ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

皇位継承18~天皇の帝王学

2021-11-27 10:11:59 | 皇室
7.「天皇の帝王学」を悠仁親王殿下に

●天皇の帝王学

 皇位の安定的継承のための具体的な方策の項目に、養子という方策を揚げた。その際、今上天皇陛下には男子がないため、秋篠宮皇嗣殿下は悠仁親王殿下を天皇陛下の養子に出されてはどうかという意見があることを書いた。悠仁様を養子にすれば、天皇家の子孫が皇位を継ぐことになる。この方策は、悠仁様の教育にも関わるものとなる。
 悠仁様は、将来天皇になるお立場にある。天皇になる方には、そのための特別の教育が必要である。これを帝王学と言う。
 帝王学とは、「帝王になる者がそれにふさわしい素養や見識などを学ぶ修養」(「広辞苑」)である。シナの皇帝に関するものであるが、わが国には天皇になるべき方がそれにふさわしい素養や見識などを学ぶ修養として、天皇の帝王学がある。
 皇室に関わる制度は、日本文明に固有の国柄・伝統・宗教を中心とし、そこにシナ文明の政治・道徳・文化を取り入れたものである。帝王学も同様であって、わが国の天皇を後継すべき者としての修養の道を中心とし、そこにシナの帝王学を摂取したのである。
 シナの帝王学では、唐の皇帝太宗による三種の文献がよく知られている。まず『貞観政要』は、太宗とその臣下との政治問答録である。北条政子や徳川家康らが愛読し、今日でも帝王学の教科書として挙げられる。第二に『帝範』は、太宗が自ら撰し、皇太子(後の高宗)に授けた帝王としての訓戒の書である。第三に『群書治要』は、太宗が秘書監の魏徴に編纂させた政治の指針を記した書である。
 わが国の皇室においても、これらの三書は帝王学の必読書として読まれてきた。明治時代以降、近代化=西欧化が進み、漢籍を中心とした教育体系ではなくなった後においても、昭和天皇に至るまで、これらの書物は修養のために愛用された。だが、シナ文明の文献の学習は、あくまで補助的に、いわば肥料程度に採り入れられたものである。
 日本文明では、神話に記された初代・神武天皇から今上天皇まで、一系の家系で皇位が継承されてきた。天皇に求められるものは、神武天皇以来の血統、先代の天皇から継承される神器、君主としてふさわしい徳である。シナの皇帝には、古代の王朝から続く血統も神器もない。シナ文明では有史以来、幾度も王朝が替わり、支配する民族が替わった。神話・伝説に現れる王の系統は、早くも古代に消滅した。各王朝の皇帝は、国家・民族間の争いを通じてその地位を奪い、権力を掌握した者及びその後継者である。それゆえ、帝王学と言っても、日本とシナでは基本的な条件が大きく異なる。シナの帝王学から学ぶことのできる範囲は最初から限られている。
 私は、天皇の帝王学の主要な内容について、次のように推測する。第一は、皇室に伝わる神道の祭儀を司る者として礼式・作法を身につけることである。第二は、神武天皇が建国の理想とした八紘一宇の精神を継承することである。第三は、皇族の一員または皇太子としての役割・職務を通じて広く様々な経験を積むことである。第四は、歴代天皇の事績を学んで天皇にふさわしい君徳を備えることである。第五は、その君徳を養うために古今東西の文献を通じて知識・教養を吸収することである。
 シナの帝王学が役立つのは、これらのうちの第五に限られる。もっと重要なのは、第一から第四である。これら四つの要素を学び、体得する教育は、どのように行われるべきだろうか。
 第一に、天皇が自ら後継予定者に教育することが最善の道だろう。日常の生活と公務のすべてがその教育となるだろう。また歴代天皇が書き残した帝王学の書が活用されるべきだろう。そのような書としては、まず『寛平御遺誡』が知られる。第59代宇多天皇が、当時13歳だった息子の第60代醍醐天皇に譲位するにあたって、天皇の心得や作法などを書き記した書である。後の歴代天皇に尊重された。宇多天皇は臣籍から皇籍に戻って皇位に就いた天皇であり、天皇としてどうあるべきか真摯な姿勢がその書から感じられる。醍醐天皇は臣籍で誕生し、父の即位によって皇籍に入った。仁政を行ったことで知られる。次の書として有名なものに、『禁秘抄』がある。第84代順徳天皇が天宮中行事・儀式・政務などに関する故実・作法を記した書である。4歳で譲位した息子の第85代仲恭天皇のために書かれたものと見られる。後世に至るまで有職故実の基準とされた。 
 第二に、天皇や皇族に仕える者や優れた学者・有識者がそれぞれの学識を以って、教育に当たることである。ただし、彼らが担い得るのは、天皇による直接教育を補佐することであり、いかなる者による教育も天皇による直接教育に替わることはできない。
 第三に、将来天皇になるべき者は、特別の教育機関で教育を受けるべきである。そのための機関として、学習院がある。学習院は、19世紀初め徳川幕藩体制のもとで朝廷の権威の復活に努めた第119代光格天皇の構想に発する。平安末期以来断絶していた大学寮に代わる朝廷の公式教育機関の復活を図ったものである。第120代仁孝天皇がその遺志を継ぎ、第121代孝明天皇が京都に開設し、幕末まで続いた。明治維新後、第122代明治天皇は、明治10年(1877年)に皇族・華族の教育機関として学習院を東京に設立された。以後、今上天皇までの歴代天皇及び皇族は、学習院に学ぶのが伝統となっている。学習院は大東亜戦争の敗戦後、私立の学校として再建され、現在の学校法人学習院および学習院大学となっている。
 悠仁様には、これら天皇による直接の教育、学者・有識者等による教育、特別の教育機関での教育のすべてが欠けている。これは実に由々しき問題である。

 次回に続く。

************* 著書のご案内 ****************

 人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1

************************************