尖閣諸島に関する中国政府の主張には、まったく根拠がない。そのことを明らかにする資料が、米国からも出てきた。
9月28日、尖閣諸島をめぐって作成されたCIAの報告書が報道された。ジョージ・ワシントン大国家安全保障記録保管室に保管されていたものである。この報告書は、日米両政府が沖縄返還協定を調印する直前の1971年5月に作成された。当時の中華民国(台湾)が、米国の尖閣諸島を含む沖縄の施政権に注文をつけたのを受け、CIAが調査を行ったものだという。文化大革命の担い手だった紅衛兵向けに中国で1966年に刊行された地図を例に挙げ、「尖閣諸島は中国の国境外に位置しており、琉球列島、すなわち日本に属していることを示している」と指摘し、67年8月に北京で刊行された一般向け地図帳でも「尖閣諸島は琉球列島に含まれる」と表記されていると報告しているという。先に触れた中国版ツイッターに掲載された地図と同時期のものである。
CIAの報告書は、「尖閣海域に埋蔵資源の存在が明らかになった後、中華民国が領有権を主張し、これに中国共産党政権が続いて問題を複雑化させた」と指摘し、歴史的にも国際法上も日本固有の領土であるとする日本の主張について「説得力があり、尖閣諸島の領有権の根拠を示す責任は中国側にある」「尖閣諸島への中国のいかなる行動も、米国を日本防衛に向かわせるだろう」と結論付けているという。
沖縄返還協定調印の時の米国大統領は、リチャード・ニクソンだった。ニクソンは、1971年6月に、尖閣諸島の日本への施政権返還を決断した。前月の5月に作成されたこの報告書が、大統領の判断材料の一つになったと見られると報じられる。
米国政府は、尖閣諸島は日米安保条約第5条の適用対象としている。すなわち、米国が日本に返還した尖閣諸島は日本の施政権下にあることを、米国は認めている。その裏付けとなるものの一つが、このCIAの報告書だといえるだろう。ただし、米国は、尖閣が日本の領土だと認めているわけではない。領土問題については「中立」の立場を取っている。施政権と領有権を区別しており、施政権が日本にあることは認めるが、領有権については判断しないという姿勢なのである。
だが、米国が初めからこういう姿勢だったわけではない。そのことを示す資料が出てきた。10月8日に報道されたもので、アイゼンハワー、ケネディ両大統領が尖閣の主権の日本への帰属を明確に認めていたことを示す米議会の公式報告書が明らかとなった。両大統領のこの記録は米国議会調査局が2001年11月、上下両院議員の法案審議用資料として作成した「中国の海洋領有権主張=米国の利害への意味」と題する報告書に掲載されたという。これは重要な事実である。米国は、1950年代から60年代にかけて、アイクとケネディの時代には、大統領が日本に主権があると認めていたのである。ところが、その後、米国は態度を変えた。
先の報告書は、沖縄返還時のニクソン政権がこれら2政権の政策を変え、尖閣諸島の施政権は沖縄と同一に扱いながらも、尖閣の主権は区別し、「中立」を唱えるようになったと述べ、その理由として「中国への接触」を指摘しているという。ここでいう主権は領有権を意味する。ニクソンから、沖縄については領有権と施政権を認めるが、尖閣については施政権は認めるが領有権については判断しないという態度に変ったのである。
これは私の想像だが、第2次世界大戦後、米国は超大国として世界的に影響力を振るうため、各国が結託して米国に立ち向かって来ないように、各国が領土問題で争って互いに牽制し合うように、仕向けたようなところがある。日本とソ連の間の北方領土はその一例である。日本と中国の間についても、領土問題でけん制し合うように考えたのかもしれない。
それはさておき、わが国としては、アイクとケネディが尖閣の主権は日本にあると認めていたことを、広報宣伝に活用していくべきだと思う。
以下は、関連する報道記事。
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●産経新聞 平成24年9月28日
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120928/chn12092821580008-n1.htm
【尖閣国有化】
「紅衛兵向け中国地図でも尖閣は日本」 返還時、米CIAが報告書
2012.9.28 21:56
【ワシントン=佐々木類】米中央情報局(CIA)が、沖縄県の尖閣諸島をめぐり、「領土問題は存在しない」とする日本の主張を裏付ける内容の報告書を作成していたことが27日明らかになった。
報告書は、日米両政府が沖縄返還協定を調印する直前の1971年5月に作成。当時の中華民国(台湾)が、米国の尖閣諸島を含む沖縄の施政権に注文をつけたのを受け、CIAが調査を行ったもので、米ジョージ・ワシントン大国家安全保障記録保管室に保管されていた。
66年に刊行
報告書は、中国で文化大革命の担い手だった紅衛兵向けに66年に刊行された地図を例に挙げ、「尖閣諸島は中国の国境外に位置しており、琉球(沖縄)列島、すなわち日本に属していることを示している」と指摘。67年8月に北京で刊行された一般向け地図帳でも「尖閣諸島は琉球列島に含まれる」と表記されていると報告している。
台湾でも「尖閣海域が中国側の境界内にあると表示する地図はなかった」とした上で、旧ソ連や無作為に抽出した欧州の地図にもそうした表記はないとした。
報告書は、「尖閣海域に埋蔵資源の存在が明らかになった後、中華民国が領有権を主張し、これに中国共産党政権が続いて問題を複雑化させた」と指摘。歴史的にも国際法上も日本固有の領土であるとする日本の主張について「説得力があり、尖閣諸島の領有権の根拠を示す責任は中国側にある」とし、「尖閣諸島への中国のいかなる行動も、米国を日本防衛に向かわせるだろう」と結論付けた。
台湾は改竄
これとは別に、都内の財団法人「沖縄協会」の調べによると、台湾当局は71年、中学2年生向け地理教科書「中華民国国民中学地理教科書」で、領土境界線を“改竄”し、尖閣諸島の呼称を「釣魚台列島」に改めていたことが判明している。
70年の教科書では「琉球群島地形図」で、同諸島を「尖閣諸島」と明示し、台湾との間に領土境界線を示す破線を入れ日本領としていた。だが、71年に呼称を「釣魚台列島」に変更、破線を曲げて沖縄県与那国島北方で止め、領有権の所在を曖昧にしていた。
●産経新聞 平成24年10月8日
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121008/amr12100800050000-n1.htm
【尖閣国有化】
アイゼンハワーもケネディも「日本に主権」認める
2012.10.8 00:04
【ワシントン=古森義久】尖閣諸島の日本への返還前、米国のアイゼンハワー、ケネディ両大統領が尖閣の主権の日本への帰属を明確に認めていたことを示す米議会の公式報告書が明らかとなった。米国はその後、尖閣の主権について「中立」を主張するようになったが、過去に主権を認定した意味は大きいといえる。
両大統領のこの記録は米国議会調査局が2001年11月、上下両院議員の法案審議用資料として作成した「中国の海洋領有権主張=米国の利害への意味」と題する報告書に掲載された。
報告書は「1945年から71年までの尖閣諸島の米国の統治」という項で、51年の対日講和会議に加わりアイゼンハワー政権で国務長官を務めたダレス氏が、尖閣を含む琉球諸島に日本が「残存主権」を有するとの考えを示したと記している。残存主権とは「米国がその主権を日本以外のどの国にも引き渡さないこと」を意味するとしている。
その上で報告書は、アイゼンハワー大統領が57年6月の日米首脳会談で尖閣を含む琉球諸島の残存主権をめぐり、岸信介首相に対して「米国が統治する一定期間は米国がその主権を執行するが、その後には日本に返還される」ことを告げ、その点を確認したと明記している。
さらに、「62年3月には、ケネディ大統領が沖縄についての大統領行政命令で、『琉球は日本本土の一部であることを認め、自由世界の安全保障の利害関係が(尖閣を含む沖縄に対する)日本の完全主権への復帰を許す日を待望する』と言明した」との記録を示している。
報告書はこのすぐ後で、「米国は尖閣諸島を琉球諸島から区分する言動はなにも取っていないため、この『残存主権』の適用は尖閣を含むとみなされる」と念を押している。
報告書は、沖縄返還時のニクソン政権がこれら2政権の政策を変え、尖閣の施政権は沖縄と同一に扱いながらも、尖閣の主権は区別し、「中立」を唱えるようになったと述べ、その理由として「中国への接触」を指摘している。
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9月28日、尖閣諸島をめぐって作成されたCIAの報告書が報道された。ジョージ・ワシントン大国家安全保障記録保管室に保管されていたものである。この報告書は、日米両政府が沖縄返還協定を調印する直前の1971年5月に作成された。当時の中華民国(台湾)が、米国の尖閣諸島を含む沖縄の施政権に注文をつけたのを受け、CIAが調査を行ったものだという。文化大革命の担い手だった紅衛兵向けに中国で1966年に刊行された地図を例に挙げ、「尖閣諸島は中国の国境外に位置しており、琉球列島、すなわち日本に属していることを示している」と指摘し、67年8月に北京で刊行された一般向け地図帳でも「尖閣諸島は琉球列島に含まれる」と表記されていると報告しているという。先に触れた中国版ツイッターに掲載された地図と同時期のものである。
CIAの報告書は、「尖閣海域に埋蔵資源の存在が明らかになった後、中華民国が領有権を主張し、これに中国共産党政権が続いて問題を複雑化させた」と指摘し、歴史的にも国際法上も日本固有の領土であるとする日本の主張について「説得力があり、尖閣諸島の領有権の根拠を示す責任は中国側にある」「尖閣諸島への中国のいかなる行動も、米国を日本防衛に向かわせるだろう」と結論付けているという。
沖縄返還協定調印の時の米国大統領は、リチャード・ニクソンだった。ニクソンは、1971年6月に、尖閣諸島の日本への施政権返還を決断した。前月の5月に作成されたこの報告書が、大統領の判断材料の一つになったと見られると報じられる。
米国政府は、尖閣諸島は日米安保条約第5条の適用対象としている。すなわち、米国が日本に返還した尖閣諸島は日本の施政権下にあることを、米国は認めている。その裏付けとなるものの一つが、このCIAの報告書だといえるだろう。ただし、米国は、尖閣が日本の領土だと認めているわけではない。領土問題については「中立」の立場を取っている。施政権と領有権を区別しており、施政権が日本にあることは認めるが、領有権については判断しないという姿勢なのである。
だが、米国が初めからこういう姿勢だったわけではない。そのことを示す資料が出てきた。10月8日に報道されたもので、アイゼンハワー、ケネディ両大統領が尖閣の主権の日本への帰属を明確に認めていたことを示す米議会の公式報告書が明らかとなった。両大統領のこの記録は米国議会調査局が2001年11月、上下両院議員の法案審議用資料として作成した「中国の海洋領有権主張=米国の利害への意味」と題する報告書に掲載されたという。これは重要な事実である。米国は、1950年代から60年代にかけて、アイクとケネディの時代には、大統領が日本に主権があると認めていたのである。ところが、その後、米国は態度を変えた。
先の報告書は、沖縄返還時のニクソン政権がこれら2政権の政策を変え、尖閣諸島の施政権は沖縄と同一に扱いながらも、尖閣の主権は区別し、「中立」を唱えるようになったと述べ、その理由として「中国への接触」を指摘しているという。ここでいう主権は領有権を意味する。ニクソンから、沖縄については領有権と施政権を認めるが、尖閣については施政権は認めるが領有権については判断しないという態度に変ったのである。
これは私の想像だが、第2次世界大戦後、米国は超大国として世界的に影響力を振るうため、各国が結託して米国に立ち向かって来ないように、各国が領土問題で争って互いに牽制し合うように、仕向けたようなところがある。日本とソ連の間の北方領土はその一例である。日本と中国の間についても、領土問題でけん制し合うように考えたのかもしれない。
それはさておき、わが国としては、アイクとケネディが尖閣の主権は日本にあると認めていたことを、広報宣伝に活用していくべきだと思う。
以下は、関連する報道記事。
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●産経新聞 平成24年9月28日
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120928/chn12092821580008-n1.htm
【尖閣国有化】
「紅衛兵向け中国地図でも尖閣は日本」 返還時、米CIAが報告書
2012.9.28 21:56
【ワシントン=佐々木類】米中央情報局(CIA)が、沖縄県の尖閣諸島をめぐり、「領土問題は存在しない」とする日本の主張を裏付ける内容の報告書を作成していたことが27日明らかになった。
報告書は、日米両政府が沖縄返還協定を調印する直前の1971年5月に作成。当時の中華民国(台湾)が、米国の尖閣諸島を含む沖縄の施政権に注文をつけたのを受け、CIAが調査を行ったもので、米ジョージ・ワシントン大国家安全保障記録保管室に保管されていた。
66年に刊行
報告書は、中国で文化大革命の担い手だった紅衛兵向けに66年に刊行された地図を例に挙げ、「尖閣諸島は中国の国境外に位置しており、琉球(沖縄)列島、すなわち日本に属していることを示している」と指摘。67年8月に北京で刊行された一般向け地図帳でも「尖閣諸島は琉球列島に含まれる」と表記されていると報告している。
台湾でも「尖閣海域が中国側の境界内にあると表示する地図はなかった」とした上で、旧ソ連や無作為に抽出した欧州の地図にもそうした表記はないとした。
報告書は、「尖閣海域に埋蔵資源の存在が明らかになった後、中華民国が領有権を主張し、これに中国共産党政権が続いて問題を複雑化させた」と指摘。歴史的にも国際法上も日本固有の領土であるとする日本の主張について「説得力があり、尖閣諸島の領有権の根拠を示す責任は中国側にある」とし、「尖閣諸島への中国のいかなる行動も、米国を日本防衛に向かわせるだろう」と結論付けた。
台湾は改竄
これとは別に、都内の財団法人「沖縄協会」の調べによると、台湾当局は71年、中学2年生向け地理教科書「中華民国国民中学地理教科書」で、領土境界線を“改竄”し、尖閣諸島の呼称を「釣魚台列島」に改めていたことが判明している。
70年の教科書では「琉球群島地形図」で、同諸島を「尖閣諸島」と明示し、台湾との間に領土境界線を示す破線を入れ日本領としていた。だが、71年に呼称を「釣魚台列島」に変更、破線を曲げて沖縄県与那国島北方で止め、領有権の所在を曖昧にしていた。
●産経新聞 平成24年10月8日
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121008/amr12100800050000-n1.htm
【尖閣国有化】
アイゼンハワーもケネディも「日本に主権」認める
2012.10.8 00:04
【ワシントン=古森義久】尖閣諸島の日本への返還前、米国のアイゼンハワー、ケネディ両大統領が尖閣の主権の日本への帰属を明確に認めていたことを示す米議会の公式報告書が明らかとなった。米国はその後、尖閣の主権について「中立」を主張するようになったが、過去に主権を認定した意味は大きいといえる。
両大統領のこの記録は米国議会調査局が2001年11月、上下両院議員の法案審議用資料として作成した「中国の海洋領有権主張=米国の利害への意味」と題する報告書に掲載された。
報告書は「1945年から71年までの尖閣諸島の米国の統治」という項で、51年の対日講和会議に加わりアイゼンハワー政権で国務長官を務めたダレス氏が、尖閣を含む琉球諸島に日本が「残存主権」を有するとの考えを示したと記している。残存主権とは「米国がその主権を日本以外のどの国にも引き渡さないこと」を意味するとしている。
その上で報告書は、アイゼンハワー大統領が57年6月の日米首脳会談で尖閣を含む琉球諸島の残存主権をめぐり、岸信介首相に対して「米国が統治する一定期間は米国がその主権を執行するが、その後には日本に返還される」ことを告げ、その点を確認したと明記している。
さらに、「62年3月には、ケネディ大統領が沖縄についての大統領行政命令で、『琉球は日本本土の一部であることを認め、自由世界の安全保障の利害関係が(尖閣を含む沖縄に対する)日本の完全主権への復帰を許す日を待望する』と言明した」との記録を示している。
報告書はこのすぐ後で、「米国は尖閣諸島を琉球諸島から区分する言動はなにも取っていないため、この『残存主権』の適用は尖閣を含むとみなされる」と念を押している。
報告書は、沖縄返還時のニクソン政権がこれら2政権の政策を変え、尖閣の施政権は沖縄と同一に扱いながらも、尖閣の主権は区別し、「中立」を唱えるようになったと述べ、その理由として「中国への接触」を指摘している。
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