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「キングコング」「ミスター巨人」-伊東章夫-

 

 東宝怪獣映画の「キングコング対ゴジラ」の初上映が1962年、同じく「キングコングの逆襲」の初上映が1967年、連続テレビ·アニメ「キングコング」の放送が67年4月から10月。幼少時、僕がモノクロ·テレビで見たアメリカ映画の「キングコング」は、1933年制作のアメリカ実写映画です。日本で67年に放送されたアニメ版は、東映動画も参加した日米合作。伊東章夫さん作画の「キングコング」は、このアニメ版のコミカライズで、当時の講談社の月刊誌「ぼくら」に連載されました。

 アニメ版「キングコング」は昭和30年代40年代のアメリカ輸入アニメがみんなそうだったように、連続放送の一回の内、二本のお話があって、真ん中に別のギャグものアニメが挟まれていた。あの時代のアメリカ·アニメはみんな10分もない短編動画で、「キングコング」も30分放送の内、一回目のコングが約10分、次に「親指トム」というギャグ·アニメが約10分、そして二回目のコングが約10分という放送でした。CM やオープニング·エンディングがあるから一本正味7、8分かな。

 67年はこのアニメ放送「キングコング」に夏場の東宝実写特撮「キングコングの逆襲」、週刊少年マガジン連載の一峰大二版「キングコング」、月刊誌「ぼくら」の伊東章夫版「キングコング」と、キングコングの年でしたね。週刊少年マガジンの「キングコング」は原作を梶原一騎氏が担当し、一峰大二さんが劇画タッチで描いた、いわば劇画版「キングコング」でした。アニメ版やそのコミカライズの伊東章夫版は、見るからに児童向けにデフォルメされた漫画·アニメ絵柄でユーモア仕上げでしたが、一峰大二版の「キングコング」は梶原一騎が脚本書いてるだけに、ユーモアを廃したシリアスタッチだった。

 僕は小学二年から中学二年くらいまで、毎月、月刊児童雑誌「ぼくら」を購読していたので、伊東章夫さん作画の「キングコング」もリアルタイムで全編読んでます。伊東章夫さんの見るからに当時の少年漫画の絵柄で描かれた「キングコング」も毎月楽しく読んでましたが、漫画の内容までは記憶していません。

 伊東章夫さんの絵柄は、まだ劇画が少年漫画に浸透して来る前の、手塚治虫ストーリー漫画に由来する、デフォルメされた丸っこい、可愛い優しい絵柄でしたね。伊東章夫さんの作品はユーモア味も存分に入ってるけど、ストーリー漫画が多かったですね。少年マガジン連載の「モン吉くん」とかギャグ漫画もありましたけどね。

 伊東章夫さん作画版「キングコング」の月刊誌「ぼくら」連載は67年5月号から12月号までの間ですね。たいてい「ぼくら」のB5判か 変形B5判 の大型別冊付録で掲載されてました。 ひと月の一回一話でお話が終わる連載形式で、内容は子供向けに、勧善懲悪のシンプルなストーリーだったように思います。

    

 「ミスター巨人-ジャイアンツ-」は当時の秋田書店の月刊少年誌「冒険王」の、1962年後半頃から63年~64年に掛けて連載されて人気を博した少年野球漫画です。小さく可愛らしい牛若太郎という少年が、プロ野球·球団の巨人軍に入団して、長嶋選手·王選手と共にクリンナップを打って、プロ野球で活躍するという、まぁ痛快少年野球漫画かな。

 当時は「冒険王」巻頭付近のカラーページから続いて、B6判別冊付録で連載されていた、誌の看板漫画扱いの人気作品でした。

 見た目小学五、六年生かせいぜい中一くらいの子供が、プロ野球の世界に入って活躍するとか、あり得ない突飛なストーリーでしたが、50年代後半から60年代の児童漫画では、この、大人の世界に入って子供の主人公が活躍するお話は、普通にありました。50年代後半から60年代前半のストーリー漫画の代表作の一つ、「鉄人28号」の主人公、金田正太郎は半ズボン穿いたモロ子供でありながら拳銃バンバン撃って、警察と一緒に大量殺人も厭わない犯罪組織と戦ってましたしね。

 僕が伊東章夫さんの作品で思い出深く記憶に残ってるのは、64年65年頃の秋田書店の月刊誌「まんが王」に連載されてた「ピンチくん リリーフくん」。もう細かなストーリーなんて覚えてませんが、好きな漫画でした。双子の中学生少年、ピンチくんとリリーフくんが犯罪に巻き込まれて、活発なピンチくんが悪人に捕まるもリリーフくんが助けに回るような、双子の特性を活かして犯罪解決に協力する、少年探偵漫画でした。

 ネットを回って調べると、どーも「ミスター巨人」は冒険王62年9月号から連載が始まって、連載終了がいつかよく解らないのですか63年いっぱいは連載されてたようですね。「ピンチくん リリーフくん」の連載はまんが王65年1月号から5月号となってます。何かぼんやりした記憶に64年12月号のまんが王にも掲載されてたような気がするんだけどなぁ。意外と短期間の連載だったようです。

 伊東章夫さんを調べるとデビュー作は1954年の児童雑誌「漫画少年」掲載の「子熊物語」となってますね。伊東章夫さんは1937年生まれだからこのとき17歳くらいかな。ここから「漫画少年」誌上での発表が続いてますね。57年58年から59年くらいまで当時の貸本の単行本で多数作品を出してます。59年から児童雑誌で作品を描き初め、この年、初期の代表作の一つ「モン吉くん」を週刊少年マガジンで連載する。

 59年から60年代前半の伊東章夫先生は、当時の売れっ子漫画家の一人と言っていいと思います。この時代の月刊·週刊の少年誌や少女誌·学年誌のそれぞれに、ストーリー漫画·ギャグ漫画の連載や読み切り短編を発表し続けています。冒険王連載の「ミスター巨人」もこの時代の代表作の一つですね。ギャグ漫画の作風は、等身大の小学生たちを面白おかしく描いた生活ゆかい漫画が多いかな。

 伊東章夫先生の60年代の代表作は、何といっても、この時代にテレビ放送のアニメで大人気だった「狼少年ケン」のコミカライズかな。月刊誌「ぼくら」の64年6月号から65年9月号まで、だいたいアニメの放送期間中連載が続きました。

 伊東章夫さんの絵柄は50年代~60年代児童漫画のデフォルメされた丸っこい可愛い絵柄だったから、少年漫画雑誌が週刊誌の時代になり劇画が台頭して来ると、68年頃からは少年誌で見なくなったかな。少年誌では月刊ぼくらの「キングコング」が最後頃の作品になるかな。

 60年代後半に入ると、伊東章夫先生の作品は小学館の学年誌でよく見るようになりますね。講談社の幼年向けのウルトラセブンのコミカライズ本とか。

 70年代に入ってからは、学習漫画シリーズのような書き下ろし単行本が多くなりましたね。伊東章夫先生のデフォルメされた丸っこい可愛い絵柄は、少年少女向けの漫画で解説された、科学や歴史の子供向け教養書の漫画絵にピッタリだったようですね。学者や専門家が著者で、原作脚本の担当に着いて、伊東章夫氏が漫画を作画したシリーズと、学者や専門家が監修に着いて、ほとんどの作画を伊東章夫氏がこなしたシリーズとありますね。伊東章夫氏の学習漫画シリーズは、科学分野や日本の歴史を細かく解説した分野や、古代の様々な恐竜に関して細かく解説したシリーズなど多岐に渡っています。

     

 伊東章夫氏の「ミスター巨人-ジャイアンツ-」は1963年頃の作品ですが、この時代、一時は少年雑誌の王者だった光文社の月刊誌「少年」の末期、67年頃にもう一つ「ミスター·ジャイアンツ」という作品が連載されます。こちらの作者はギャグ漫画家の森田拳次氏。

 こちらの「ミスター·ジャイアンツ」の主人公、ミスター·ジャイアンツは物語中、プロ野球·巨人軍の選手で他の実在する長嶋選手や王選手らと共にプロ野球の試合で活躍するんですが、実際に、この時代の読売巨人軍のマスコット·キャラクターでもあります。

 森田拳次さんは本来ギャグ漫画専門の売れっ子漫画家ですが、この「ミスター·ジャイアンツ」という作品はコテコテのギャグ漫画ではなく、野球少年たちとミスター·ジャイアンツや実在する巨人軍選手たちとの交流を描くような、ほのぼのしたゆかい漫画ですね。ちょっとイメージ的には作風は同じく「少年」に連載されてた、わちさんぺい氏の「ナガシマくん」に近いような。

 元·巨人軍スタープレイヤーであり巨人軍のレジェンド監督だった、今でも身分は終身名誉監督ですが、長嶋茂男さんは、読売ジャイアンツ現役選手時代に“ミスター·ジャイアンツ”と呼ばれてました。今でも長嶋茂男さんを“ミスター”の愛称で呼ぶ人は多いですね。長嶋さんはいつ頃から“ミスター·ジャイアンツ”と呼ばれるようになったんだろうな?児童漫画の世界では「ミスター巨人-ジャイアンツ-」は牛若太郎だし、モリケンの漫画では“ミスター·ジャイアンツ”ってキャラクターが居るし。

 

 

まんが 冒険恐竜館〈5〉大絶滅をこえて 大型本 伊東 章夫 (著), 真鍋 真 (監修)

◆狼少年ケン-マンガショップシリーズ単行本 伊東章夫·著

◆講談社テレビコミックス·ウルトラセブン(上)KC デラックス 伊東章夫 他·著

◆まんが冒険恐竜館(1)恐竜の世界へ 大型本 伊東章夫·著

◆まんがとカメラで歩く奥の細道(1)伊東章夫·著

◆学研まんが人物日本史 北条時宗-元寇のあらし 伊東章夫·著

◆学研まんが人物日本史 武田信玄と上杉謙信-川中島の戦い 伊東章夫·著

◆恐竜まんが·ファイトくん(1)よわむし恐竜の巻 伊東章夫·著

◆恐竜まんが·ファイトくん(2)冒険の旅への巻 伊東章夫·著

◆まんが冒険恐竜館(3)鳥になった恐竜 伊東章夫·著

◆講談社テレビコミックス·ウルトラセブン(下)KC デラックス 伊東章夫 他·著

原始・大和・奈良時代 (まんが日本史年表) 単行本 うめだ ふじお 伊東 章夫 立木 じゅん

先祖をたずねて億万年 (科学まんがシリーズ)単行本  伊東 章夫 (イラスト)

いきなり長嶋茂雄―名作マンガで読むミスターの怪演! 単行本 長嶋マンガを発掘する会 (編集)

 1933年アメリカ制作の映画「キングコング」を僕がモノクロテレビで見たのって、僕が4歳5歳6歳のときだろう。「キングコング」は当時何度もテレビで放映された。終盤、コングがニューヨークのエンパイアステートビルに登ってアメリカ空軍の戦闘機に攻撃されて、最後はビルから落下して死んじゃうヤツ。今調べたらエンパイアステートビルって本体381メートルもあるんだな。1931年によくそんな高いビル作れたな。「キングコング」の制作年が33年だからコングはできて直ぐに登ったことになる。まぁ映画だけど。

 日本の東宝特撮映画「キングコング対ゴジラ」を見たのは僕が小一の夏休み。六歳ですね。円谷特撮映画·ゴジラシリーズの三作目。キングコングが正義サイドでゴジラが悪役でした。夏休みということもあって僕はこの映画を7回見てる。当時住んでた家の斜め前が邦画ロードショーの映画館で三回か四回見に行って二度くらいは映画館に残って同じもの二回見てる。それで「キングコング対ゴジラ」は7回見た。

 当時の邦画の新作封切りはほとんど二本立てで、調べると塀映がザ·ピーナッツ主演の「私と私」っていう映画になってるけど、この同時上映の映画、全く覚えてない。一回映画館に入って「キングコング対ゴジラ」二度見てるということはこの「私と私」も見てる筈なんだけどまるで記憶にない。まぁ僕も六歳だし興味のない映画だからただぼんやり見てただけだろうけど。ザ·ピーナッツ主演だから若者向けの青春映画か何かだったんだろうし。六歳じゃなぁ…。

♪ ウッホウホウホ ウッホッホ~ 大きな山をひと跨ぎ キングコングがやって来る 怖くなんかないんだよ キングコングは友達さ 火山も津波も恐竜も キングコングにゃ敵わない 戦えキングコング ぼくらの王者

♪ 頭を雲の上に出し キングコングがやって来る 逃げなくって良いんだよ キングコングは友達さ 嵐も地震も怪獣も キングコングにゃ敵わない 負けるなキングコング 世界の王者

 67年当時テレビ放送されてたアニメ「キングコング」の主題歌は、今でもYouTube とかで聴けるけど、僕はずっと覚えてたから、当時は多分僕は毎週「キングコング」の放送を見てたんだろうな。でも僕にはそこまで好きなアニメ番組でもなかったと思う。この時代の僕のご執心テレビ番組はやっぱり「ウルトラマン」~「ウルトラセブン」だろう。ただ「キングコング」の主題歌は今でも好きだから当時も好きでよく口ずさんでいたんだと思う。

 「キングコング」の主題歌の作詞·作曲は小林亜星さんなんだな。

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