岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

遠野へ

2022-02-14 14:37:58 | いなか暮し

農作業のない冬は、ようやく本を手にとる。
空いている図書館もコロナ禍のせいだろう、たまたま借りた遠野物語関連の本、さわりだけは知るが読み始めたら中々やめられない遠野物語の世界。
 そうだ、遠野博物館には色々と展示されているし、物語を知るには一番、車で行っても4、50分のところを旅人を気取って釜石線で出かけた。
 博物館は何回となく訪れてはいるが、当時はいつも幼い孫たちと一緒、まだオムツをつけたままとか、途中で眠ってしまう子、大きなスクリーンが怖いと泣きだした孫もいた。
 そんな孫たちと一緒だからゆっくり見たことがない。
 今日はゆっくり、真冬の寒い季節、広い館内にお客は一人、それでも色々の展示やマルチスクリーンはいつも通り、一人で暖かい館内に恐縮しつつ遠野物語を堪能した。
 「此話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり」の柳田國男の遠野物語、その佐々木鏡石(喜善)の関連本に、遠野から50キロも離れた我が郷の胡四王山の話があった。
 早池峰山の見える岩手県南部地方には、美しい早池峰の主になるべく姉妹が競う三山伝説が多いが胡四王山にも伝説がある。
 あらすじは大方似ているが、その本は佐々木喜善が自分の目で見たと思われる描写があった。
 「この神は「呼石」の地が恋しくて、いつもそちらを眺めるために神社は北向きに建てられている、また早池峰の方も始終眺められるように・・・・」胡四王神社の社殿はまさに、その向きに建てられ、北向きの社殿は珍しいと言われている。
 佐々木喜善は実際に登ってみたんだろうか・・とすると遠野から約50キロ、当時の軽便鉄道は時速15㌔というから遠野から2時間もかけて矢沢駅へ、そこから歩いて胡四王山に登ったに違いない。
 軽便鉄道時代の矢沢駅、「やさは」昭和初めの頃の頃の写真と言われる。
 もっとも遠野物語の柳田國男は初めて遠野を訪れたときは、花巻から人力車を乗り継いで向かったと言われるから、それに比べたら、軽便鉄道も相当、便利なものだったに違いない。

コメント
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