60~90年代名作漫画(昭和漫画主体・ごくタマに新しい漫画)の紹介と感想。懐古・郷愁。自史。映画・小説・ポピュラー音楽。
Kenの漫画読み日記。
●漫画・・ 「マッハGoGoGo」 ..(1)
♪Go Speed Racer,Go Speed Racer,Go Speed Racer,Go~‥ という英語の歌を、聖飢魔Ⅱのデーモン小暮さんが口ずさんで見せて、幼い頃、アメリカのTVで見て、後に日本へ帰って来て、これが日本の国産アニメの主題歌で、アメリカで熱中して見ていた「Speed Racer」というアニメドラマは、実は、原題が「マッハGoGoGo」という日本でも大人気放映されていた、熱血カーアクションレーサー漫画だと知ったらしい。デーモン小暮閣下は帰国子女だったのだ。
TV番組の中で、アメリカで幼少の頃見ていた、と話していたのは確かに記憶しているんだけど、これが何の番組だったのか、全く憶えていない。まだ、聖飢魔Ⅱを解散していない頃だ。TBS系の「テレビ探偵団」だったかな~?とも思うんだけど、「テレビ探偵団」が放送されていた頃、ボーカルのデーモン小暮さんがこの番組のゲストに呼ばれる程、聖飢魔Ⅱというバンドはメジャーになっていただろうか?とも考えるし。
僕は86年頃かに、東京でのサラリーマン生活を辞めて、生まれ育った故郷に帰って来て、多分その頃の深夜TVの放送で、「蝋人形の館」という不気味な歌を歌う、明らかにアメリカのハードロックバンド、KISSの模倣をしてるであろうビジュアル系の、悪魔と怪奇というはっきりしたコンセプトで、自分らのライブをミサと呼ばせ、独自のロック歌謡を演奏してステージを展開する、聖飢魔Ⅱという名前のバンドを初めて見たんだと思う。「オカルト・悪魔」というテーマを持ったビジュアルバンドの存在に驚いたが、その時は、まだ聖飢魔Ⅱはインディーズに居て、小さな会場でライブ演奏が話題になっている、という情報紹介だったが、それから少ししてゴールデンなどの時間帯のメジャーな音楽番組に出るようになった。米米クラブが出て来たのと同時期くらいじゃなかったかなあ。
僕が東京から帰って来て少ししてから「テレビ探偵団」は始まったと思う。まだ若かったのに、当時から既に懐古趣味な僕は、僕が幼少時の頃の、モノクロTVの番組が紹介されるのが嬉しくて毎週必ず見ていた。かなり長い間、放送されてたんじゃないかな。5年くらいは続いたんじゃなかったか?長年月を通してのメイン司会はコメディアン・俳優の三宅裕司さんで、解説が朝井泉の別名で出ていた泉麻人。マスコットガール的レギュラーが山瀬まみ。途中から、マスコットガールは西田ひかるに、解説は林家こぶ平に変わった。僕は当時、レギュラー解説は泉麻人のままが良い、と切に思ったものだったけど。泉麻人さんは、番組前から、渡辺和博さんの独特のイラストとタッグを組んだ、週刊誌のコラムが話題になり人気があって、単行本はベストセラーとなったので、よく知っていた。多分、この「ナウのしくみ」という連載は、当時、雑誌では読んだことはあるが、僕はコラムをまとめた「ナウのしくみ」単行本を、買ってまでは読んではいない。
「テレビ探偵団」の番組を調べてみたんだけど、TBS系列で、1986年から92年まで足掛け6年も放送されているんですね。解説等のレギュラーが西田ひかる・林家こぶ平に入れ替わるのは、89年からなんですね。三菱電機単独提供で、番組のサブタイトルに「三菱タイムトリップ」と付いていたらしい。三菱タイムトリップ-テレビ探偵団。テーマ曲があって、番組冒頭に流れる、昔懐かしい「少年探偵団」のメロディーの替え歌で、「♪ぼ、ぼ、ぼくらはテレビ探偵団。今も昔もテレビ好き‥」というフレーズ。山瀬まみちゃんも西田ひかるちゃんも初々しかったなあ。ところで、「テレビ探偵団」の番組のことをあれこれ思い出しても、6年近く続いた長い間のゲストの一人に、デーモン小暮閣下が果たして居たのかどうかは、僕には解りません。だから、デーモン小暮さんが、幼少時にアメリカで見ていた、歌もナレーションも全部英語セリフの「スピードレーサー」という、今で言えばヨーロッパの優秀な競泳用水着みたいな名前のタイトルのアニメが、後に帰国して「マッハGoGoGo」という国産アニメだったと知って驚いた、という自分の子供の頃のエピソードを語っていたのが、いったい何の番組だったかは、今現在、僕には解りません。
「テレビ探偵団」の話ではないのだ。その、「マッハGoGoGo」なのだ。つまり、60年代後半の日本の初期の国産アニメ、「マッハGoGoGo」はアメリカに輸出されて、「Speed Racer」として外国でも大人気を博していたのだ。勿論、70年代の昔からですね。本家、と呼ぶのも、同じものだから変な話ですが、タツノコプロの制作長編アニメ第2弾、「マッハGoGoGo」は1967年4月から放送開始され、30分ワクの連続アニメドラマとして、68年3月まで調度1年間、大人気放映されました。タツノコプロとしては65年の、長編テレビアニメとして初作品の、連続モノクロアニメSFヒーロードラマ、「宇宙エース」に続く第2弾作品で、タツノコはこの「マッハGoGoGo」からカラーアニメ作品となりました。調度、同時期に、タツノコプロ創業社長である、吉田竜夫作者名義で、まあコミカライズという形になるんでしょうが、集英社の月刊誌「少年ブック」に、カーアクションレース漫画「マッハGoGoGo」が連載されていました。戦後の物資の無い貧しい時代に、ニョキニョキと創刊されたページ数の薄い貧相な児童雑誌が、本誌厚みやカラーページを増やし発行部数を伸ばしして、だんだんと成長して行き、昭和30年代に児童出版界で隆盛を極めた、クラフト組み立て付録やたくさんの別冊付録を付けた少年月刊誌。昭和40年代に入って、その少年月刊誌の末期にある、「少年ブック」の看板を勤めたのが、大人気レーサー・カーアクション漫画「マッハGoGoGo」でした。タツノコプロは元々、雑誌漫画のプロダクションとして、後の巨匠クラスの漫画家を配して始まったのですが、60年代中頃からは創業者である人気漫画家、吉田竜夫氏がテレビアニメに重点的に力を入れ始め、「宇宙エース」やこの「マッハGoGoGo」を皮切りに、日本の国産TVアニメ界で次から次へと多くの名作アニメドラマを世に出して行くことになります。日本アニメ制作会社の一方の主力基地となったタツノコプロは、後にアニメ・映像界の巨匠となる優れたクリエイターたちを、多数育て、輩出して行きます。
海外に輸出された日本の60年代後半のアニメ、「マッハGoGoGo」は、アメリカで大人気を博します。日本の国産アニメ「マッハGoGoGo」は90年代に入って、リメイクというか、第2作目が制作されます。97年にテレ東系で9ヶ月間放送され子供たちの人気を博し、これも後にアメリカへと輸出されます。日本の長編アニメドラマ、これら「マッハGoGoGo」はアメリカへ渡り「Speed Racer」というタイトルで放送されて彼の国で大人気となり、アメリカ国内でもオリジナルのアニメドラマまで制作される始末、という程のセンセーションを起こして、ついにこの度、ハリウッドで実写映画化がなされました。映画制作国アメリカ、韓国は5月上旬から既に公開、原作国の日本公開は08年7月5日からですね。
この度の漫画お題、「マッハGoGoGo」は今回を(1)として、次回へ続きます。「マッハGoGoGo」..(2)へと続く。それにしても、「マッハGoGoGo」のアニメ輸出先アメリカの付けたタイトル、「Speed Racer」やて、そのまんまやないかい。日本人の僕からすると、スピードレーサーという題名はもう、何も考えてない、そのまんまのタイトルにしか見えないですね。
◆(2008-06/24)漫画・・ 「マッハGoGoGo」 ..(1)
◆(2008-06/28)漫画・・ 「マッハGoGoGo」 ..(2)