ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

ユダヤ4~教祖のいない唯一神教

2017-01-25 09:32:39 | ユダヤ的価値観
●教祖はいない

 ユダヤ教には、教祖として特定できる個人はいない。ユダヤ教は、民族の長い歴史を通じて発達してきた。ユダヤ民族の祖とされるアブラハムは、神ヤーウェと契約を結んだ。契約の時期は紀元前2千年紀の初頭と考えられるので、ユダヤ教はそれ以来、またはそれ以前からの歴史を持つと言えよう。アブラハムは、神と最初に契約した族長であって、ユダヤ教の創始者ではない。紀元前13世紀に神から律法を授けられたモーセ(モーゼとも書く)も、宗教的指導者ではあるが、創唱者ではない。彼らの後に現れ、ユダヤ教を発展させた預言者や律法学者(ラビ)も、この民族宗教の創設者ではなく、既にユダヤ教は民族の宗教として発達していた。この点で、ユダヤ教は自然宗教であり、セム系一神教の中で、創唱宗教であるキリスト教・イスラーム教とは、異なっている。

●唯一神教の一神教
 
 ユダヤ教が出現する前、人類の諸社会は、アニミズム、シャーマニズム、多神教、ユダヤ教以前の一神教等の諸宗教が並存していた。ユダヤ教は、アニミズム、シャーマニズム、多神教等を否定し、従来の一神教を排斥した。そして、新たな形態の一神教を生み出した。それが唯一神教である。
 ユダヤ民族の唯一神教は、唯一の神のみを神とし、自己の集団においても他の集団においても、一切他の神格を認めない。その点が、従来の一神教すなわち自集団・他集団とも多くの神格を認める単一神教や、自集団では神格は一つだが他集団では多数の神格を認める拝一神教と異なる。
 ユダヤ民族は、全知全能の唯一神という観念を確立し、他の神々や霊的存在を偶像として非難し、それらの崇拝を禁止する。こうした排他的・闘争的な唯一神への信仰は、それまでの諸宗教が並存する状態に挑戦するものである。また、アニミズム、シャーマニズム等にみられる祖先崇拝・自然崇拝を全否定するものだった。
 歴史家・評論家のポール・ジョンソンは、著書『ユダヤ人の歴史』において、ユダヤ教は「その誕生においては、最も革命的な宗教であった」と書き、全知全能の唯一神への信仰は、「それまでの人類の世界観を打ち砕くほどの変革力を持っていた」と見ている。
 全知全能の神という観念にいたったユダヤ人にとっては、宇宙全体が神の被造物に過ぎない。神以外に力の源はどこにもない。この点でユダヤ教は神を一元的に抽象化している。この思考は一元的な原理に基づくものであり、その原理に依拠する合理性を示す。
 ユダヤ教の神は無限の偉大さを持つとされ、神の姿を限定的に表現することは禁止される。また他の一切の祖先神や自然神を認めず、偶像崇拝を禁止する。この思想は、排他的で闘争的である。さらに、これに選民思想が加わり、ユダヤ教を極めて排他的で闘争的な宗教にしている。
 私は、ユダヤ教で唯一神とされた観念的存在は、もともとユダヤ民族の祖先神だったのだろうと推測する。その祖先神は他の諸民族の祖先神と並存・競合したものだった。だが、自己の民族の祖先神が他の民族の祖先神より優れているという観念が強まり、天地創造の主体という原理的存在へと抽象化された。原理的存在ゆえに唯一の神であるとされ、唯一の実在とされた。その結果、他の民族の神々は否定されるべきものとされた。このような過程を経て、唯一神への信仰が形成されたと考える。
 この推察は、イスラーム教の発生過程に示唆を受けたものである。イスラーム教のアッラーはアラブの古い神であり、ムハンマドの出自であるクライシュ族の部族神でもあった。アッラーはカーバ神殿の主神ではあったが、多数の部族神の中の一つだった。だが、ムハンマドは、アッラーの絶対唯一性を主張し、アッラーをユダヤ教のヤーウェと同定した。そのうえでアッラーこそ真の神であり、ヤーウェはそれを誤り伝えているものとした。ムハンマドはクライシュ族の部族神を唯一神に祀り上げた。その過程から、ユダヤ教における唯一神の観念の誕生の過程が類推される。
 ユダヤ民族の神がもともとは彼らの祖先神だっただろうことは、神は人間を神の似姿として創造したという観念にも窺われる。人間の子孫は祖先と同型である。同じ人間である祖先から生命を継承して誕生したからである。祖先を神格化した祖先神を原理的存在へと抽象化した後も、その神が生命の源であるという観念は維持される。もともと祖先神であるから、その神が創った人間は、神に似ていると考えられたのだろう。
 私の推測では、本来は祖先神として子孫と血のつながりを持ったものだった神が抽象化され、人間の創造者とされた。祖先ではなく絶対的な支配者とされた。そして、ユダヤ民族に求められるのは、祖先への自然な崇敬ではなく、支配者と結んだ契約の順守とされた。ここで神と人間の関係は、祖先と子孫の関係ではなく、主人と奴隷の関係に転換された。神に対する義務は、祖先に対する子孫の義務ではなく、主人に対する奴隷の義務となった。こうした観念が発生したのは、ユダヤ民族が他の民族の支配下に置かれ、長い年月のうちに奴隷的な思考が定着したからだろう。神に対して奴隷のように従い、従わねば奴隷のように殺されると信じることになったと思われる。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「イスラームの宗教と文明~その過去・現在・将来」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-2.htm

最新の画像もっと見る

コメントを投稿