午前中、なにげなくテレビを見ていたら、あまりよくは知らない土地の知らない歌手の知らない歌が流れていた。東欧のチェコのことであるらしい。「プラハの春」のことは、多少は知っているけれど、その後のチェコの苦難は、ほとんど馬の耳に念仏だった。当時、わたしはちょうど二十歳の時で、日本の共産党の手下になったばかりで、わが青春を謳歌していた。
番組を見終わり、チェコの人々には、このような歴史があったのかと、われながら忸怩たる思いとともに感銘を深めた。チェコにはチェコの言語があったのだ。親から引き継いだ言語を、他言語から、守ることは普遍的な意味があると思っている。それは日本人の私にもあり、チェコ人の彼女にもあった。マルタ・クビショバは、1942年生まれのチェコにおける一人のポップス歌手だった。現在は70歳になるだろうか。わたしより、たった6、7歳年上なだけだ。やはり、同時代の人なのである。そのことが痛切に感じられてならない。
HEY JUDE(1969年 マルタ 27歳当時)
http://www.youtube.com/watch?v=g9QLFJKqaMw
Rekni Kde Ty Kytky Jsou(2009年 マルタ 67歳当時)
http://www.youtube.com/watch?v=Pho3nE-n8ug