ほそかわ・かずひこの BLOG

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キリスト教174~中東・アフリカのキリスト教

2019-03-17 08:55:09 | 心と宗教
●中東・アフリカのキリスト教

 次にアフリカのキリスト教について書くに先立って、中東のキリスト教について述べる。中東とアフリカ北部は、歴史的・文化的に切り離せない関係ある。その一つの要因は、古代以来のキリスト教であり、別の要因は中世以来のイスラーム教である。
 中東は、地域全体ではイスラーム教徒が圧倒的であり、その中にユダヤ教徒の多いイスラエルとキリスト教徒が多いレバノンが存在する。
 イスラエルは、2014年のイスラエル中央統計局の調査によると、ユダヤ教75.0%、イスラーム教17.5%、キリスト教2%等である。キリスト教徒の多くは、東方正教会のエルサレム総主教庁ないしはローマ・カトリックの信者だが、コプト正教会、アルメニア正教会等の信者もいる。
 キリスト教徒が比較的多い国は、レバノン、シリア、ヨルダンである。レバノンは、キリスト教徒が人口の約半分を占め、東方典礼カトリック教会であるマロン派が主だが、東方正教会、プロテスタント、カトリック等も存在する。内戦時には、マロン派と正教会信者が対立した。シリアは、人口の90%がムスリムだが、キリスト教徒が10%いる。キリスト教徒のうち、最も多いのはアンティオキア総主教庁であり、メルキト・ギリシャ典礼カトリック教会、シリア正教会が続く。ヨルダンは、人口の93%がムスリムだが、キリスト教徒が75%いる。東方正教会を最多とし、ラテン典礼カトリック教会、プロテスタント、メルキト・ギリシャ典礼カトリック教会が続く。
 なお、トルコは、東方正教会の中心的存在であるコンスタンディヌーポリ総主教がイスタンブールに居住するが、キリスト教徒は1%に満たない。人口の99%はムスリムである。
 さて、アフリカ大陸は、サハラ砂漠によって南北に分断され、歴史的には、それぞれがほとんど別の地域として存在してきた。アフリカ北部では、古代エジプト文明やローマ文明が栄えた。世界的な中世以降は、今日までイスラーム文明が支配的である。アフリカ南部では、高度な文明は形成されず、地域ごとの文化社会が併存してきた。16世紀から欧州諸国の進出により、アフリカは黒人奴隷の獲得場所となった。1880年代から急速に植民地化が進み、欧州諸国によって分割された。第2次世界大戦後、欧米諸国の植民地体制は急速に崩れ、民族独立の波がアジアからアフリカに及び、エジプト、アルジェリアなど北アフリカで民族運動が盛んに展開された。1957年にエンクルマに率いられたガーナが独立したのをきっかけに、サハラ以南も独立の動きが広がった。1960年は、ナイジェリア、モーリタニア、カメルーンなど17の国々がいっせいに独立したことにより、「アフリカの年」と呼ばれる。 63年には、新独立国を中心としたアフリカ統一機構(OAU)が誕生した。その後も独立が相次ぎ、19世紀的な植民地体制は、1960年代に崩壊した。しかし、特にサハラ以南では、独立達成後も部族対立が残存して内戦が続発したり、旧宗主国が引いた国境線を受け継いだため国境紛争が起こったり、経済的に旧宗主国に従属した構造から抜け出せなかったり、経済的支配を持続しようとする旧宗主国との対立関係にあったりしている国が多い。
 21世紀に入って、アフリカはようやく発展の道を進みだしたように見える。アフリカ統一機構は、現在はアフリカ連合(AU)となり、諸国の連帯は強くなっている。ハンチントンは、1990年代に主要文明になり得るものとして、アフリカ文明(サハラ砂漠以南)を挙げた。私は、21世紀において、サハラ以南のアフリカ文明を一個の主要文明と数え、アフリカ文明と呼ぶ。現在、アフリカ北部にはイスラーム文明、アフリカ南部にはアフリカ文明が存在している。アフリカ文明には、独自の宗教がなく、北部のイスラーム文明圏に影響を与えていく力は、まだない。
 宗教について述べると、アフリカでは、もともと各部族が伝統的な土着宗教を信仰していた。祖先崇拝と自然崇拝を基本とするアニミズムとシャーマニズムによるものである。精霊と呪術の信仰である。今日もアフリカ全体の人口の約15%が、さまざまな土着宗教を信仰していると見られる。カリブ海のハイチに奴隷として連れて行かれた黒人奴隷は、その信仰を発展させて、ブードゥー教を作った。それが、祖先の地のアフリカに伝わり、西アフリカのベナンはこれを国教としている。
 今日の世界宗教で最も早くアフリカに伝わったのは、キリスト教である。1世紀に北アフリカに伝播され、エジプトのアレクサンドリアは一大拠点となった。2~3世紀のギリシャ教父のアレクサンドリア学派は、キリスト教の教義の深化に貢献した。古代ローマ帝国の領土拡大によって、北アフリカのキリスト教は4~5世紀に最盛期を迎えた。カトリック教会の教義を発展させたラテン教父、アウグスティヌスは、北アフリカのヒッポの司教だった。
 476年、ゲルマン民族の侵攻によってローマ帝国が滅亡すると、北アフリカのキリスト教は後退した。その後、7世紀からアラブ人が進出して、イスラーム教を布教し、北アフリカをイスラーム圏にした。その後、東アフリカ海岸と西アフリカの内陸部にも広がった。現在、イスラム教スンナ派は、北アフリカを中心に人口の30~40%を占める。
 5世紀前半までに異端とされた東方諸教会は、カトリック教会や東方正教会から弾圧を受けていた。だが、新来のイスラーム教徒は、キリスト教の信仰を許容した。それゆえ、東方諸教会は、イスラーム王朝下でかえって信仰の自由を享受した。しかし、この地域のアラブ化が進むにつれ、教勢が衰えた。その中にあっても、一部の教派は消滅することなく存続した。エジプトの単性論派であるコプト正教会は、現在も同国に多くの教会を持ち、人口の6%ほどを占めている。エジプト以外では、スーダン、エチオピア、リビア等にも信徒がいる。またエチオピアでは、独自にエチオピア正教会が作られ、現在も活動している。
 キリスト教は、15世紀末以降のヨーロッパ人の初大陸進出で、アフリカでも再び布教がされた。1880年代から欧州諸国による植民地化が急速に進んだのに伴い、サハラ砂漠以南を中心にキリスト教が広まった。サハラ砂漠以南では、1910年に人口の9%だったのが、2010年には63%にまで急増した。カトリックは主に中部アフリカ、プロテスタントは主に南部アフリカで植民地人民を教化した。今日、アフリカ全体では、プロテスタントとカトリックはほぼ半々と見られる。
アフリカでは、19世紀後半から20世紀にかけて、独自の教派が形成され、それらをアフリカ独立教会と総称する。エチオピア教会、ナイジェリアのアラドゥラ教会、南部アフリカのザイオニスト教会等がある。

 次回に続く。

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