壊して、ヒトラーの傀儡、ヴィシー政権が成立した。4年と約4ヶ月にわたって、フランス人は、鉤十字(ハーケン・クロイツ)に服従を強いられた。独立を回復できたのは、米英がドイツを打ち破ったからだった。
 世界大戦が繰り返される状況において、イエスの教えはほとんど無力だった。愛ではなく憎しみが、救いではなく殺戮が、大地を海を空を覆った。地球は、キリストの名においてキリスト教徒が異教徒を巻き込んで殺し合う修羅場と化した。
 そうした時代に、フランスには、人々に伝統的なキリスト教の枠を超えて、精神的な糧を与える思想家が現れた。アンリ・ベルクソンとピエール・ティヤール・ド・シャルダンである。

●ダーウィンの衝撃

 ベルクソンとティヤール・ド・シャルダンに共通するものは、キリスト教の肯定と進化論への独創的な対応である。そこで彼らについて書くために、ここで彼らが対応した進化論について述べる。
17世以来の科学の発達による世界観の変化、資本主義の発展による経済生活の変化、理神論や啓蒙主義、無神論の普及による思想的な変化が急速に進み、西方キリスト教徒の一部は、キリスト教を単純には信じなくなっていた。そこに登場したのが、進化論である。
 進化論は、フランスの博物学者ジャン=バティスト・ラマルクにはじまる。彼は、19世紀の初めに、無機的世界だけでなく、生物の世界でもあらゆる物が変化する可能性があると説いた。その理論は、用不用説と獲得形質の遺伝説として知られる。
 ラマルクらの進化要因論を発展させてキリスト教の世界に大きな衝撃を与えたのが、イギリスの思想家、生物学者のチャールズ・ダーウィンである。
 ダーウィンは、1859年に刊行した『種の起源』で、進化要因論を体系的に提示し、センセーションを巻き起こした。ダーウィンは、海軍の観測船ビーグル号の探険航海に参加し、ブラジル、ペルー、ガラパゴス島、ニュージーランド、オーストラリアなどの世界各地を見てまわった。その間、膨大な数の動植物や化石の観察記録を作った。それをもとに、ラマルクらの進化要因論を独自に考察し、生き残ろうとする個体間の競争に基づく自然淘汰説を提唱した。これは、突然変異によって現れた個体が自然によって選択されることによって種の進化が起るという仮説である。聖書は、神が天地創造の後、すべての種を創造したと書いているので、ダーウィンの主張はこれと真っ向から対立するものである。
 さらにダーウィンは、1871年の著書『人間の由来』で、人間と類人猿はよく似ているので、これは過去同じ祖先の猿から分かれて進化したに違いないと論じた。聖書は、神が土くれからアダムを造り、アダムの肋骨からエヴァを造ったと書いているので、キリスト教界を中心に非難・反論が巻き起こった。彼の進化要因論は仮説に過ぎず、実験によって実証することは出来ていない。だが、彼の理論がキリスト教に与えた衝撃は、大きかった。天動説から地動説への転換に次ぐほどに大きな衝撃だった。
 ベルクソンとティヤール・ド・シャルダンは、ダーウィンの衝撃を受け止め、キリスト教を肯定する立場から進化論に基づく独創的な思想を提示して、人々に精神的な糧を与えた。

 次回に続く。

日本は中国共産党の工作にしてやられている

2018-12-14 09:38:23 | 国際関係
 フェイスブックの友達である中塩秀樹氏が掲示した情報を掲載にて紹介します。

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 呉竹会代表幹事・藤井厳喜氏(国際政治学者)が、機関誌『青年運動』第975号(平成26年5月15日)に「呉竹論考:シナ共産党幹部の日本侵略指令」を書いている。以下転載する。
某情報専門家から以下の様な情報を得た。対日工作に関するシナ共産党幹部の部下への指導訓話である。

 「日本人は本当にバカだ。この40年、我々は日本のカネと技術を吸い上げ、その御蔭で国を富ませ、その経済力で国防力を充実させて、今や日本を侵略するのに十分な力を蓄えたのだ。日本は自分の手で自分の首を絞めているようなものだが、未だにそのことに気が付かない。彼らの愚かさは無限大だ」

 「中国は過去2回、本格的に日本を制覇しようとして失敗している。1回は元寇で、第2回目は日清戦争だった。過去2回の失敗の原因は明らかである。第1回は愚昧なモンゴル人がそれを行い、第2回はこれまた愚鈍な満洲人がこれを行ったからだ。今度は我々、優秀な満民族が行うので、我が国の日本制圧は必ず成功する。日本には『三度目の正直』という諺があるというではないか」
 「過去2回の日本属国化が失敗した理由の一端は、日本が団結していたからだ。しかし今や、日本の政財官界には、我が方の工作員が溢れるほどいる。日本の政治家は完全に我々の賄賂漬けだし、日本のマスコミには我々の洗脳が行き届いている」

 「第二次大戦で日本は米軍に負けたと思っているが、実は中国に負けたのだ。つまり中国に翻弄され、米英と対決せざるを得なくなったのだ。中国共産党は、国民党を操り、国民党は米英を操って日本にぶつけさせた。夷を以て夷を制するという中国の伝統的戦略である。米日は中国に操られて戦闘に突入したのだ」

 「昔の日本人は勇敢ではあったが、単細胞で、我々優秀な中国人の謀略の敵ではなかった。今の日本人は昔のように勇敢でもないし、もっと謀略には弱い。日本人を騙すことなどは、赤子の手をひねるより簡単だ。それ故、日本属国化は必ず成功する。諸君は自信をもって対日謀略を進めてもらいたい」

 「我々はチベットやウイグルを完全に制圧した。ここまでやっても日本人は自らの危険を察知しないというのだから、その愚かさにも程がある。こういった国民は滅ぶしかないのだ。それが彼らの天命である」

 「日本人は1947年に台湾で起きた228事件のことを知らないようだ。敗戦時の台湾は日本の一部であった。228事件は戦勝国としての中国が敗戦国としての日本を侵略した結果、起きたものだ。国民党軍は台湾の知識階級を中心にその人口の1%を殺戮した。我々共産党が日本本土を制圧したときは、もっと徹底した粛清を行わなければならない」

 「日本人は米国を頼りにしているようだが、米国はスッカリ弱体化している。慰安婦問題と南京虐殺での反日宣伝は大きな効果をあげ、米世論は反日に傾いている。米政財界の主要人物には、たっぷり我々の賄賂がいきわたっている。オバマ大統領の弟は、十数年も中国で生活し、完全に我々のコントロール下にある。先日、米大統領は、その妻子まで我が国に送り、我が国に対する忠誠ぶりを見せてくれた」

 「我々中国人は、広島と長崎に原爆が落ちたのを知って、欣喜雀躍した。第三発目の原爆は我々が日本に落とすことになるだろう。日本人は原爆で米国に降伏したのだから、今度は我々が日本に原爆を投下すれば、中国に降伏するに違いない。

 「それにしても、トウ小平同志以来、我々の先輩たちは、日本をまことに上手く手玉にとってきたものだ。我々は今日も核ミサイルの照準を日本の大都市に当てているが、日本にはいまだに憲法9条支持者がいるというのだから、彼らの馬鹿さ加減にはあきれてものが言えない。勿論これは我々の対日工作の偉大な成果でもあるのだが、国民の資質が元々劣っているから我が国の謀略に容易に騙されるのだ」

 「日本の現政権が、移民自由化の方向に政策を変更しつつあるのは、大変良い兆候だ。我々はすでに経済的には華僑・華人の力によって、東南アジアを乗っ取っている。オーストラリアは乗っ取ったも同然だ。豪州の白人は我々の言うがままだ。日本の移民政策が自由化されれば、優秀な中国人が日本に殺到し、軍事力なしで、労せずして、日本を制覇することができるようになるかもしれない」

 「いずれにしろ我々は、硬軟さまざまな作戦をもって、日本を必ず制圧し、我が中華人民共和国の倭人自治区としなければならない」 (中塩秀樹)
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 まさにこれが中国共産党の対日工作の要諦でしょう。政府・国民を挙げて対抗戦略を立て実行しなければ、日本は亡国への道を転げ落ちます。この日本史上最大の危機を乗り越えるために必要なことーーそれは日本人の魂、日本精神の復興です。それなくして、この危機を克服することはできません。

キリスト教131~ナポレオン以後のフランスの変遷と発展

2018-12-13 10:50:47 | 心と宗教
ナポレオン以後のフランスの変遷と発展
 
 ナポレオンが没落すると、フランスは共和制に戻ったのではなく、王政に復帰した。王政復古の後は、七月王政、第二共和制、ナポレオン3世による第二帝政などと、フランスの政体はめまぐるしく変化し、不安定な時代が続いた。
 この間、人権に関しても動揺が続いた。1789年の人権宣言は、人権思想の発達において、確かに画期的な内容ではあった。1791年憲法がその一部として宣言をそのままこれを取り入れ、実定法の規定ともなった。だが、宣言は、フランスにおいて多くの国民が納得するようなものではなかった。むしろ対立・抗争の可能性をはらんでいたから、宣言発布の後、1795年までの6年間に3つの権利宣言が出し直されることになった。その後もフランスは政体の変化に伴い、 1814年憲章における権利宣言、1848年憲法の権利宣言が出され、そのたびに権利・義務に関する規定は変化した。
 1848年、第二共和制下の人民投票によって、ナポレオン・ボナパルトの甥であるナポレオン3世が、大統領になった。ナポレオン3世は51年にクーデタを起こし、翌年にフランスの皇帝の地位に就いた。
 ナポレオン3世は、1860年まで専制支配を行い、対外膨張と産業資本の利益擁護政策を推進した。フランスは、イギリスに次ぐ植民地帝国だった。北米、南米、アフリカ、中東、アジア等に進出し、各地域に植民地を持っていた。武力で獲得した土地で、カトリック教会の宣教師はキリスト教を伝えた。フランスは、イギリスが1840年のアヘン戦争でシナ文明の清王朝に貿易制限を撤廃させると、イギリスと組んで、56年にアロー号戦争を起こした。英仏連合軍は、広州・天津・北京を占領し、清と北京条約を結び、開港場の追加やキリスト教布教の自由を認めさせた。これにより、列強による清の半植民地化が決定的なものとなった。各国のキリスト教会がシナで宣教するなか、フランスのカトリック教会もシナでの宣教を進めた。
 ナポレオン3世は、ビスマルクを宰相とするプロイセンの強大化を恐れ、1870年、プロイセンに宣戦を布告し、普仏戦争を開始した。しかし、セダンの戦いでプロイセン軍の捕虜となり、第二帝政は崩壊した。プロイセン王ヴィルヘルム1世はヴェルサイユ宮殿でドイツ皇帝に即位し、ドイツ帝国の成立が宣言された。フランスは敗戦により、プロイセンはアルザス=ロレーヌ地方を割譲した。
 フランスは、第3共和制に変わった。イギリスは1870年代から帝国主義政策を推進した。フランスもこれにならった。イギリス、ドイツ、ロシア等と互いに資源と市場を求めて争った。アフリカや中東、アジア等で、帝国主義諸国による再分割の争奪戦を繰り広げた。

●ユダヤ人の解放と反ユダヤ主義

 ここで、フランス市民革命におけるユダヤ人の解放とその後の反ユダヤ主義について書きたい。
 フランスではカトリック教会の権威が増大した14世紀末に、ユダヤ人に対する迫害が進んだ。1394年には追放に至った。それがフランス革命を機に一転し、ヨーロッパで初めてユダヤ人の解放が実現した。
 1789年の人権宣言は、第1条に「人は、自由かつ権利において平等なものとして生まれ、生存する」と謳った。宣言が謳う自由と権利は、ユダヤ人にも適用されるようになった。
91年9月、人権宣言のもと、国民会議はユダヤ人解放令を出し、フランスのユダヤ人に完全な市民権を認めた。これは、西欧におけるユダヤ人の歴史において、画期的なことだった。
 フランス革命が起ったパリ盆地は平等主義核家族が支配的な地域なので、自由だけでなく自由と平等を価値とする思想が展開された。英米と異なり、自由だけでなく、平等を重視する。平等の重視は、政治的にはデモクラティックになり、急進的になる。フランスでは、それが過激な革命運動となった。また、一方で、宗教の違いにかかわらず平等の権利が保障され、ユダヤ人の地位が向上した。
 フランス革命でユダヤ人にも市民権が認められると、その影響が他の国にも広がった。1796年にはオランダ、1798年にはイタリアのローマ、1812年にはプロシアというように、次第にユダヤ人の平等権が保障されるようになった。
 とはいえ、実態としてのユダヤ人差別は、根強く残っていた。そうした18~19世紀の西欧で、ユダヤ人を会員として分け隔てなく受け入れたほとんど唯一の友愛団体が、フリーメイソンだった。
 フリーメイソンは、宗教の違いを超えて会員を受け入れることを原則としていた。中世以来、差別されていたユダヤ人は、近代化の進むキリスト教文化圏で、ゲットーでの生活から抜け出て社会に参入しようとしていた。そのために、自由を求めて、フリーメイソンに入会しようとした。フリーメイソンは、ユダヤ人にとって、キリスト教徒と対等な立場で仲間づきあいができる外にない場だった。メイソンの会員であることは、社会的地位の高さを示すから、ユダヤ人富裕層が入会を求めて殺到した。ユダヤ人の参加に困惑し、制限するロッジもあったが、受け入れるロッジもあった。ユダヤ人にとってフリーメイソンは非常に居心地がよかったので、やがてユダヤ人ばかりになった支部も多く出現した。それに対する警戒や反発も存在した。
 ユダヤ人は市民革命を通じて、自由と権利が拡大された。ところが、その約100年後、アンチ・セミティズム(反ユダヤ主義)の高揚に直面することになった。
 アンチ・セミティズムは、東欧、ロシア、フランス、オーストリア等に広がった。ロシアでは帝政末期の混乱の中で、ユダヤ人を無差別に殺戮するポグロムが行われた。その波がフランスにも及んだ。1884年パリでアンチ・セミティズムの会議が開かれた。その10年後、反ユダヤ主義が増勢する中で、1894年にフランスでドレフュス事件が起こった。ユダヤ人砲兵大尉アルフレッド・ドレフュスがスパイ容疑の冤罪で、終身刑の判決を受けた。それがきっかけでフランス全土に反ユダヤの嵐が吹き荒れた。
 反ユダヤ主義は、フリーメイソンへの攻撃ともなっていた。ドレフュス事件で、ドレフュスを擁護する側の多くは、フリーメイソンだった。作家のエミール・ゾラや政治家でジャーナリストのジョルジュ・クレマンソーのようにメイソンでない者もいたが、反ドレフュス派はドレフュス擁護派をメイソンだとして非難し、フリーメイソンの禁止を求めた。そして、ユダヤ人とメイソンを同一視し、ユダヤ人はメイソンであり、メイソンはユダヤ人だという陰謀説が出来上がった。その説は以後、根強く続いている。
 どうして、ヨーロッパで初めてユダヤ人の解放をしたフランスで、反ユダヤ主義が高揚したのか。その背景には、家族型による価値観の影響がある。パリ盆地の中央部は、平等主義的核家族を主とする。平等主義核家族は、自由と平等を価値として、「人間は皆同じ」という普遍主義の考え方をする。ところが、フランスの周辺部では、直系家族が主になっている。直系家族は、権威と不平等を価値とし、「人間は皆違う」という差異主義の考え方をする。そのため、中央部は普遍主義的だが、周辺部は差異主義的である。これをトッドは「人類学的システムの二元性」と呼んでいる。中央部では世俗化が進み、周辺部ではカトリックが根強い。そして、周辺部の差異主義が時々、表に現れる。ドレフュス事件におけるようなアンチ・セミティズムがフランスで高揚したのは、こうした家族型に根差す背景がある。

 次回に続く。

キリスト教130~ナポレオンの宗教協約から政教分離法へ

2018-12-11 09:05:28 | 心と宗教
●ナポレオンの宗教協約から政教分離法へ

 ナポレオンが行った政教条約は、コンコルダートと呼ばれる。コンコルダートとは、ローマ教皇と国家君主との間で国際法の形式に準じて結ばれる条約をいう。教会と国家の関係を調整するための協定である。15世紀から歴代教皇は各国君主とこうした協定を結んできていた。
 フランス市民革命が勃発すると、絶対王政時代のカトリック教会の圧政や堕落に対する不満や批判が噴出した。カトリック教会は国教ではなくなり、国家管理下に置かれ、教会の十分の一税が廃止され、教会財産が没収された。そのため、革命政府とカトリック教会は激しく対立した。それが、社会的不安定の一つの要因となっていた。
 ナポレオンは、1799年に権力を握ると、それまでの革命政府の反カトリック政策を転換することとし、1801年、ローマ教皇ピオ7世との間でコンコルダートを結んだ。これによって、フランス政府とローマ教皇庁の対立状態を、修復した。この協約において、教皇ピウス7世はナポレオンの統領政府を正式に承認し、没収教会財産の返還要求をしないことに同意した。叙任権は、教皇が持つが、人選は第一統領が指名大権を持った。任命を受ける聖職者は、フランス国家への忠誠宣誓を必須とした。聖職者の公定俸給は国が支払うことになった。教区の変更の線引きは、教会と国家が協議して決めることになった。カトリック教会は、国教ではないが、それに近い「フランス人の最大多数の宗教」という立場になった。これを公認制という。
 教皇との和解は、ナポレオンが、カトリック教徒が多いフランスで人心をとらえる上で大きな役割を果たした。1802年に、ナポレオンが国民投票によって終身の第一統領に就任した際に、国民から熱狂的な支持を得たのは、彼の軍事的・外交的な能力とともに、この協定の実現にもよっている。教皇からフランス皇帝の指名を受けることができたのも、コンコルダートで教会との関係を修復していたからである。
 コンコルダートの締結以後、カトリック教会はフランスでの影響力を回復し、ナポレオン没落後の王政復古期には王権を支える勢力となった。だが、カトリック教会は、一枚岩ではなかった。17世紀前半のコルネリウス・ヤンセンの思想を継承するジャンセニスムは、アウグスティヌスに帰れと説いて、人間の自由意志の無力さ、罪深さを強調し、イエズス会、王権、ローマ教皇庁と激しく対立した。また、17世紀末のポシュエらによるガリカニスムは、国王が世俗的事項に関して教皇の裁可を免れることや公会議が教皇権に優越することを主張し、ローマ教皇庁からフランスの教会の独立を目指した。カトリック教会は、こうした反対勢力を内部に抱えていた。
 1870年に成立した第三共和政のもと、共和主義者・社会主義者が台頭し、国家の宗教からの中立を求める政教分離(セキュラリズム)を主張し続け、1905年に政教分離法が成立した。同法は、国家が信教の自由を認める一方、いかなる宗教も国家が特別に公認・優遇・支援することはなく、また国家は公共秩序のためにその宗教活動を制限することができることを明記した。また、公共団体による宗教予算の廃止、教会財産の信徒への無償譲渡、公教育での宗教教育の禁止等を定めた。これによって、ナポレオン以来のコンコルダートは破棄されることになった。
 フランスでは、政教分離法によって、政教分離の原則が確立された。ただし、同法は、礼拝への公金支出禁止の特例として学校の寄宿舎・病院・監獄・兵営には司祭の配置が認められるなど、厳密な政府と教会との分離ではなかった。フランスの政教分離は、国家の非宗教性・宗教的中立性を意味するライシテ (laïcité) の原則に基づく。ライシテが憲法に規定されたのは、1946年の第四共和制憲法である。以後、その原則がフランス憲法に引き継がれている。
 本題から離れるが、ここで政教分離のことについて述べておくと、わが国では、一部の憲法学者が日本国憲法は、国家と宗教の厳格な政教分離を定めたものだと解釈し、厳格分離が国家のあるべき姿と主張している。だが、政教分離は、政府と特定の教会(教派)の分離を定めるものである。すなわち、国教を設けることを否定したり、特定の教会(教派)を政府が公認・優遇・支援することを禁じるものである。政教分離を定めている国は、わが国のほか、アメリカ合衆国、オーストラリア等である。ただし、政教分離といっても、国家と宗教の関係をまったくなくすものではない。わが国では、日本国および日本国民統合の象徴である天皇は、神道の祭司として祭事を司る。このことは、日本が神道の伝統を保つ国家であることを表している。アメリカ合衆国では、大統領が就任の宣誓をする際に、聖書に手を置いて、神に対し宣誓することが慣習となっている。このことは、合衆国がユダヤ=キリスト教に基づく国家であることを表している。
 イギリスは、信教の自由を保障しつつ、英国国教会を国教とし、国王(女王)が国教会の首長を務めている。一部の北欧諸国(デンマーク、フィンランド、アイスランド)も信教の自由を認めながら、ルーテル教会を国教に定め、同教会に対してのみ政府は保護・支援を行なっている。イタリアは、第2次世界大戦後に制定された憲法でカトリック教会を国教に定めた後、1985年以降、政教条約(コンコルダート)方式に替わった。スイス、ベルギー、ブラジル等は、優勢な宗教を尊重する寛容令方式を取っている。
 国家と宗教の厳格分離は、国際標準ではまったくない。各国は自らの国の伝統に基づいて、国家と宗教のあり方をさだめているのである。
 また、西欧には、キリスト教に基盤とした政党が少なくない。イタリアでは第2次世界大戦後、旧キリスト教民主党が第一党を長く占めた。ドイツでは、現在、キリスト教民主同盟(CDU)が政権与党であり、キリスト教社会同盟(CSU)と連邦議会で統一会派を組んでいる。これらのキリスト教政党は、キリスト教内の特定の教派の政治団体ではなく、広い意味でのキリスト教を政治理念の根本に置いている。

 次回に続く。

改正入管法は、このままでは移民国家への一歩となる

2018-12-10 09:54:03 | 時事
 改正入管法が12月8日に成立しました。わが国は、未だ日本人自らの手による憲法の改正ができておらず、国家・国民・国防の意識が薄弱のまま、労働力確保という経済的な必要に駆られて、実質的な移民国家へと踏み出そうとしています。政界と財界の一部には、以前から日本を移民国家に変えようとする「移民受け入れ1000万人計画」があります。今回の法改正は、この計画へのひそかな一歩である恐れがあります。このまま進めば、混乱と衰退に行き着きます。国家百年の計を誤ったかと痛恨の思いです。早期に法の再改正、軌道修正が必要です。
 「移民受け入れ1000万人計画」が大問題であることについては、拙稿「トッドの移民論と日本の移民問題」の第6章に書いています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09i.htm

 改正入管法の問題点と課題については、12月9日付の産経新聞の社説(主張)がよく書いています。
「政府の説明とは裏腹に、「移民国家」への一歩を踏み出すものといわざるを得ない」「受け入れ業種は現在の14にとどまることなく、いずれ底なしに拡大していくことになろう」「多くの課題や制度上のあいまいさが山積している」「このまま施行されれば場当たり的な対応に追われ、現場は混乱しよう。法律は安易な社会実験の道具ではない。改めて熟議を重ね、根本部分からの法律の作り直しを強く求めたい」

 以下は、産経の記事の全文。

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●産経新聞 平成30年12月9日

https://www.sankei.com/column/news/181209/clm1812090002-n1.html
【主張】改正入管法の成立 2年待たずに見直し図れ 外国人受け入れ数の法定化を
2018.12.9 05:00|コラム|主張

 外国人労働者の受け入れ拡大を図る改正出入国管理法(入管法)が8日未明までの審議の末、成立した。政府の説明とは裏腹に、「移民国家」への一歩を踏み出すものといわざるを得ない。
 来年4月から新制度が実施される。だが、多くの課題や制度上のあいまいさが山積している。このまま施行すれば政府や社会の混乱は避けられまい。
 日本は今後、勤労世代人口の激減時代に入っていく。受け入れ業種は現在の14にとどまることなく、いずれ底なしに拡大していくことになろう。
 安い労働力の受け入れを続ければ産業構造の変革を遅らせる。生産性向上にブレーキがかかり、日本は衰退しかねない。

「移民国家」へ進むのか
 2年後の見直し時期を待つことなく、受け入れ数の上限と期限を法律で定める必要がある。
 改正入管法は、これまで認めてこなかった単純労働者の在留資格を新設し、実質的な永住に道を開く内容だ。来年4月からのスタートはあまりに問題が多い。具体的な対応策を示さないまま、政府・与党が強引に成立を図ったことは極めて遺憾である。
 新在留要件は一定の技能を持つ外国人を対象とするが、その水準は明示していない。運用上のばらつきが生じることはないのか。
 とりわけ問題なのが、今回の受け入れ構想が、現状の産業構造や国内マーケットの規模を前提としている点である。
 安倍晋三首相は目先の人手不足の解消を強調するが、日本の勤労世代は今後25年間だけでも1500万人近く減る。どの産業分野も人手が足りなくなることは火を見るよりも明らかだ。当面の14業種でとどまるはずはなかろう。
肝心の規模もあいまいだ。政府は来年度から5年間で最大34万5千人余との概数を示したが、法律には業種や人数は明記されていない。省庁が何を根拠に不足数を弾(はじ)き出したのかはっきりしない。
 政府は法律に明記すると、景気の動向や雇用情勢の変化に対し機敏な運用ができないとして、省令の「分野別運用方針」で正式な受け入れ数を定める。これでは恣意(しい)的な運用を招きかねない。
 人手不足が解消されれば受け入れを停止する仕組みだというが、何を基準に「解消」と判断するのかも不明確だ。
 これから減るのは働き手だけではない。当面増え続ける介護サービスなどは別にしても、人口減少に伴って国内市場は縮み、消費ニーズも変化する。外国人によって目先の人手不足を解消しても需給バランスは早晩崩れる。
 人口減少社会で重要なのは、安易に外国人で数合わせすることでは決してない。産業構造や社会構造の変革を急ぐことだ。ニーズや消費規模の変化を見通して、どのような仕事を、どれほどの期間と規模で外国人に委ねるのかを定めることが先決である。

いずれ日本の衰退招く
 こうした手続きを踏まずに「安い労働力」に依存すれば、新たな成長産業は生まれにくい。日本社会は輝きを失っていくだろう。
 人手確保の順番もおかしい。国内には働く意欲があるのに機会を得られない女性や高齢者がいる。非正規雇用に苦しむ若い世代も少なくない。なぜ日本人の処遇や労働環境改善を優先しないのか。
 一時的な人手不足が解消するとしても、日本人を含む労働者の賃金水準が押さえ込まれてしまうことへの目配りがなさすぎる。
 地方の人手不足を解決する決定打になるとはいえない。すでに外国人はよりよい仕事を求めて大都市圏に集中する傾向にある。その対策も示されていない。
 外国人の受け入れ体制にも疑念が残る。国会審議では技能実習生への人権侵害が次々に明らかになった。低賃金や違法残業、賃金未払いに加え、暴行も発覚した。
 政府は技能実習生と新設する在留資格は別物とするが、そんな理屈は通用しない。
 現状を改善した上で、新資格で来日する人々を含め外国人が安心して働き、暮らせる環境を整える必要がある。だが来年4月に果たして間に合うのか。
 このまま施行されれば場当たり的な対応に追われ、現場は混乱しよう。法律は安易な社会実験の道具ではない。改めて熟議を重ね、根本部分からの法律の作り直しを強く求めたい。
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キリスト教129~恐怖政治の中での理性の神格化と「至高の存在」の崇敬

2018-12-08 08:52:48 | 心と宗教
●恐怖政治の中での理性の神格化と「至高の存在」の崇敬

 国民議会に代わる立法議会では、共和制を主張するジロンド派が台頭した。立法議会は、1792年、亡命者送還の要求に応じないオーストリアに宣戦を布告した。ここでフランス市民革命は、国内の変革だけでなく、対外戦争を伴うものに拡大した。抗争と戦争の中で民衆はチュイレーリ宮を襲撃し、王権の停止を宣言した。また男子普通選挙による国民公会の招集が決定された。9月20日、国民公会は、王政の廃止と共和制の成立を宣言した。
 翌93年、ルイ16世と王妃マリー=アントワネットは、断頭台(ギロチン)で処刑された。イギリスの市民革命同様、国王が処刑されて君主制が廃止され、共和制が実現した。各国への波及を防ぐため、イギリスが中心となって第1回対仏大同盟が結成された。フランスでは、外圧による危機が高まるなか、国民公会でジャコバン・クラブの急進共和主義者が主導権を握った。より急進的なコンドリエ・クラブからも合流した。彼らをモンターニュ派と呼ぶ。その中心指導者が、マクシミリアン・ロベスピエールである。
 ロベスピエールは、国民主権ではなく、人民主権を打ち出した。ルソーを信奉し、ルソーの一般意志論をシェイエスよりも徹底した。人民主権論では、主権を掌握した権力者は、人民の名において独裁を行うことができる。ロベスピエールは、恐怖政治を行った。人民主権論は、個人独裁の理論に転じ得る。
 恐怖政治の最中、1793年、エベール等の過激派は「理性の祭典」を行った。「理性の祭典」とは、人間理性を神格化した儀式である。会場のノートルダム寺院では、「理性の女神」を女優が演じた。ヴォルテール、ルソー、フランクリン等の胸像が並べられた。フランス市民革命は、人間理性を賛美する思想が生み出したものだが、その思想の一つの頂点が「理性の祭典」といえるだろう。理性を神格化する過激派は、カトリック教会の破壊や略奪を強行した。ロベスピエールやダントンは、無秩序が広がるのを恐れ、エベール派を逮捕・処刑した。
 その後、独裁者となったロベスピエールは、94年「至高の存在の祭典」を行った。人権宣言の前文に、「至高の存在(Etre supreme)の面前で、かつその庇護の下に」とある、その「至高の存在」である。ロベスピエールは無神論に反対し、「もし神が存在しないなら、それを発明する必要がある」と主張した。そして、カトリック教会の神観念に代わるものとして、「至高の存在」を祭壇に祀った。人権宣言では文言だけだった「至高の存在」が、崇敬の対象として持ち出された。祭典はロベスピエールが主催し、チュイルリーの庭園で行われた。この祭典は、ルソーが『社会契約論』で市民に国民的な義務を愛させるために必要だとした「市民的宗教」の実現を試みたものだった。 その一方、パリでは、ギロチンによる断首刑が行われ、多い時は連日50~60人にも達した。
 闘争は国内各地に広がった。フランス西部のベェンデ地方では、女子供も含めて40万人もの農民が虐殺された。流血と破壊のなかで、革命による犠牲者は総計200万人にのぼったという。人権の主張と追求は、もともと闘争の中で行われてきたものだが、その闘争性が激しく発揮された。フランス市民革命において、理性の光を放射する啓蒙と、処刑と虐殺に熱狂する野蛮とは、表裏一体だった。
 人間理性を最高のものとすることは、人間の理性が神に近づいたのではなく、近代西洋人が自我膨張に陥ったのである。すなわち、人間の知恵への過信であり、自己過信である。
 恐怖政治への反発は強まった。94年7月27日、クーデタが決行された。今度は、ロベスピエールが襲われた。これがテルミドールの反動である。

●ナポレオンの侵攻戦争と敗北

 1795年、穏健派によって総裁政府が樹立された。神父シェイエスは、人気が高く、総裁に指名された。シェイエスは革命を扇動していながら、カトリック教会から破門になることなく、また恐怖政治をも生き延びた。彼は、フランス革命史で最も奇妙な人物であり、また世界のキリスト教史においても特異な宗教家である。
 当時、混迷と戦争のなか、革命軍の将校として目覚しい功績を挙げていたナポレオン・ボナパルトが国民の支持を集めていた。シェイエスは、ナポレオンと結んで1799年、ブリュメール18日にクーデタを起こした。総裁政府を倒して、統領政府を樹立した。ナポレオンが第一統領となり、シェイエスは統領の一人となった。
 次いで1802年、統領政府のもとで行った国民投票で、国民はナポレオンを終身の第一統領に選び、シェイエスは敗退した。国民は、さらに1804年にナポレオンを皇帝に選んだ。教皇から帝冠を授かったフランス皇帝と神聖ローマ帝国皇帝が並立する事態となった。 シェイエスは、国民の意思は「常に至上至高の法」だとしたが、国民は選挙によって権利・権力を託した独裁者を、皇帝の座に就かせた。民衆を神格化したシェイエスは、集団の心理のダイナミズムを全く予測することができなかった。
 この間、ナポレオンは、絶大な権力を得て、中央銀行の設立、教育制度の整備、国民皆兵制、政教条約の締結等を行い、1804年3月には民法典を制定した。これらは、市民革命の成果を政策的に実現したものと言える。
 ナポレオンは、フランス革命の理念を伝えるという大義のもと、対外的な大戦争を推し進め、ロシア遠征を敢行した。ナポレオンが戦域を北方に拡大している間、イギリスは諸国と連携を強め、総反攻の準備を進めた。フランス軍に侵攻された国々では、ナショナリズムに目覚めた諸民族が各地で一斉に蜂起した。ここに至ってナポレオンは、14年に退位し、エルバ島に流刑となった。ウィーン会議が進まない状態を見たナポレオンは、15年エルバ島を脱出して再起し、皇帝に復位した。諸国連合軍は再びナポレオン軍に立ち向かい、ウェリントン将軍の下、ワーテルローの戦いでこれを破った。ナポレオンは百日天下に終わった。今度は、大西洋の孤島セントヘレナ島へ送られた。そこで波乱万丈の生涯を閉じた。

 次回に続く。

「待ったなし! 憲法改正の国会論議」全国大会の報告

2018-12-07 14:26:20 | 憲法
 憲法改正をめざす国民運動を展開している「美しい日本の憲法をつくる国民の会」は、12月5日都内の砂防会館で、「待ったなし! 憲法改正の国会論議」と題して全国大会を開催しました。私は一賛同者として参加しました。

 「国民の会」は平成26年に憲法改正賛同者拡大運動を開始し、本年1月に目標の1,000万人署名を達成しました。この度の集会では、署名1,005万人、国会議員署名408名、地方議会決議36都府県議会と報告され、衆参国会議員110名、同代理123名、全国からの賛同者約1,100名が参集しました。



 同会の共同代表を務める櫻井よしこ氏は、基調提言で「憲法改正の発議を国会議員にお願いする時期は過ぎた。お願いする立場から要請する立場に移り、国民投票を一日も早く実現したい。今日の大会は、その第一歩としたい」と訴えました。
 自民党、公明党、日本維新の会、希望の党、未来日本の代表が挨拶し、憲法改正に向けての各党の考え方や取り組みを述べました。各党は、憲法改正に向けてさまざまな改正・新設の項目を揚げましたが、最大の焦点である9条について、改正を具体的に訴えたのは、自民党と希望の党のみでした。維新の会は、9条に関する議論を進めることを明らかにするに留まりました。
 これに対し、民間団体や地方議会の代表者から、憲法改正・国民投票の実現を求める熱いメッセージが発せられました。

 満場一致で採択された声明文は、「今後、衆参憲法審査会での憲法論議の充実と超党派による合意形成、さらに早期の国会発議と国民投票実現をめざし、次のことに取り組む」として、下記の二項目を掲げました。

一、各党が、政局を離れて憲法審査会での審議を促進し、改正原案作成に向けた合意形成に努めるよう要望する。
一、全国の選挙区に、国民投票に向けた啓発活動の推進拠点を設立し、憲法改正の国民的論議を地方から醸成する。

 まずは、第一項の通り、憲法審査会がまともな議論の場として機能し、国家の根本問題がまともに議論されるようにならねばなりません。次に、第二項について補足すると、全国289ある衆議院小選挙区のすべてに国民投票の連絡会議を設立するというもので、既に202が開設されており、年内に全区での達成が目指されています。

 現在、国会では、具体的な改正案を作成したり、積極的に議論に臨もうとする政党がある一方、野党のうち6党は憲法審査会の開催自体に反対しています。こうした国会の現状は国民の現状の表れであり、戦後日本人の多数が自己本来の日本精神を失って、精神的に分裂状態に陥っていることの反映です。
 今後、日本精神の復興が進めば、国民の意識が変わり、国会議員の議論も変わるでしょう。これから、どこまで国民及び国会議員の意識を高められるか。それによって憲法改正の成否が決まり、また改正内容も変わってくると思います。私たち日本を愛する日本人は、最善の努力をすべき時にあります。頑張りましょう。

キリスト教128~1789年の人権宣言とキリスト教

2018-12-06 09:32:24 | 心と宗教
●1789年の人権宣言とキリスト教

 1789年の人権宣言は、正式には「人間及び市民の権利宣言」という。「人間(homme)」と「市民(citoyen)」を区別し、「人間の権利」と「市民の権利」を区別している。
 人権宣言にいう人間は、どういう人間か。国民議会は、封建的な身分制を否定し、それまでの第三身分を「国民」とした。国民議会が採択した人権宣言における人間は、身分制から解放された人間である。そうした人間が、人権の主体とされている。
 同時に、人権の主体とされたのは、身分的帰属から解放されただけでなく、フランスの過去の歴史、カトリック教会という伝統的な宗教、家族・親族・職能・地域等の共同体から離脱した人間が想定されている。そうした歴史的・社会的・文化的なつながりを束縛とし、それらから解放された人間が、人権宣言の想定する人間である。
 そのような人間観をもって、人権宣言は、どこの国でも通用するような理念を謳い、権利を宣言している。しかし、ここにおける人間は、観念的な存在であって、現実的な存在ではない。歴史的・社会的・文化的なつながりを捨象した仮想の空間に原子(アトム)的な個人を想定したものだからである。
 人権宣言は、前文に、国民議会が「人の譲渡不能かつ神聖な自然権」を宣言の中で展示することを決意したと記している。また第1条に「人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する」と定めた。ここには人間は生まれながらにして自由で平等な権利を持つという認識が示されている。
 人権宣言は、ホッブス、ロックが説いた自然権の思想を継承するものだった。ホッブス、ロックにおいて、自然権の概念は自然法の思想に基づく。自然法は、中世の西欧では神が定めた宇宙の法則であるとともに、神が人間に与えた道徳の原理を意味した。ホッブスは、人間は自然状態において、生まれながらに自然法によって認められる永久かつ絶対的な権利、自然権を持つとした。ロックにおいて、自然法は、神の意思に基づく秩序の原理であり、神が人間に与えた理性の法だった。その神はユダヤ=キリスト教の神だった。アメリカ独立宣言は、明らかにロックの思想を継承している。独立宣言は、イギリス臣民の歴史的・社会的・文化的に形成・継承されてきた権利を否定し、「造物主(Creator)によって与えられた誰にも譲ることのできない権利」を主張した。権利の歴史性を否定し、造物主による付与とした。ここにおける造物主は、明らかに北米プロテスタントが仰ぐユダヤ=キリスト教の神(God)としての性格を持っている。
 これに比し、人権宣言は、独立宣言から権利の歴史性・身分性を否定する態度を継承したが、造物主が権利を付与したとは記していない。造物主には触れずに「人の譲渡不能かつ神聖な自然権」という表現をしている。人間の権利を「神聖な自然権」としながら、自然権が神聖である所以、自然権の依って立つ自然法、さらに自然法のもとにあるものについても、具体的に述べていない。
人権宣言は、独立宣言と異なり、「造物主」による権利付与を明記していない。その論理構造は維持しつつ、神の存在は除去されている。ユダヤ=キリスト教的な神観念は背景に隠れ、ある種、普遍的な論理が残った。
 自然法の思想にひそむ、神の意志という人格性が縮小され、自然の理法という非人格性が拡大した。この非人格化された自然法を認識するもの、あるいは構成するものは何であるか。それは、「理性」(reason)である。理性とは、ユダヤ=キリスト教文化においては、神の似姿として創造された人間に、神から与えられた能力であり、神の理性が分与されたものが人間の理性である。理性は、中世ヨーロッパで重視された霊感的な「叡智」(intellect)とは異なる。それを排除して残るところの五感に基づく、現実的な比較や推量の能力である。自然法の思想から、神の理性を排除すれば、残るのは人間理性の絶対性となる。言い換えれば、人智への自己過信、思い上がりである。
 フランス市民革命では、カトリック教会は国教ではなくなり、教会財産が没収されるなどした。その点では、フランス市民革命は反カトリック的である。だが、プロテスタントの教義による新教対旧教という宗派闘争の運動ではない。また、全くキリスト教を否定しているのではなく、「反キリスト」ではない。
 ここで注目すべきことがある。人権宣言は、前文に「国民議会は、至高の存在(Etre supreme)の面前でかつその庇護の下に、次のような人及び市民の権利を承認し、かつ宣言する」と記していることである。「至高の存在」は、神聖な人格的存在にして崇拝の対象のようであるが、具体的な説明はない。ユダヤ=キリスト教の神のようでもあり、必ずしも特定の宗教に依拠しない超越的な存在のようでもある。ここで超越的とは、人間を超えたという広い意味である。「至高の存在」が「人の譲渡不能かつ神聖な自然権」を人間に与えたとは書いていない。権利の根拠は明示されないまま、権利が承認され、宣言されている。
 そこで仮に自然権の付与者をユダヤ=キリスト教の神と理解すれば、人権宣言は独立宣言に近いものとなる。抽象化された超越的存在と理解すれば、人権宣言は半ば脱キリスト教化したものとなる。あるいはまた、付与者の有無に関係なく人間の権利は自然権であり、宣言はそれを確認したということのようでもある。これらのどれでもあり得るという幅のあるところに、人権宣言の特徴がある。どれかの方向を強調すれば、反発が起こる。反発は、対立・抗争に発展する。そういう可能性を内に秘めていたのが人権宣言だった、と私は考える。
 人権宣言の発布後、宣言の内に秘められていた対立・抗争の可能性は、現実のものとなった。宣言発布後、革命は誰も予想し得なかったほどの激動を続けた。人権宣言自体が書き換えられ、出し直され、また書き改められた。そして権利の付与者は遂に明示されず、「至高の存在」とは何かも明確にされないままとなった。

 次回に続く。