去る12月19日、天皇陛下御即位20年奉祝中央式典が開催された。場所は、東京・水道橋にある東京ドームシティ・JCBホール。麻生首相をはじめとする国会議員149名、100カ国の大使等代表者、各界各層また北は北海道、南は沖縄から約4千名が参加し、盛大に行われた。
私は開会の1時間以上前に着いたのだが、既に会場には多数の人が詰めかけており、ようやく席を得たのは最上階の一番舞台寄りの一角だった。場内に入れない1500名ほどの人は、第2会場に案内され、大型スクリーンを見ながら式典に参加したと聞く。
この度の奉祝中央式典は、来年1月7日に今上陛下が御即位20年を迎えられるにあたり、奉祝の機運を盛り上げようと開催された。主催は、天皇陛下御即位20年奉祝委員会、天皇陛下御即位20年奉祝国会議員連盟である。
今上陛下は御即位以来、全国47都道府県をくまなく御訪問になり、地震などの被災者へのご激励、障害者や高齢者への福祉や医療のご支援、先の大戦での戦歿者への追悼などに心を砕かれ、世界に対しては日本の素晴らしさを発信してこられた。
来年11月12日には、政府主催で記念式典を行う。それまでの日々、多くの国民がわが国に伝わる皇室の伝統を深く理解し、皇室に象徴される日本の国柄の素晴らしさに目覚め、国民こぞって記念式典を挙行すべく、啓発運動を津々浦々に広げていきたいと思う。
以下、中央式典の次第と印象に残った話を掲載する。
―――――――――――――――――――――――――――――――
第1部 奉祝式典
司会 平野啓子 元NHKアナウンサー、語り部・かたりすと
一、開会の挨拶
・奉祝国会議員連盟実行委員長 平沼赳夫(元通産相)
一、主催者式辞
・奉祝国会議員連盟会長 森喜朗(元首相)
・奉祝委員会会長 岡村正(日本商工会議所会頭)
一、政府代表祝辞
・内閣総理大臣 麻生太郎
一、各界からの祝辞
・日本経済団体連合会会長 御手洗富士夫
・全国知事会会長 麻生渡(福岡県知事)
・日本身体障害者団体連合会会長 小川栄一
・沖縄県遺族連合会名誉会長 座嘉味和則
・元宮内庁式部官長 苅田吉夫
・北京オリンピック日本代表選手 上野由岐子(ソフトボール)、伊調馨(レスリング)、松永共広(レスリング)
一、聖寿万歳
・日本会議会長 三好達(元最高裁判所長官)
一、閉会
第2部 祝賀公演
一、語り舞台「日本神話への誘い」
・女優 浅野温子
一、歌唱「旅立ちの日に」「御即位奉祝歌~平成の御代をたたえん」
・テノール歌手 秋川雅史
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■挨拶・式辞・祝辞より
(※印象に残った話を、会場で取ったメモによる大意で掲載。文責はほそかわ)
●奉祝国会議員連盟実行委員長 平沼赳夫(元通産相)
「天皇陛下は御即位20年の間に、180回の地方ご巡幸、全国47都道府県、514市町村をご訪問された。全国47都道府県を巡られたのは、歴代天皇で初めて。平成7年阪神淡路大震災、平成16年新潟県中越地震等の災害に御心を砕かれ、国民を励ましてくださった。平成17年には広島・長崎・沖縄のご巡幸を実現された。また240万人の外地で亡くなられた人々を慰霊するため、サイパン等を行幸啓された。皇太子時代を含め、48カ国を公式訪問され、わが国の国際親善に尽くされた。平成という混迷の時代において、わが国をお支え下さっているのは、天皇陛下の御存在であることは言うまでもない。奉祝国会議員連盟は、民間の奉祝運動と手を携えて、奉祝の気運を盛り上げたい」
●内閣総理大臣 麻生太郎
「今上陛下は来年1月7日、御即位20年をお迎えになる。まことに慶賀にたえない。政府は、来年11月12日に記念式典を開催することを決定した。「内平らかに、外成る」の思いで平成の御代は始まった。この20年間は、内外激動の20年間だった。自然災害、テロ、国際紛争が頻発する中、陛下は常に世界平和を祈念されてこられた。そのご心労はいかばかりかと拝察する。被災地のお見舞いをされ、人々の幸を願われる天皇皇后両陛下のお姿、お言葉、笑顔にどんなに励まされたことか。日本国と日本国民統合の象徴である天皇陛下の御即位20年を国民とともに、御奉祝申し上げたい」
●日本経済団体連合会会長 御手洗富士夫
「経済界は未曾有の危機にある。信用収縮が起き、実体経済に影響が及び日米欧の成長率がマイナスに転じている。世界経済が同時不況に陥る可能性が高まっている。この難局を乗り越え、世界経済を安定的な軌道に乗せていかねばならない。日本経済も危機的な状況を乗り越えていくために、ビジョンを打ち出していく必要がある。民間企業が牽引となって、希望あふれる明るい国を築いていきたい。経済界に身を置く者として、陛下の御心を煩わせることのないように努力したい」
●日本身体障害者団体連合会会長 小川栄一
「天皇皇后両陛下のお陰で、身障者に対する世の中の見方が大きく進んだ。昭和39年わが国で初めてパラリンピックが開催された。皇太子殿下時代の天皇陛下は、連日大会に参加され、選手をご訪問された。また東宮御所に選手をお招きになった。『日本の選手はほとんどが施設から参加している。外国は家庭から参加しており、リハビリが進んでいる』旨のお言葉があった。このお言葉がきっかけとなって、毎年身障者スポーツ大会が開かれるようになった。閉じこもりがちだった身障者がスポーツをするようになり、やればできるという勇気と自信を得た。家族もその姿に勇気を得て、励まされた。世の中の身障者への理解も深まった。陛下は身障者を園遊会にお招きいただき、お言葉をかけてくださる。皇室こそ、日本の素晴らしい国柄を代表されている」
●沖縄県遺族連合会名誉会長 座嘉味和則
「沖縄に対し並々ならぬお気持ちを寄せてくださっている両陛下に感謝申し上げている。私は5回接見の機会を頂いているが、最も印象的だったのは、平成5年、御即位後初めて沖縄をご訪問された時のことである。両陛下は全国植樹祭に来られた。ご到着されると、真っ先に南部戦跡に行かれて、天皇陛下として初めて献花をされ、慰霊をされた。次に沖縄平和祈念堂で県内から集った150名に5分間原稿なしで、ゆっくりとお言葉を賜った。沖縄の犠牲者への心からの慰め、霊の供養になったと思う。天皇陛下は、皇太子時代に南部戦跡を訪ねられた時、八・八・八・六の琉歌を賜った。『ふさかいゆる木草めくる戦跡くり返し返し思ひかけて』。毎年追悼式前夜祭では、摩文仁(まぶに)と題されたこの琉歌を紹介している」
関連掲示
・マイサイト「国柄」の拙稿
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/j-mind02.htm
・マイサイト「君と民」の拙稿
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/j-mind10.htm
私は開会の1時間以上前に着いたのだが、既に会場には多数の人が詰めかけており、ようやく席を得たのは最上階の一番舞台寄りの一角だった。場内に入れない1500名ほどの人は、第2会場に案内され、大型スクリーンを見ながら式典に参加したと聞く。
この度の奉祝中央式典は、来年1月7日に今上陛下が御即位20年を迎えられるにあたり、奉祝の機運を盛り上げようと開催された。主催は、天皇陛下御即位20年奉祝委員会、天皇陛下御即位20年奉祝国会議員連盟である。
今上陛下は御即位以来、全国47都道府県をくまなく御訪問になり、地震などの被災者へのご激励、障害者や高齢者への福祉や医療のご支援、先の大戦での戦歿者への追悼などに心を砕かれ、世界に対しては日本の素晴らしさを発信してこられた。
来年11月12日には、政府主催で記念式典を行う。それまでの日々、多くの国民がわが国に伝わる皇室の伝統を深く理解し、皇室に象徴される日本の国柄の素晴らしさに目覚め、国民こぞって記念式典を挙行すべく、啓発運動を津々浦々に広げていきたいと思う。
以下、中央式典の次第と印象に残った話を掲載する。
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第1部 奉祝式典
司会 平野啓子 元NHKアナウンサー、語り部・かたりすと
一、開会の挨拶
・奉祝国会議員連盟実行委員長 平沼赳夫(元通産相)
一、主催者式辞
・奉祝国会議員連盟会長 森喜朗(元首相)
・奉祝委員会会長 岡村正(日本商工会議所会頭)
一、政府代表祝辞
・内閣総理大臣 麻生太郎
一、各界からの祝辞
・日本経済団体連合会会長 御手洗富士夫
・全国知事会会長 麻生渡(福岡県知事)
・日本身体障害者団体連合会会長 小川栄一
・沖縄県遺族連合会名誉会長 座嘉味和則
・元宮内庁式部官長 苅田吉夫
・北京オリンピック日本代表選手 上野由岐子(ソフトボール)、伊調馨(レスリング)、松永共広(レスリング)
一、聖寿万歳
・日本会議会長 三好達(元最高裁判所長官)
一、閉会
第2部 祝賀公演
一、語り舞台「日本神話への誘い」
・女優 浅野温子
一、歌唱「旅立ちの日に」「御即位奉祝歌~平成の御代をたたえん」
・テノール歌手 秋川雅史
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■挨拶・式辞・祝辞より
(※印象に残った話を、会場で取ったメモによる大意で掲載。文責はほそかわ)
●奉祝国会議員連盟実行委員長 平沼赳夫(元通産相)
「天皇陛下は御即位20年の間に、180回の地方ご巡幸、全国47都道府県、514市町村をご訪問された。全国47都道府県を巡られたのは、歴代天皇で初めて。平成7年阪神淡路大震災、平成16年新潟県中越地震等の災害に御心を砕かれ、国民を励ましてくださった。平成17年には広島・長崎・沖縄のご巡幸を実現された。また240万人の外地で亡くなられた人々を慰霊するため、サイパン等を行幸啓された。皇太子時代を含め、48カ国を公式訪問され、わが国の国際親善に尽くされた。平成という混迷の時代において、わが国をお支え下さっているのは、天皇陛下の御存在であることは言うまでもない。奉祝国会議員連盟は、民間の奉祝運動と手を携えて、奉祝の気運を盛り上げたい」
●内閣総理大臣 麻生太郎
「今上陛下は来年1月7日、御即位20年をお迎えになる。まことに慶賀にたえない。政府は、来年11月12日に記念式典を開催することを決定した。「内平らかに、外成る」の思いで平成の御代は始まった。この20年間は、内外激動の20年間だった。自然災害、テロ、国際紛争が頻発する中、陛下は常に世界平和を祈念されてこられた。そのご心労はいかばかりかと拝察する。被災地のお見舞いをされ、人々の幸を願われる天皇皇后両陛下のお姿、お言葉、笑顔にどんなに励まされたことか。日本国と日本国民統合の象徴である天皇陛下の御即位20年を国民とともに、御奉祝申し上げたい」
●日本経済団体連合会会長 御手洗富士夫
「経済界は未曾有の危機にある。信用収縮が起き、実体経済に影響が及び日米欧の成長率がマイナスに転じている。世界経済が同時不況に陥る可能性が高まっている。この難局を乗り越え、世界経済を安定的な軌道に乗せていかねばならない。日本経済も危機的な状況を乗り越えていくために、ビジョンを打ち出していく必要がある。民間企業が牽引となって、希望あふれる明るい国を築いていきたい。経済界に身を置く者として、陛下の御心を煩わせることのないように努力したい」
●日本身体障害者団体連合会会長 小川栄一
「天皇皇后両陛下のお陰で、身障者に対する世の中の見方が大きく進んだ。昭和39年わが国で初めてパラリンピックが開催された。皇太子殿下時代の天皇陛下は、連日大会に参加され、選手をご訪問された。また東宮御所に選手をお招きになった。『日本の選手はほとんどが施設から参加している。外国は家庭から参加しており、リハビリが進んでいる』旨のお言葉があった。このお言葉がきっかけとなって、毎年身障者スポーツ大会が開かれるようになった。閉じこもりがちだった身障者がスポーツをするようになり、やればできるという勇気と自信を得た。家族もその姿に勇気を得て、励まされた。世の中の身障者への理解も深まった。陛下は身障者を園遊会にお招きいただき、お言葉をかけてくださる。皇室こそ、日本の素晴らしい国柄を代表されている」
●沖縄県遺族連合会名誉会長 座嘉味和則
「沖縄に対し並々ならぬお気持ちを寄せてくださっている両陛下に感謝申し上げている。私は5回接見の機会を頂いているが、最も印象的だったのは、平成5年、御即位後初めて沖縄をご訪問された時のことである。両陛下は全国植樹祭に来られた。ご到着されると、真っ先に南部戦跡に行かれて、天皇陛下として初めて献花をされ、慰霊をされた。次に沖縄平和祈念堂で県内から集った150名に5分間原稿なしで、ゆっくりとお言葉を賜った。沖縄の犠牲者への心からの慰め、霊の供養になったと思う。天皇陛下は、皇太子時代に南部戦跡を訪ねられた時、八・八・八・六の琉歌を賜った。『ふさかいゆる木草めくる戦跡くり返し返し思ひかけて』。毎年追悼式前夜祭では、摩文仁(まぶに)と題されたこの琉歌を紹介している」
関連掲示
・マイサイト「国柄」の拙稿
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/j-mind02.htm
・マイサイト「君と民」の拙稿
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/j-mind10.htm
私は27歳くらいまで日本の良さに気づかなかった者ですが、日本の歴史を知るにつけ日本の良さ、天皇の大切さに気づかされました。
まさに天皇がいてこその日本だと感じ入っています。
記事のような催しが今後あるか分かりませんが、時間の許す限り参加し、天皇陛下を称えたいと思います
一般法則論
同感です。
今後ともよろしくお願いします。
出席した国会議員は158と全体の2割と少ないと思います。北京五輪応援の議員が238名なのに。特に自民党議員で、北京五輪は応援するけれど、奉祝は応援しない議員が110名もいるのには驚きです。ブログ「日本会議に入ろう」にその110名の議員名を書きました。