ほそかわ・かずひこの BLOG

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インド66~スィク教、ヒンドゥー教の東南アジアへの伝播

2020-03-31 13:45:08 | 心と宗教
●スィク教

 ここでムガル帝国のところで触れたスィク教について述べたい。
 スィク教は、16世紀初めに創設された、ヒンドゥー教とイスラーム教を批判的に統合した宗教である。その出現もまた、イスラーム教とヒンドゥー教の相互作用によるものといえる。スィク教は、キリスト教、イスラーム教、ヒンドゥー教、仏教に続いて今日、世界で5番目に信者の多い宗教であり、インドを中心に約3000万人の信者がいるとされる。
 開祖ナーナクは、カビールから強い影響を受けた。捨て子として不可触賎民のイスラーム教徒に育てられたカビールは、15世紀後半からヒンドゥー教とイスラーム教の融和を説き、カースト制を批判した。ナーナクは、上位カーストに所属していたが、カビールの思想に共感し、ヒンドゥー教の改革を目指して、スィク教を創設した。スィク教は、唯一永遠の神を信じ、偶像崇拝を排する。また、輪廻転生説を肯定するが、カースト制は完全否定する。スィク教の登場は、不可触へのイスラーム教の浸透とともに、カースト制が支配する社会に一部揺らぎが生じたことを示している。
 スィク教は、17世紀後半に、第10代のグル、ゴービンド・シングが武装集団を組織してムガル帝国に対して半独立の姿勢を示したことにより、暗殺された。その後も、教団は反乱を繰り返した。ムガル帝国の衰退とともに勢力を拡大し、パンジャーブ地方に小国家の連合体を形成した。
 話が19世紀にまで及ぶが、19世紀初めには、ランジート・シングがスィク王国を建国し、パンジャーブ地方を統一し、インド北部のカシミールにまで勢力を拡大した。だが、彼の死後、スィク王国は後継者争いから内部が混乱していたため、イギリスの介入を受けた。1845年から48年にかけての第1次・第2次スィク戦争でイギリスと戦ったが敗北し、王国は滅亡した。

●ヒンドゥー教の東南アジアへの伝播
 
 ヒンドゥー教は、インドの民族宗教であるが、一時は世界宗教としての性格を強くした。とりわけ、東南アジアへの広がりが重要である。
 ヒンドゥー教は、2世紀頃から東南アジアへ進出した。当時、インドの貿易商や諸侯は、香料を求めて、海路でインドネシアのスマトラ、ジャワ諸島へ行った。彼らはヒンドゥー教や仏教、またインドの文化を伝えた。インド文明の影響を強く受けた現地の支配階級は、ヒンドゥー教や仏教の儀礼を取り入れた。
 4世紀からのグプタ朝の時代には、インド人はより積極的に海外に進出して植民地を作り、東南アジアの各地に王国を形成した。スマトラ、ジャワ諸島だけでなく、ボルネオ、マラヤ、インドシナ等でも、国王がヒンドゥー教や仏教を信仰したので、その宗教文化が民衆に浸透した。
 東南アジアへのヒンドゥー教・仏教の伝播は、主に商業や往来を通じたものだった。その伝播の中で、インドの叙事詩が伝えられた。特に『ラーマーヤナ』は、各地に広く普及し、土着化した。現地の言語で、それぞれ微妙に異なる内容が伝承されている。また、インド叙事詩の摂取と変容を通じて、インドネシアでは独自の民族文学が発達した。
 ヒンドゥー教・仏教の宗教文化の影響の強い地域に対して、イスラーム教が浸透するようになったのは、13世紀からである。イスラーム教もヒンドゥー教や仏教と同じく、インドから伝播した。主にグジャラート州のインド人ムスリムの貿易商がイスラーム教を北部スマトラに伝えたのがはじめで、その後、2世紀の間にジャワ諸島等の住民がイスラーム教に改宗した。また16世紀にイスラーム教徒の軍隊が東南アジア各地に侵入し、ヒンドゥー教や仏教を奉じる諸王国を征服した。イスラーム教の勢いは強く、多くの地域でヒンドゥー教は滅び、バリ島にのみ残った。一方、ミャンマーやタイ等では上座部仏教が主要な宗教として存続した。
 今日、東南アジアには、ヒンドゥー教・仏教の影響が強かった時代の遺跡が多数ある。ジャワのボロブドゥール遺跡は、大乗仏教の遺跡だが、インド神話の神々が壁面に彫られている。同じくジャワのロロ・ジョングラン神殿は、ヒンドゥー教のシヴァを祀る神殿が中心に位置し、壁面には『ラーマーヤナ』の浮き彫りが施されている。両脇にはブラフマー、ヴィシュヌの神殿が並ぶ。カンボジアのアンコール・ワットは、ヒンドゥー教の神殿として作られ、ヴィシュヌを祀ったが、16世紀後半に大乗仏教の寺院に改修された。改修後もヒンドゥー教の神々の彫像がある。現在は上座部仏教の寺院となっている。ミャンマーのアーナンダ寺院は、上座部仏教の寺院だが、インドの神々が彫刻されている。
 東南アジアでは、ヒンドゥー教と仏教の間で紛争がなく、多くの寺院が仏像とともにヒンドゥー教の神像を祀っている。ヒンドゥー教の寛容性とともに仏教の寛容性を同時に示す現象である。

 次回に続く。

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