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ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

「令和」「桜」「温泉」・・・中国で空前の日本ブーム~石平氏

2019-04-29 08:53:14 | 時事
 シナ系日本人評論家の石平氏が、中国では元号や桜などをめぐって、日本ブームが起こっていると伝えている。新元号が報じられると、中国の失われた伝統は日本に現存することに対する称賛と羨望の声が数多く聞こえる。また、桜、美しい自然風景、もてなし等が多くの中国人の心を捉えて空前の日本観光ブームを引き起こしているという。
 「江沢民政権時代からの「反日教育」が30年近くにわたって行われてきたこともむなしく、日本の伝統、日本の文化、日本の美しさがおのずと多くの中国人を魅了していることは実に興味深い」と石氏は書いている。
 以下は、石氏の記事の全文。

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●産経新聞 平成31年4月18日

https://www.sankei.com/column/news/190418/clm1904180003-n1.html
【石平のChina Watch】「日本ブーム」が意味するもの
2019.4.18 11:30|コラム|その他

 平成最後のこの4月、隣の中国ではちょっとした「日本ブーム」が起きている。
 ことの始まりは新元号の発表である。1日の11時41分頃に「令和」が発表された直後、中国国営の新華社通信や、中国の代表的なポータルサイトの『新浪』『網易』、人民日報傘下の環球時報ウェブ版などはまるで日本のメディアと競合しているかのように速報を出した。そしてそれを受け、ネット上では日本の新元号に対するコメントが殺到し、このテーマひとつで中国のネット空間は大いに盛り上がった。
 それからほぼ1週間、新元号はホットな話題であり続けた。前述の環球時報はもちろんのこと、大都会の上海では発行部数が最も多い『新民晩報』や、全国紙の『文匯報』などが論評を掲載したり、専門家を招いて座談会を開いたりして、新元号の話題を盛り上げた。
 その中で、「中華文明から発祥した元号をそこまでに大切にし、現代生活に密着させている日本人の知恵には敬服の念を禁じ得ない」と絶賛する論評もあれば、「令和」の出典は元をたどれば中国古典にあることを殊更に強調し、「日本は中国の痕跡を消すことができない」というコメントもあった。
 ネット上では、中国の失われた伝統は日本に現存することに対する称賛と羨望の声が数多く聞こえる一方、中国語で「令」と「零」の発音が同じことから、「令和の意味はすなわち“平和の思いがゼロ”だ」と、こじつけて日本の新元号をおとしめるような書き込みも見られた。
 しかしいずれにしても、改元するのは日本であるのに、中国のメディアとネットがそれほど熱をあげて大騒ぎしている光景はまさしく不可思議である。背後にあるのは、中国自身の喪失した伝統を今でも生かしているこの日本に対する中国人たちの、羨望と嫉妬を交えた屈折した思いではないのかと思う。
 4月といえば日本では桜の季節である。実は数年前から、「日本で花見するブーム」が中国で起きている。
 伊豆半島の河津町や東京の千鳥ケ淵、京都や奈良の花見の名所で中国人観光客があふれている光景が報じられており、写真が趣味で多くの花見スポットを訪れた筆者自身も、あちこちで、桜の花に見ほれる、かつての同胞たちの姿を数多く見た。日本の自然美の象徴である桜はこうして、多くの中国人を魅了して彼らの心をひきつけているのである。
 中国人が魅力を感じているのはもちろん桜だけではない。日本の四季折々の美しい自然風景、風情の漂う温泉旅館や日本庭園、中国自身の古き良き時代を思い起こさせる古寺や古い町並み、そして心に届く日本の温かいもてなし、それらのすべては多くの中国人の心を捉えて空前の日本観光ブームを引き起こしているのである。
 江沢民政権時代からの「反日教育」が30年近くにわたって行われてきたこともむなしく、日本の伝統、日本の文化、日本の美しさがおのずと多くの中国人を魅了していることは実に興味深い。日本はこれだけ、魅力のあふれる良い国だからであろう。
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アイヌ新法論をアップ

2019-04-19 10:29:50 | 時事
 4月9日から本日にかけてブログとMIXIに連載したアイヌ新法論を編集し、マイサイトに掲示しました。通してお読みになりたい方は、下記へどうぞ。

■アイヌ新法は日本を分断し、亡国に導く
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion13-04.htm

★補説

 平成31年(2019年)4月19日、上記の掲示をした数時間後、「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」、略称アイヌ新法が成立した。法律として初めてアイヌを「先住民族」と明記し、独自の文化の維持・振興に向けた交付金制度を創設すること等を定めた。同法のもと、政府はアイヌ政策推進本部を設置し、政府や自治体の責任で産業や観光の振興にも取り組み、アイヌ以外の国民との共生や経済格差の是正を図るとのことである。
 2007年の国連宣言で民族の権利とされた自決権や教育権などは盛り込まず、付帯決議で宣言を尊重するよう政府に求めるにとどめたとはいえ、「先住民族」と法律に規定したことによって、今後多大な影響が予想される。日本の新たな苦難が始まった。私は、慰安婦問題以上の問題に拡大していくだろうと予想する。

アイヌ新法5~政治的偏向、中国が利用

2019-04-17 09:33:30 | 時事
●アイヌ系団体の政治的な偏向

 公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構は、学習用副読本を作って、北海道の小中学生に配布している。その内容に「(日本)政府がアイヌの人達に断りも無く(北海道を)一方的に日本の一部とした」と書かれている。これは歴史的事実に反するだけではなく、北海道の子供達に自虐史観を植え付ける内容である。また「日本国民には倭人、アイヌ民族、ウィルタ(樺太で暮らしていた人々)、在日韓国朝鮮人、さらには世界各国に出自を持つ様々な民族が含まれている」とも書かれている。在日韓国人等は、日本国籍ではないから、事実に反することを教えている。
 このアイヌ財団の理事は、天皇陛下が北海道をご訪問された時に、「天皇制反対」の集会を開いた。そういう政治的な偏向は、アイヌ協会ではさらに目立っている。アイヌ協会の阿部一司副理事長は、北朝鮮のチュチェ思想、すなわち金日成の主体思想の信奉者である。また、アイヌ協会は団体・在日団体とのつながりが指摘されている。
 これらのことは、アイヌの関係団体は、いまやほとんど反日左翼団体になっていることを意味する。

●中国共産党が利用

 さらに大きな問題がある。背後で中国が絡んでいるのである。中国共産党は、早くからアイヌに目をつけてきた。昭和47年(1972年)の日中友好回復の前の年に、アイヌを中国に招いた。すると、アイヌは中国を素晴らしい国だと思うようになった。その後、中国共産党は何度もアイヌを呼んで洗脳したので、アイヌ協会は中国共産党と密接な関係がある。
 平成24年(2012年)4月、日中友好訪問団として唐家璇・元国務委員(外務大臣・副首相級)が、白老町に建設中の「国立民族共生公園」の予定地を訪問した。まだほとんど何もない状態だったのに、中国は早くも強い関心を向けていた。
 平成30年(2018年)5月に李克強首相が北海道を訪れた。高橋はるみ知事と会い、「中国と北海道の交流をさらに深めていきたい」と述べ、北海道の農産品を輸入する用意があることを伝えた。安倍首相が李克強首相に同行し、苫小牧市にあるトヨタ自動車の工場を訪問し、先端技術を見学した。李首相は、この時、札幌でアイヌ協会の会長と会合を持っている。
 私は、ブログや講演等で、中国資本が、北海道の各地で土地を買収していることを指摘し、対応を提案してきている。中国共産党は、北海道の水や農産物、鉱物資源等に目をつけ、北海道を支配しようと狙っている。そして、アイヌを北海道の支配に利用しようとしていると見られる。

 次回に続く。

■追記
 本稿を含む拙稿「アイヌ新法は日本を分断し、亡国に導く」は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion13-04.htm
 また、これに続く拙稿「アイヌ施策推進法は改正すべし~その誤謬と大いなる危険性」を合わせてお読みください。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion13-05.htm

アイヌ新法4~アイヌ系団体の問題点

2019-04-15 09:27:57 | 時事
●アイヌの認定

 実は、アイヌと認定するのは国でなく、公益社団法人北海道アイヌ協会が認定している。アイヌ協会の理事長が承認すれば、アイヌと認められ、補助金等を受けられる。
 アイヌ協会は、「アイヌの血を引くと確認された者」のほか、その家族・配偶者・子孫、養子縁組による者にまでアイヌと認定している。アイヌの血を引いていなくともアイヌと認定されれば、異常に手厚い社会保障の特権を受けることができる。
 昭和63年(1988年)の調査では、東京在住のアイヌが2700人と推計された。だが、今は7万5000人と急増している。アイヌ協会が認定すれば、誰でもアイヌになれるから、補助金目当てのにせアイヌが増えていると見られる。
 北海道アイヌ協会には、アイヌ系日本人が全員加入しているのではない。加入しているのは、全体の1割程度であり、約9割のアイヌ系日本人は、協会に加入していない。大多数のアイヌ系日本人は、真面目に日本人として生活している。問題は、特権を悪用する一部のアイヌ協会員である。

●公金の不正支出・不正受給

 北海道では、アイヌの文化や伝統の保護のために、アイヌ協会に対して、毎年多額の補助金や委託金が支出されている。もとは皆さんの税金である。だが、公金の不正支出や不正受給など、多くの問題が指摘されている。補助金等が一つの利権となっている。これをアイヌ利権という。
 平成22年(2010年)9月に、アイヌ協会の役員が補助金を水増し請求し、不適切な支給を受けていたことが発覚した。だが、逮捕も訴追もされなかった。その後もこの種の問題が起こっている。
 北海道では、経済的な理由で大学進学が出来ないアイヌの子弟に年間で最大100万円を貸し付ける制度がある。修学資金貸付制度という。平成24年(2012年)の時点で、利用総額24億9千万円のうち、返還に応じたのは、160万円だけだった。0.06%に過ぎない。以後も、ほとんど返還されていない。アイヌ協会の役員が一族で修学資金を受け、月に計100万円以上を受け取っていたケースもある。
 また、アイヌを対象とした就職支援制度がある。職業訓練受講生に対し、月に13~14万円が支給される。通常は一度訓練を受けたら就業するのが普通だが、複数回の受講を行っている例がある。1年おきに10年受け続けたケースもあり、支給額は5年分で780万円以上にも上る。
また、アイヌの人々には、住宅購入資金の貸出制度がある。これも非常に杜撰な状態で貸し出されており、そのほとんどが返還されていない。税金で貸し付けを受けて建てた家を転売していたケースもある。
 ここまでいくと、「たかり」といっても過言ではない。なお、アイヌ協会の会員には、創価学会員が多いと聞く。
 このようにアイヌ協会には、様々な不正支出・不正受給が指摘されているのだが、道もマスコミもその問題を追及しようとしない。そのため、多くの道民はアイヌ協会の問題点を知らされていない。

 次回に続く。

■追記
 本稿を含む拙稿「アイヌ新法は日本を分断し、亡国に導く」は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion13-04.htm
 また、これに続く拙稿「アイヌ施策推進法は改正すべし~その誤謬と大いなる危険性」を合わせてお読みください。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion13-05.htm


アイヌ新法3~アイヌの歴史と現状

2019-04-13 08:56:13 | 時事
●アイヌとは何か

 アイヌとは何か。かつては、アイヌ民族は縄文人の子孫であり、原日本人であるという見方が定説のようになっていた。だが、最近の研究によって、そうではないことが明らかになっている。
 アイヌが北海道の歴史に出現するのは、13世紀以降である。それ以前に、北海道では5世紀から、オホーツク海沿岸にオホーツク文化が栄えた。その文化の担い手をオホーツク人という。また、7世紀から擦文文化も栄えた。その文化の担い手は北海道縄文人である。13世紀にこれらのオホーツク文化と擦文文化が滅び、同時にアイヌの文化が歴史に現れた。この経緯は、まだよくわかっていない。
 しかし、近年遺伝子の研究によって、アイヌは、北海道縄文人の単純な子孫ではないことがわかった。その一方、オホーツク人とは遺伝的に近いこともわかった。オホーツク人は、樺太や大陸のアムール川下流域に住むニブフ(ギリヤーク人)に遺伝的に最も近い。それゆえ、アイヌは、大陸や樺太から来たオホーツク人と北海道縄文人が通婚して、誕生した民族ではないかという説がある。だが、北海道では、遅くとも7世紀以降、オホーツク人と北海道縄文人が交流していた可能性がある。その交流によって、13世紀頃になって新たな民族が誕生したとは考えられない。アイヌとオホーツク人や北海道縄文人との遺伝的なつながりは、むしろアイヌが後から北海道に入ってきて、オホーツク人や北海道縄文人と通婚した結果と考えられる。
 別の説として、アイヌはもともと日本に住んでいたのではなく、大陸や樺太からきて、オホーツク文化や擦文文化を滅ぼして、北海道に住むようになったのではないかという説がある。この説は、アイヌの熊送りの儀式が北海道縄文人には見られず、ユーラシア大陸の狩猟民族の典型的な宗教文化であることと符合する。この説によれば、アイヌはもともと日本に住んでいたのではなく、800年ほど前に大陸からやってきて、オホーツク人や北海道縄文人の文化を滅ぼしたと考えられるから、北海道の歴史とも一致する。

●アイヌの歴史

 アイヌが北海道の歴史に出現したのは13世紀だが、和人はもっと前から北海道に居住していた。平安時代の末の12世紀前半に、奥州藤原氏が厚真町に勢力に及ぼし、仏教を伝えていたことが出土品(常滑焼壺)からわかっている。また北海道最古の神社である函館の船魂(ふなだま)神社は、1135年の創立である。また北海道沿岸に同じころ創建された神社が複数ある。アイヌが先住していたのではない。和人が百年ほど先だったと考えられる。少なくとも北海道のある地域にはアイヌが、別の地域には和人が住んでいる状態が続いたといえる。
 ところが、一般に江戸時代には北海道にはアイヌだけが住んでいて、和人が侵入してひどいことをしたと思われている。これは間違いである。アメリカのインディアンは、白人によって多数殺されたが、日本人はアイヌを大虐殺するような戦争をしていない。有名なシャクシャインの乱は、アイヌ同士の争いから始まった。それで和人が多数殺されたので、乱を治めたものである。
 明治維新後、アイヌは日本国民として戸籍に登録された。日本国民の一部となった。そして、政府は、明治32年(1899年)に北海道旧土人保護法を制定してアイヌを保護した。アイヌは文字を持たず、計算ができず、風呂に入る習慣がなく、不衛生で伝染病が蔓延するなど、そのままでは滅びてしまうので、同じ日本人として保護するためにこの法律がつくられた。土地の無償下付や農具の給付などで優遇し、農業ができるように勧農政策を行った。屯田兵より優遇された。また、この法律は、アイヌが国会に陳情したことによってできた。名称の土人には差別的な意味はなく、戦後も昭和50年(1975年)までは「未開」とか「土着民」の意味で使われていた。
 明治時代以降、アイヌが日本人に同化したのは、アイヌが文字を持たなかったことによる点が大きい。文字を持つ民族と持たない民族が出会った場合、文字を持たない民族は、必ず文字を持つ民族に同化される。これは、歴史の法則である。
 アイヌは日本人に同化したことで、生活が向上した。大東亜戦争の敗戦後、日本を占領したGHQは、農地改革を行った。この時、アイヌは自分たちは大地主だから適用外にしてほしいとマッカーサーに要望した。実際、アイヌの酋長やその一族は、裕福で広大な土地を持ち、日本人を小作人として使っていた。しかし、マッカーサーは、アイヌの要望を受け入れなかった。それでアイヌの地主は土地を失ったが、これは日本人の地主も同じことだった。当時、GHQのスイング司令官は、「アイヌに独立する意思はないか」と尋ねた。しかし、アイヌは「自分たちは日本人だ」といって、独立を断った。
 戦前から北海道アイヌ協会という団体がある。敗戦後の昭和21年(1946年)に社団法人として再建された。一時、北海道ウタリ協会と言った。この団体は、昭和45年(1970年)に、旧土人保護法は我々を保護する法律ゆえ、なくしてもらっては困ると廃止に反対した。
 こうした数々の事実から、和人はアイヌを迫害したのではなく、保護したのであり、アイヌは大いにその恩恵を受けてきたことがわかる。

●アイヌの実態

 アイヌ出身の天才言語学者で北海道大学教授の知里真志保氏は、昭和30年(1965年)に、次のように書いた。「民族としてのアイヌは既に滅びたといってよく、厳密にいうならば、彼らは、もはやアイヌではなく、せいぜいアイヌ系日本人とでも称すべきものである」と。
 当時でもそうだったのだが、さらに今日まで50年以上たっている。現在「アイヌ」を自称している人達の中に、アイヌ語を話す純粋な「アイヌ」は一人もいない。また、アイヌは、DNA検査では認定できないと見られる。長い間に日本人と混血してきているので、日本人と区別できない。
 国勢調査には、アイヌ人の項目はなく、国家機関での実態調査は行われていないに等しい。そのため、アイヌ人の正確な数は不明である。平成29年(2017年)の調査では、道内のアイヌ人口は約1万3000人だった。ただし、それが本当にアイヌなのかどうかには大きな問題がある。

 次回に続く。

■追記

 本項を含む拙稿「アイヌ新法は日本を分断し、亡国に導く」は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion13-04.htm

アイヌ新法2~先住民族に関する国連宣言・国会決議

2019-04-11 09:56:07 | 時事
●先住民族に関する国連宣言・国会決議

 こうした国際的な左翼の動きの結果、平成19年(2007年)9月13日、国連で「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択された。国連宣言は、先住民族に関して、自己決定権、自治権、国政への参加と独自の制度の新設、奪われた権利の賠償、土地・領土・資源の返還等を認めるべきことが書いてある。
 アメリカ、カナダ、オーストラリアなどは、国連宣言に反対した。彼らはインディアンやアボリジニの土地を奪って大量虐殺している。この宣言を認めれば、どれほどの賠償金や広大な土地返還が要求されるかわからない。だから、反対した。日本はこの国連宣言に賛成した。アイヌは日本人であり、先住民族と見ていなかったからである。
 国連宣言には、先住民族とは何かという明確な定義はない。ただし、宣言の全体を読むと、ここにいう先住民族とは、大体次のようなものと理解できる。すなわち、“15世紀以降、白人が世界各地に進出した過程で、植民地化され、人権や基本的自由を剥奪された民族”を指しており、また“独自の文化・伝統を持ち、侵略者によって集団的に虐殺されたり、文化を奪われたり、差別された人々”である。アメリカのインディアンやオーストラリアのアボリジニは、まさにこれである。だが、アイヌは、これには当てはまらない。アイヌは800年以上前から和人との交流を持ち続け、混血が進んだ。明治政府によって保護され、自ら日本語を学んで同化した。他の少数民族のように強制的に同化されたのではない。
 ところが、国連宣言の翌年、平成20年(2008年)6月6日、国会で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が可決された。衆参両院全会一致だった。決議案は突然出され、質問も反対意見も述べる機会も与えられないまま、翌日に全会一致で決議された。自民党内でも正規の手続きを踏まずに提案されたものだった。新党大地の鈴木宗男議員と今津寛自民党道連会長がこの提案を進めた。アイヌ問題は、公明党が熱心に進めており、自民党は公明党の選挙協力を得るために、満足な議論もせずに、国会決議を進めたとみられる。
 先ほど述べたように、国連宣言には先住民族の明確な定義がない。それなのに、国会がアイヌを先住民族とすることを求める決議をしてしまった。これに乗じて、一部のアイヌや左翼が、この10年ほどの間、アイヌを先住民族と認めるよう政府に執拗な働きかけをしてきた。そして、ついに今回、アイヌを先住民族と盛り込む法案が国会に出された。現状では、法案が成立する可能性が非常に高い。
 そのことの何が問題なのかを述べるために、アイヌの歴史と現状から話す。

 次回に続く。

アイヌ新法は日本を分断し、亡国に導く

2019-04-09 10:24:40 | 時事
 私は4月7日に札幌でアイヌ新法に関する講演を行った。その際、話したことをもとに、アイヌ新法の危険性について短期連載する。

●はじめに

 新しい元号が発表された。「令和」という元号は、はじめて日本の古典である万葉集からとられた。4月30日に今上陛下が譲位され、5月1日に皇太子殿下が新天皇となって、日本は新しい時代に入る。2020年には東京オリンピック・パラリンピックが行われ、25年には大阪万博が行われる。日本は、今後ますます世界から注目されることになる。
 その一方、わが国は国内外に多くの問題を抱えてもいる。新たな問題として、アイヌに関する問題が浮上している。
 政府は、今国会でアイヌに関する新しい法律の制定を目指している。この法案をアイヌ新法という。アイヌ新法は、アイヌ民族を「先住民族」と位置づけ、アイヌ文化を生かした地域振興策を行うための交付金の創設等を内容とする。2月15日に閣議決定がされ、国会に提出された。
 アイヌは、特色ある文化を持ち、北海道の観光地で親しまれている。自然と共生する民族というイメージを持っている人も多いだろう。だが、アイヌの団体であるアイヌ協会には、様々な問題があることが指摘されている。
 安倍首相は、類まれな立派な政治家であり、日本の安全や繁栄のために活躍している。だが、アイヌ問題については、よく知らないのではないかと思われる。アイヌ新法は、アイヌ協会の問題をさらに大きくし、問題を全国に拡大することになるだろう。また、アイヌは先住民族だと定めると、一部のアイヌが自治権等を要求するだろう。また中国が、アイヌの運動を利用する動きを見せていることも注意を要する。
 本稿は、アイヌ新法は日本を分断し、亡国に導く危険な法案であることを述べるものである。

●アイヌを利用する左翼の謀略

 昭和40年代、70年安保の騒動が収まったのち、共産主義運動は後退した。ところが、昭和50年代に入ると、左翼の過激派は、アイヌに目をつけ、これを利用してきた。
 昭和52年に、北海道庁爆破事件が起こった。死者2名、負傷者95名を出した。爆弾闘争を行う過激派の犯行だった。彼らは、「アイヌ革命論」の影響を受けていた。「アイヌ革命論」とは、昭和53年の警察白書によると、「日本帝国主義を打倒し、独立した共和国を建設する革命の主体は、アイヌを中心とする抑圧され、差別されている少数の民族であり、これらの人々が相提携して、日本帝国主義者が収奪し、搾取した領土、文化等を取り戻すべきだ。」という理論である。アイヌを革命の主体として、日本に革命を起こそうというものである。
 アイヌ革命論は、当初は一部の爆弾テログループの主張だった。だが、その後、左翼団体は、アイヌの組織を沖縄の左翼や在日韓国人・朝鮮人、旧民等の組織と結びつけた活動をしている。
 また、日本だけでなく、世界各国の左翼が少数民族を利用して、自分たちの目的を追求する活動を行っている。特に国連に働きかけ、国連で少数民族の権利を要求することによって、現在の世界の秩序を転覆しようとしている。

 次回に続く。

移民国家になったら日本は消滅する~西尾幹二氏

2018-12-27 06:59:01 | 時事
 評論家の西尾幹二氏は、改正入管法は「移民国家宣言」だとして、強く警告している。
 西尾氏は言う「多民族共生社会や多文化社会は世界でも実現したためしのない空論で、元からあった各国の民族文化を壊し、新たな階層分化を引き起こす。日本は少数外国人の固有文化を尊重せよ、と早くも言われ出しているが、彼らが日本文化を拒否していることにはどう手を打ったらよいというのか。イスラム教徒のモスクは既に数多く建てられ、中国人街区が出現し、朝鮮学校では天皇陛下侮辱の教育が行われている。われわれはそれに今耐えている。寛容は限界に達している。34万人の受け入れ案はあっという間に340万人になるのが欧州各国の先例である」と。
 西尾氏は、ドイツを中心に、ヨーロッパの移民問題を日本に伝え、日本における移民の拡大を警告してきた。早くも1989年には『労働鎖国のすすめ』を刊行し、外国人単純労働力の導入に慎重論を唱えた。また2008年に自民党が「人材開国!日本型移民政策の提言」を出した時には、これに反対する論陣を張った。
 私は、拙稿「トッドの移民論と日本の移民問題」で、移民受け入れ1000万人計画を批判した。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09i.htm
 (第6章へ)
 
 西尾氏は、2010年には、「WiLL」2010年4月号)で、当時のドイツ事情を伝えた。
 「トルコ人問題で苦しんだドイツは、トルコへの帰国者を募り、相当額のお金をつけて故国へ返す政策を計画し、大規模に実行したことがある。しかし、間もなくムダと分かった。帰国させたほぼ同じ人数だけ、たちどころにドイツに新たに入国してくる。同じトルコ人が戻ってくるのではない。ドイツ社会に、トルコ人就労者を必要とする一定数の強い需要が生じてしまったのである」。
 外国人労働者を受け入れると、「先進国の社会は、送られてくる労働力のパワーに慣れ、それを頼りにし、次第にそれがなければ成り立たない社会に変わってしまう。先進国の側が外国人をつねに必要とする社会体質になり、その力を勘定に入れなければ国や、都市や、各種の組織が機能しなくなってしまうのである」と。
 西尾氏は、このことを次のように表現する。「ドイツは、トルコ人労働者という麻薬に手を出して抜け出せなくなったといっていい。じつはフランスも、オランダも、イギリスも、各国それぞれ様相は違うが、麻薬に手を出したという点では同じだといっていい」と。
 人間を麻薬に例えるのは不穏当だが、ここでは西尾氏の表現として引用しておく。
西尾氏によると、ドイツでは国家中枢部分である「教会」と「国防軍」の二つともが、外国人への依存によって左右されるようになっている。「教会」は移民受け入れを推進することで増収を図ることに賛成し、国防軍は外国人なくして成り立たなくなってしまった。
 西尾氏は「ドイツの現状は以上のような次第だから、国内で『移民反対』と今さらもうまったく言えなくなり、道を引き返すすべはもはやなくなったといっていい」。「メディアも政府も『沈黙』する。知識人も言論人も『ものが言えなくなる』。これが外国人流入問題の最も深刻な最終シーンである。外国人を労働力として迎えるという麻薬に手を出した国の道の先にあるのは、民族の死である」と西尾氏は述べている。
 わが国は、今回の入管法改正で、来年4月から外国人労働者の受け入れを拡大することが決まったところだが、マスメディアの多くは、この政策が日本を実質的な移民国家に替える危険性があることを、ほとんど述べようとしない。西尾氏は、言う。「一般に移民問題はタブーに覆われ、ものが言えなくなるのが一番厄介な点で、すでにして日本のマスメディアの独特な『沈黙』は始まっている」と。
 この沈黙の広がりを破るには、われわれ国民が発言していくしかない。
 以下は西尾氏の記事の全文。

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●産経新聞 平成30年12月13日
https://special.sankei.com/f/seiron/article/20181213/0001.html
「移民国家宣言」に呆然とする 評論家・西尾幹二
2018.12.13

 人口減少という国民的不安を口実にして、世界各国の移民導入のおぞましい失敗例を見て見ぬふりをし、12月8日未明にあっという間に国会で可決成立された出入国管理法の改正(事実上の移民国家宣言)を私は横目に見て、あまりに急だったな、とため息をもらした。言論人としては手の打ちようがない素早さだった。

≪新たな民族対立に耐えられるか≫
 私が外国人単純労働力の導入に慎重論を唱え出したのは1987年からだった。拙著『労働鎖国のすすめ』(89年)は版元を替えて4度改版された。初版本の当時は発展途上国の雇用を助けるのは先進国の責務だ、というような甘い暢気(のんき)な感傷語を堂々たる一流の知識人が口にしていた。この流れに反対して、ある県庁の役人が地方議会で私の本を盾にして闘った、と私に言ったことがある。
 「先生のこの本をこうして持ってね、表紙を見せながら、牛馬ではなく人間を入れるんですよ。入ったが最後、その人の一生の面倒を日本国家がみるんですよ。外国人を今雇った企業が利益を得ても、健康保険、年金、住宅費、子供の教育費、ときに増加する犯罪への対応はみんな自治体に降りかかってくる。私は絶対反対だ」
 この人の証言は、単純労働力の開放をしないとしたわが国の基本政策の堅持に、私の本がそれなりに役割を果たしていたことを物語っていて、私に勇気を与えた。私は発言以来、不当な誹謗(ひぼう)や中傷にさらされていたからである。
 外国人は自分の欲望に忠実で、先進国に入ってくるや否や徹底的にそれを利用し、そこで出世し、成功を収めようとする。何代かけてもである。当然、日本人社会とぶつかるが、そのために徒党を組むので、外国人同士-例えば中国人とベトナム人との間-の争いが、日本社会に別の新たな民族問題を引き起こす。その争いに日本の警察は恐らく無力である。
 日本国民は被害者でありながら、国際的には一貫して加害者に位置づけられ、自由に自己弁明できない。一般に移民問題はタブーに覆われ、ものが言えなくなるのが一番厄介な点で、すでにして日本のマスメディアの独特な「沈黙」は始まっている。

≪大ざっぱな文化楽天論が支配≫
 今回の改正法は国会提出に際し、上限の人数を決めていないとか、すべて官僚による丸投げ風の準備不足が目立ったが、2008年に自民党が移民1千万人受け入れ案というものすごく楽天的なプログラムを提出して、世間をあっと驚かせたことがある(「人材開国!日本型移民政策の提言」同年6月12日付)。中心は中川秀直氏で、主なメンバーは杉浦正健、中村博彦、森喜朗、町村信孝などの諸氏であった。外国人を労働力として何が何でも迎え入れたいという目的がまずあった。
 これが昔から変わらない根本動機だが、ものの言い方が変わってきた。昔のように先進国の責務というようなヒューマニズム論ではなく、人口減少の不安を前面に打ち出し、全ての異質の宗教を包容できる日本の伝統文化の強さ、懐の広さを強調するようになった。
 日本は「和」を尊ぶ国柄で、宗教的寛容を古代から受け継いでいるから多民族との「共生社会」を形成することは容易である、というようなことを言い出した。今回の改正案に党内が賛同している背景とは、こうした大ざっぱな文化楽天論が共有されているせいではないかと私は考える。

≪歴史の興亡を忘れてはならない≫
 しかし歴史の現実からは、こういうことは言えない。日本文化は確かに寛容だが、何でも受け入れるふりをして、結果的に入れないものはまったく入れないという外光遮断型でもある。対決型の異文明に出合うと凹型に反応し、一見受け入れたかにみえるが、相手を括弧にくくって、国内に囲い込んで置き去りにしていくだけである。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、それに韓国儒教などの原理主義は日本に絶対に入らない。中国の儒教も実は入っていない。
 「多民族共生社会」や「多文化社会」は世界でも実現したためしのない空論で、元からあった各国の民族文化を壊し、新たな階層分化を引き起こす。日本は少数外国人の固有文化を尊重せよ、と早くも言われ出しているが、彼らが日本文化を拒否していることにはどう手を打ったらよいというのか。
 イスラム教徒のモスクは既に数多く建てられ、中国人街区が出現し、朝鮮学校では天皇陛下侮辱の教育が行われている。われわれはそれに今耐えている。寛容は限界に達している。34万人の受け入れ案はあっという間に340万人になるのが欧州各国の先例である。
 四季めぐる美しい日本列島に「住民」がいなくなることはない。むしろ人口は増加の一途をたどるだろう。けれども日本人が減ってくる。日本語と日本文化が消えていく。寛容と和の民族性は内ぶところに硬い異物が入れられると弱いのである。世界には繁栄した民族が政策の間違いで消滅した例は無数にある。それが歴史の興亡である。(にしお かんじ)
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大嘗祭は国費で挙行すべきもの

2018-12-24 09:31:18 | 時事
 大嘗祭の位置づけ及び国費支出について、秋篠宮殿下は、11月30日に大嘗祭が「宗教色が強いもの」であるから、国費ではなく「内廷会計で行うべきだ」とし、「身の丈に合った」儀式こそが「本来の姿ではないか」と発言されました。このご発言を受けて、皇室制度の権威である大原康男・国学院大名誉教授は、次のように述べています。
 「政府は来年の大嘗祭について、平成度の前例を踏襲することを決めている。前回は政教分離の観点から大嘗祭の違憲性を問う訴訟も起きたが、原告の訴えはことごとく最高裁で却けられた。皇位の世襲は憲法で定められており、皇位継承儀礼も公的な性格を有する。国費を節約し簡素化を求められたご発言はありがたいものだが、大嘗祭に限らず宮中祭祀は国家国民の安寧慶福を祈るもので、一般の宗教とは同視できない。したがって、大嘗祭は国費で行われるべきである」
 深く同意します。大原氏は、このような見解をより詳しく、本年12月14日の産経新聞の記事に書いています。また、本件について、12月1日付の産経新聞の社説(主張)の見解は的確なものだったと思います。
 以下は、これらの記事の全文。

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●産経新聞 平成30年12月14日

国の儀式として大嘗祭の斎行を 国学院大学名誉教授・大原康男
正論
2018.12.14
 
11月30日、53歳の誕生日を迎えられた秋篠宮文仁親王殿下は、これに先だって行われた記者会見で、明年4月以降に営まれる御代替わりの諸儀のうち、最後に斎行される大嘗祭(だいじょうさい)に関していささか衝撃的な発言をされ、各方面に波紋が広がったことは記憶に新しい。
 殿下は「大嘗祭自体は絶対にすべきもの」とされつつも、大嘗祭が「宗教色が強いもの」であるから、国費ではなく「内廷会計で行うべきだ」と主張、「身の丈に合った」儀式こそが「本来の姿ではないか」と結論づけられたのである。

≪大正・昭和は法令に則り実施≫
 30年も前、日本国憲法の下で初めて行われた平成度の御代替わりに際して、その儀式が可能な限り伝統に即した形で執り行われるよう、微力ながらも奉賛活動に従事した一人として往事を顧みつつ、大嘗祭を含む次回の御代替わりについて少し考えてみたい。
 本欄で既述したこととも重なるが、皇位継承のあり方を初めて成文法で明確に規定したのは明治22年制定の旧皇室典範である。そこで確立された一つが皇位継承の資格を「皇統に属する男系男子」に限り、もう一つが皇位継承の原因を「天皇崩御」のみに限定するという二つの原則であった。
 過去にしばしば見られた「女帝」や「譲位」が、これまで皇位継承をめぐる激しい政争や流血を伴う内戦の悲劇をもたらしたことを真摯に省みて、明治維新という国家体制の大変革を機に明確なルールを定めたのである。まさに画期的なことであった。
 かような経緯で構想・整備された御代替わりの儀礼は「践祚」「改元」「御大喪」「即位の礼」「大嘗祭」の五儀によって構成される。「御大喪」を除く四儀は皇室典範に基本規定を置き、具体的な儀礼の次第などの細則は典範を根拠法とする皇室令の一つである登極令が網羅的に規定、残る「御大喪」も同じく皇室令たる皇室喪儀令の定めるところによる。大正・昭和両度の御代替わりの諸儀は整備されたこれらの法令に忠実に則(のっと)って営まれたのである。

≪条文欠いた「新しい皇室典範」≫
 ところが、先の大戦終結後、連合国軍総司令部(GHQ)の意向に沿って現憲法とともに昭和22年に制定された新しい皇室典範には「即位の礼」と「大喪の礼」は規定されているものの、その細則は何一つ備わっておらず、「践祚」「改元」「大嘗祭」に至っては該当する条文を全く欠いていた。
 このうち「改元」については、54年に元号法が制定されて、ようやく法的な根拠が与えられたが、残る2点についての立法化は手つかずのまま放置され、10年後の御代替わりを迎えたのである。苦境に立った当時の政府はさまざまな工夫をこらさねばならなかった。
 まず、「践祚」という語自体はなくなってはいるが、現典範の第4条「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」の「即位」がこれに該当すると解し、いわゆる「三種の神器」のうち「剣」と「璽」の承継を「剣璽等承継の儀」と称して「国事行為」として行う一方、「鏡」を奉斎する賢所への奉告は宗教色を配慮してか、「皇室の行事」という別のカテゴリーを立てて挙行された。
 次の「改元」は「元号は、政令で定める」という元号法の規定に基づいて何ら問題もなく行われた。ただ、条文だけを見れば天皇と無関係に閣議決定だけで決せられる危惧があったため、公表の前に天皇のご聴許を得るという手順が踏まれたと伝えられるが、やはり明文で規定すべきであろう。

≪平成は賛成に630万人が署名≫
 今次の御代替わりは昨年6月に制定された「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」に基づいて、200年ぶりに行われる譲位に伴うものであるから、御大喪のことは考えなくてもよいが、その代わりに践祚の前に譲位に関する儀礼が必要となった。
 最も重要な「即位の礼」はほぼ登極令に準拠し、「国事行為」として古式ゆかしく営まれたが、皇族方や役務を担った人々がすべて伝統的な装束を着用したのに対し、国民を代表して寿詞(よごと)を奏した海部俊樹首相が燕尾(えんび)服で参列したのには強い違和感を覚えた。
 続いて斎行された「大嘗祭」はその宗教色がとくに問題視されたものの、そこには「世襲」に伴う「伝統的皇位継承儀式としての公的な性格がある」ことが認められ、「皇室の行事」として同じく登極令に則って斎行され、費用は天皇・皇后両陛下をはじめ内廷皇族の日常の費用である内廷費ではなく、公的皇室費と称してもいい宮廷費から支出されたのである。
 秋篠宮殿下が「大嘗祭」の費用をできるだけ節約し、簡素化を求められたご発言は大変、ありがたいことではあるが、一方には国民の側の気持ちもある。平成度の御代替わりに際してキリスト教徒を中心とした「大嘗祭」反対の署名がおよそ5万8千人だったのに対し、「大嘗祭」を国の儀式として行うことを求めた署名は同じく630万人に達した事実を改めて想起したい。(国学院大学名誉教授・大原康男 おおはら やすお)

●産経新聞 平成30年12月1日
【主張】大嘗祭 国費でつつがなく挙行を

 来年の皇位継承に伴う大嘗祭(だいじょうさい)について、秋篠宮さまが記者会見で、皇室の公的活動を賄う国費(宮廷費)を充てることに疑問を示された。
 「宗教色が強い」「国費で賄うことが適当かどうか」として、憲法の政教分離原則を念頭に、天皇ご一家の私的活動費である内廷費を充てるべきだとの考えを示された。「身の丈にあった儀式」とすることが「本来の姿」とも指摘された。
 政府は平成の御代(みよ)替わりの例にならって、来年11月の大嘗祭に国費を充てることをすでに決めている。西村康稔官房副長官は会見で、政府方針に変わりはないことを明らかにした。
 大嘗祭は、新天皇が初めて行う新嘗祭(にいなめさい)で、国家国民の安寧や五穀豊穣(ほうじょう)を祈る一世一度の祭祀(さいし)だ。即位の中核的な行事であり、国費の支出によってお支えしたい。
 憲法の政教分離原則に触れるという懸念は当たらない。平成の大嘗祭に対して複数の訴訟があったが、政教分離に反しないとの最高裁判決が確定している。
 政教分離は、政治権力と宗教の分離が目的である。天皇や皇族は権力を持たないし、宗教団体を擁さない。大嘗祭をはじめとする宮中祭祀を一般の宗教と同列視して、私的行為と見なす必要はないのである。
 祈りは天皇の本質的、伝統的役割といえる。大嘗祭を含む宮中祭祀を、日本にとっての公の重要な行事と位置づけるべきだ。
 費用を節約し、行事を簡素化しようと促された秋篠宮さまのご発言は、国民の負担をできるだけ少なくしようというお考えとして受け止めたい。
 長い歴史を振り返れば、戦乱期など大嘗祭が行われなかった時代もあった。つつがなく行えるのは日本が栄えている証しである。
 国民は、天皇陛下の即位に伴う重要な儀式として平成の大嘗祭を見守った。来年についても同様である。
 秋篠宮さまのご発言に対して、天皇や皇族が控えられるべき政治的発言ではないかとの指摘があるが、見当違いだ。皇室のご活動に関わる重要な事柄に天皇や皇族が考えを示されるのは当然であり、封じ込められるべきではない。
 ご発言で、山本信一郎宮内庁長官が「聞く耳を持たなかった」と評された。皇族と宮内庁の綿密な意思疎通も大切である。
https://www.sankei.com/column/news/181201/clm1812010002-n1.html?fbclid=IwAR3W7SPSCtFeSIKBrT7hxVLp6KuKybJMYwyRtmARFeNaJm0YZ6GJwKSym5s
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「56年宣言」を基礎とする北方領土交渉は危うい

2018-12-21 09:31:18 | 時事
 11月14日安倍首相とプーチン大統領が会談し、昭和31年(1956)の日ソ共同宣言を基礎に今後3年以内の平和条約締結を目指すことで合意しました。安倍首相は最後の任期にあって、日露問題の解決を実現したいという強い思いを持っていると見られます。
 産経新聞は、ウエブサイトに、北方領土交渉の特集ページを設けています。よくまとまっていますので紹介します。
https://www.sankei.com/politics/news/181116/plt1811160024-n1.html?cx_fixedtopics=true&cx_wid=d5ac4456c4d5baa6a785782ef4e98f6eb01bb384#cxrecs_s
 私は、領土問題に妥協はあり得ないという考えであり、この点で産経が四島返還の原則を貫くべきという姿勢で一貫していることを評価しています。産経は16日の社説(主張)でも、この姿勢から「56年宣言」を基礎とする交渉は危ういと指摘し、四島返還の原則を揺るがすなと主張しています。
 特に目を引くところを抜粋します。
 「日ソ共同宣言には、平和条約の締結後に、北方四島のうち色丹島と歯舞群島を引き渡すと記されている。このため、安倍首相が「2島返還」を軸にした交渉に舵を切ったとの見方が出ている。そうだとすれば、共同宣言以降の60年余り、四島の返還を目指して日本が積み上げてきた領土交渉をないがしろにしかねない」。
 「日露両国の首脳は1993年に、択捉島、国後島、色丹、歯舞の「四島の帰属」を「法と正義」の原則によって解決するとした東京宣言に署名している。プーチン氏自身が署名した2001年のイルクーツク声明は、日ソ共同宣言が交渉の出発点を記した「基本的文書」としつつ、東京宣言に基づいて四島の帰属問題を解決するとうたっている。今回の安倍首相とプーチン氏の合意は、共同宣言が「格上」であるというロシア側の主張に迎合したものではないのか」。
 「共同宣言は、シベリアに不当に抑留されていた日本人の帰還や国連への加盟、漁業問題の解決という課題を抱えていた日本が、領土交渉の継続を約束させた上で署名したものだ。「人質」をとられてソ連と交渉した当時の厳しい状況を踏まえなくてはならない。苦肉の策で結んだ共同宣言を基礎に「2島返還」だけを目指すとすれば、ロシアの思うつぼである」。
 「日本の四島返還の対応を尖閣諸島の奪取を狙う中国や、竹島を不法占拠する韓国が注視している。ロシアとの拙速な交渉は中韓両国につけいる隙を与えるという意味でも後世に禍根を残す」。
https://www.sankei.com/column/news/181116/clm1811160001-n1.html
 上記の箇所は、よくポイントを突いていると思います。首脳会談後、プーチン大統領は、ロシアでの記者会見で、共同宣言で旧ソ連が引き渡すとした歯舞群島と色丹島について、引き渡し後の主権は協議の対象だと発言しました。これは、詭弁です。ロシアは北方四島を不法占拠しているのであって、もともと主権は日本にあります。引き渡しが行われれば、従来保有している主権を確認することになるのであって、協議の余地はありません。あたかもロシアが所有者で、ロシアが所有権を保ったまま、日本が借地するような状態になったならば、それを領土の返還とは言いません。
 次に、北方四島のうち、歯舞・色丹は領土の7%にすぎません。2島返還といっても、その時点で93%はロシアに占拠されているわけですから、4分の2が戻るのではありません。領海については、2島返還によって20%が戻ることになりますが、80%の海はロシアに占拠されている状態となります。ただし、もし2島の引き渡しはするが、主権は別問題だという詭弁に乗せられて、逆に事実上ロシアが主権を確保するような状態になれば、領土は引き渡されても、領海は戻ってこないことになります。世界三大漁場の一つといわれるこの海域における漁業権や資源に関する権利等は、戻ってこないことになります。領土とともに領海に関する主権の確認が欠かせません。
 ロシアとの領土交渉は、韓国との領土問題に重大な影響を与えます。尖閣諸島を「核心的利益」と主張する中国への対応においても同様です。プーチンの術中にはまってはなりません。