ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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アイヌ新法3~アイヌの歴史と現状

2019-04-13 08:56:13 | 時事
●アイヌとは何か

 アイヌとは何か。かつては、アイヌ民族は縄文人の子孫であり、原日本人であるという見方が定説のようになっていた。だが、最近の研究によって、そうではないことが明らかになっている。
 アイヌが北海道の歴史に出現するのは、13世紀以降である。それ以前に、北海道では5世紀から、オホーツク海沿岸にオホーツク文化が栄えた。その文化の担い手をオホーツク人という。また、7世紀から擦文文化も栄えた。その文化の担い手は北海道縄文人である。13世紀にこれらのオホーツク文化と擦文文化が滅び、同時にアイヌの文化が歴史に現れた。この経緯は、まだよくわかっていない。
 しかし、近年遺伝子の研究によって、アイヌは、北海道縄文人の単純な子孫ではないことがわかった。その一方、オホーツク人とは遺伝的に近いこともわかった。オホーツク人は、樺太や大陸のアムール川下流域に住むニブフ(ギリヤーク人)に遺伝的に最も近い。それゆえ、アイヌは、大陸や樺太から来たオホーツク人と北海道縄文人が通婚して、誕生した民族ではないかという説がある。だが、北海道では、遅くとも7世紀以降、オホーツク人と北海道縄文人が交流していた可能性がある。その交流によって、13世紀頃になって新たな民族が誕生したとは考えられない。アイヌとオホーツク人や北海道縄文人との遺伝的なつながりは、むしろアイヌが後から北海道に入ってきて、オホーツク人や北海道縄文人と通婚した結果と考えられる。
 別の説として、アイヌはもともと日本に住んでいたのではなく、大陸や樺太からきて、オホーツク文化や擦文文化を滅ぼして、北海道に住むようになったのではないかという説がある。この説は、アイヌの熊送りの儀式が北海道縄文人には見られず、ユーラシア大陸の狩猟民族の典型的な宗教文化であることと符合する。この説によれば、アイヌはもともと日本に住んでいたのではなく、800年ほど前に大陸からやってきて、オホーツク人や北海道縄文人の文化を滅ぼしたと考えられるから、北海道の歴史とも一致する。

●アイヌの歴史

 アイヌが北海道の歴史に出現したのは13世紀だが、和人はもっと前から北海道に居住していた。平安時代の末の12世紀前半に、奥州藤原氏が厚真町に勢力に及ぼし、仏教を伝えていたことが出土品(常滑焼壺)からわかっている。また北海道最古の神社である函館の船魂(ふなだま)神社は、1135年の創立である。また北海道沿岸に同じころ創建された神社が複数ある。アイヌが先住していたのではない。和人が百年ほど先だったと考えられる。少なくとも北海道のある地域にはアイヌが、別の地域には和人が住んでいる状態が続いたといえる。
 ところが、一般に江戸時代には北海道にはアイヌだけが住んでいて、和人が侵入してひどいことをしたと思われている。これは間違いである。アメリカのインディアンは、白人によって多数殺されたが、日本人はアイヌを大虐殺するような戦争をしていない。有名なシャクシャインの乱は、アイヌ同士の争いから始まった。それで和人が多数殺されたので、乱を治めたものである。
 明治維新後、アイヌは日本国民として戸籍に登録された。日本国民の一部となった。そして、政府は、明治32年(1899年)に北海道旧土人保護法を制定してアイヌを保護した。アイヌは文字を持たず、計算ができず、風呂に入る習慣がなく、不衛生で伝染病が蔓延するなど、そのままでは滅びてしまうので、同じ日本人として保護するためにこの法律がつくられた。土地の無償下付や農具の給付などで優遇し、農業ができるように勧農政策を行った。屯田兵より優遇された。また、この法律は、アイヌが国会に陳情したことによってできた。名称の土人には差別的な意味はなく、戦後も昭和50年(1975年)までは「未開」とか「土着民」の意味で使われていた。
 明治時代以降、アイヌが日本人に同化したのは、アイヌが文字を持たなかったことによる点が大きい。文字を持つ民族と持たない民族が出会った場合、文字を持たない民族は、必ず文字を持つ民族に同化される。これは、歴史の法則である。
 アイヌは日本人に同化したことで、生活が向上した。大東亜戦争の敗戦後、日本を占領したGHQは、農地改革を行った。この時、アイヌは自分たちは大地主だから適用外にしてほしいとマッカーサーに要望した。実際、アイヌの酋長やその一族は、裕福で広大な土地を持ち、日本人を小作人として使っていた。しかし、マッカーサーは、アイヌの要望を受け入れなかった。それでアイヌの地主は土地を失ったが、これは日本人の地主も同じことだった。当時、GHQのスイング司令官は、「アイヌに独立する意思はないか」と尋ねた。しかし、アイヌは「自分たちは日本人だ」といって、独立を断った。
 戦前から北海道アイヌ協会という団体がある。敗戦後の昭和21年(1946年)に社団法人として再建された。一時、北海道ウタリ協会と言った。この団体は、昭和45年(1970年)に、旧土人保護法は我々を保護する法律ゆえ、なくしてもらっては困ると廃止に反対した。
 こうした数々の事実から、和人はアイヌを迫害したのではなく、保護したのであり、アイヌは大いにその恩恵を受けてきたことがわかる。

●アイヌの実態

 アイヌ出身の天才言語学者で北海道大学教授の知里真志保氏は、昭和30年(1965年)に、次のように書いた。「民族としてのアイヌは既に滅びたといってよく、厳密にいうならば、彼らは、もはやアイヌではなく、せいぜいアイヌ系日本人とでも称すべきものである」と。
 当時でもそうだったのだが、さらに今日まで50年以上たっている。現在「アイヌ」を自称している人達の中に、アイヌ語を話す純粋な「アイヌ」は一人もいない。また、アイヌは、DNA検査では認定できないと見られる。長い間に日本人と混血してきているので、日本人と区別できない。
 国勢調査には、アイヌ人の項目はなく、国家機関での実態調査は行われていないに等しい。そのため、アイヌ人の正確な数は不明である。平成29年(2017年)の調査では、道内のアイヌ人口は約1万3000人だった。ただし、それが本当にアイヌなのかどうかには大きな問題がある。

 次回に続く。

■追記

 本項を含む拙稿「アイヌ新法は日本を分断し、亡国に導く」は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion13-04.htm

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2 コメント

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マッカーサーとアイヌ (名無し)
2019-11-27 02:07:41
https://www.youtube.com/watch?v=Avnxy9Q0ug8&t=548s
先月の北海道の放送です。
この方は、どうして神棚にマッカーサーを祀ったのでしょうか。
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>名無しさん (ほそかわ)
2019-11-27 11:03:42
アイヌの北風磯吉さんは、神棚にマッカーサーの写真を収めたとのことですが、本人がその理由を書くなり、語るなりして残していないということですから、後世の人間が勝手に推測すべきでないと思います。
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