岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

記念碑

2018-12-01 11:36:48 | いなか暮し

 雪の直前まで待って収獲する大根、近年は大きくなりすぎると妻がぼやく。
 暖かい秋が影響するらしい。
  自給率は百パーセントを大きく超える!おすそ分けは老妻の楽しみ。

地区内には多くの石碑があるが、目だって多いのが出羽三山詣りの最上講碑
お詣りは、丑年にグループで出羽三山を登り、一人前の大人になったと認められて、その仲間とは生涯の付き合いをし、記念碑を建てる。
古くは天明年間から安政、明治にたてられたものが多い。
  江戸時代の終わり、各地で飢饉や一揆、維新の胎動も激しくなった、その頃に地方は意外と平穏に出羽三山詣りが続いていたのだろうか・・・。

 昭和60年は丑年だったのだろう。
 集落の仲間と出羽三山、月山、湯殿山、羽黒山と鳥海山登山をした。
 その後も最上講として、その仲間と、富士山や八甲田、岩手山等々を一緒に登り、平成9年には大きな記念碑を建立した。
 それから20余年、記念碑のある神社が、道路拡張により解体されることなり、石碑もどうにかしてほしいとなった。
 移動先を、公共の場所や私有地等、種々検討しても、中々妙案は出ない。
 「よし、私の屋敷に・・・」と、申し出た人もあったが、代が替われば邪魔者扱いは予想される。
 「この際、取り壊そう・・・」と言うことになり、となりにあった昭和初期に建てられた記念碑共々、業者に依頼、破砕処理されることになった。
 天明から数えて230年も続いたグループで出羽三山詣りの習慣が、自分たちグループが最後、昭和で終りを告げた。

コメント
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