以下、某掲示板より
>かもめは言葉遊びが一生の仕事か。
図星だ。拙者のばやい、こと言葉に限っては遊びをせんとや生まれけむ。
今市では、年に一度の「屋台祭り」に出くわして、お祭りを堪能させていただいた。だが、先を急ぐ身には変わりなく、小一時間ほどで、そそくさと町を後にしたのである。
町外れで大谷(daiya)川に架かる橋を渡った。大谷とはこの先の宇都宮郊外の土地の地名なのだが、この地名から取られた「石」が人口に膾炙した。地震に強いことで名高い大谷(ooya)石である。ooyaとdaiyaは、ようするに出所が同じなのであったのだった。daiyaの場合は、文字からしゃべり言葉が生まれた事例であろう。人名もそうだが、後先が反対になっている固有名詞は多々ありそうだ。言葉は、こうして文字が先立って、しゃべり名詞が生まれるという逆転現象が多々あるのである。何十年も若い頃、プロレタリア作家であった中野重治の名を、わたしは自信たっぷりにzyuujiと呼んで、先輩に叱られたことがある。名を断りもなしに音読みしてしまうのは、一部の人には侮蔑的に聞こえたらしい。中野重治の場合も、その他の人の場合も、親がつけた名は、訓読みが最初であったと思うのである。中野の場合も正確にはsigeharuであることは合点承知の助なりけりや。
さて、理屈っ屁はよそう。幸福なドライバーになりきったわたしは、車窓から見える日光の山々に別れを告げた。写真左のコブが、さきほど、そのふもとを通り過ぎてきた男体山である。
町外れで大谷(daiya)川に架かる橋を渡った。大谷とはこの先の宇都宮郊外の土地の地名なのだが、この地名から取られた「石」が人口に膾炙した。地震に強いことで名高い大谷(ooya)石である。ooyaとdaiyaは、ようするに出所が同じなのであったのだった。daiyaの場合は、文字からしゃべり言葉が生まれた事例であろう。人名もそうだが、後先が反対になっている固有名詞は多々ありそうだ。言葉は、こうして文字が先立って、しゃべり名詞が生まれるという逆転現象が多々あるのである。何十年も若い頃、プロレタリア作家であった中野重治の名を、わたしは自信たっぷりにzyuujiと呼んで、先輩に叱られたことがある。名を断りもなしに音読みしてしまうのは、一部の人には侮蔑的に聞こえたらしい。中野重治の場合も、その他の人の場合も、親がつけた名は、訓読みが最初であったと思うのである。中野の場合も正確にはsigeharuであることは合点承知の助なりけりや。
さて、理屈っ屁はよそう。幸福なドライバーになりきったわたしは、車窓から見える日光の山々に別れを告げた。写真左のコブが、さきほど、そのふもとを通り過ぎてきた男体山である。