約300年も続いた徳川時代が終焉の時を迎え、新たな価値観が入って来た時、その時代の人々
はどう振舞ったのか?...ということであります。とりわけ長きに渡り地域を治めてきた殿様や、
もっというと事務方トップ...、番頭さん、あるいは意思決定者、リーダーと呼ばれる方々...。
コペルニクス的転回と言う言葉があります。物事の見方が180度変わってしまうことの例え
に使われますが、まさにそのような状態...。言うは易しですが“どうしたら良いのか分からない”
これが本音だろうと思います。強いて言えばその変化の前に先見の明があったかどうか...。
河井継之助と言う人を語る時、多くの人がその先見性を高く評価する。しかしながら先見性は
あり、それが正しいとしても、歴史は時に残酷...。この運命に翻弄されながらも最終的に武士
として潔く、一時的に汚名を被っても長岡の人、もっというと日本人の将来を見つめる覚悟...。
戦わざれば亡国、戦うもまた亡国であれば、戦わずしての亡国は身も心も民族永遠の亡国である...。
ふと、この一節が出て参りました。太平洋戦争突入時・作戦遂行の責任者(軍令部総長)の言葉。
長岡は焦土となり、継之助の墓はムチで叩かれるほどの憎悪の対象となるも...(続きは次回に)
司馬遼太郎は存命中は「坂の上の雲」の映画化を許さなかったそうです。
司馬遼太郎の歴史観に意見するのは大学の後輩である原田伊織(作家)です。「明治維新という過ち」が代表作です。
参考まで。
司馬遼太郎は存命中は「坂の上の雲」の映画化を許さなかったそうです。
司馬遼太郎の歴史観に意見するのは大学の後輩である原田伊織(作家)です。「明治維新という過ち」が代表作です。
参考まで。