かつて大隅半島を半周する鉄道の中間駅の記念館があり、戦争中の特攻隊の基地の一つであったのが鹿屋でした。特攻隊の基地は現在は航空自衛隊の前線基地になっていますがこちらも記念館があって、これまでに自衛隊や旧軍隊で使われた飛行機が展示されています。スクランブル発進をする自衛隊基地の一つで、東京に最も近い基地が百里で、現在は民間の茨城空港として共用の2本目の滑走路を持つようになりました。この茨城空港は、かつては利用促進のため東京との間に格安のバスがありましたが、コロナで週に数便となり、東京人にとっては遠い空港になってしまいました。東京へのアクセスは、常磐線の石岡にバスで出て電車ということになりますが、このバス路線の途中の小川町には古い町並みが残されています。今回はその町並みを紹介します。
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この小川町には、石岡から鉾田まで鹿島鉄道線というローカル鉄道が走っていましたが、2007年に廃線になってしまいました。軌道の一部は、空港と石岡駅を結ぶバスの専用道となり、一般車は通れないので渋滞はなさそうですが、そもそもバスは頻繁には走ってはいませんが。茨城空港の開港が2010年ですから、もう少し廃線が遅れていたなら、空港アクセス線になっていたかもしれませんが、空港に行くには支線を延ばす必要があり、そこまでしても、茨城空港の状況から需要は見込めなかったでしょう。混むのは年に1℃の百里基地の基地際の日だけだったかもしれません。この茨城空港は、スクランブル基地ということだけあって、空港の展望台から基地方向はすりガラスで醜くしていますが、中国や韓国の民間機が降りてくるのは、不思議に思います。
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小川町は、霞ケ浦の水運を利用した廻船問屋が核になりましたが、前述のように今は廃線となった鹿島鉄道線が開通して運輸業としては見捨てられるようになったそうです。その後、養蚕業が盛んになり全国に名を知られるようになったのですが、これも百里基地の前身の海軍基地ができて衰退してしまいました。さらに、県道は小川町をバイパスし、小川町から離れたところを通ってしまい、水戸と霞ケ浦を結んだ旧道には石岡駅と茨城空港とを結ぶ路線バスが走るのみとなり時代から取り残されたような形となりました。その結果、旧街道沿いに古い町並みが冷凍保存されてしまったようです。
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この旧道は旧街道らしく、微妙に曲がりくねって見通しがききません、路線バスの運転は機を使うでしょうが、歩いている人はほとんど見かけません。この道沿いには、一階に出格子をはめ二階部分が土蔵造りの古民家が多く、どっしりとした門構えの奥には造り酒屋もあります。人気の少ない道沿いには、古風な青色の朝顔が咲き乱れ、見上げた空の夕焼けは、雲の間から光の帯が放射状に伸びて、なにか修家用的な感覚を受けそうな景色でした。
前述のように茨城空港から乗ったバスが終点の石岡駅に近づくと鹿島鉄道の旧路線敷を使ったバス専用道を走ります。鹿島鉄道は単線でしたから、この専用道もバス1台が通れる幅しかありません。単線の鉄道では、タブレットと呼ばれる通行証で、双方向から列車が来て正面衝突するのを防止していて、すごく原始的ですが、通行証を運転士が見誤らない限りシンプルで安全なシステムです。さすがに現在では、大部分が電気的な自動閉塞システムが導入されて、通行証は信号機になっています。そこで、疑問になったのが、バス専用道の衝突防止システムです。ダイヤはさほど密では異様ですが、途中のかつて駅だったらしい場所で対向車と行違いました。タブレットや信号機などは見当たりません。ダイヤで行き違い場所を決めてるので、その通りに走っているのでしょうか、それとも都会にあるバスきっせつシステムのように電波と簡単なコンピュータシステムの組み合わせなのでしょうか。
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この小川町には、石岡から鉾田まで鹿島鉄道線というローカル鉄道が走っていましたが、2007年に廃線になってしまいました。軌道の一部は、空港と石岡駅を結ぶバスの専用道となり、一般車は通れないので渋滞はなさそうですが、そもそもバスは頻繁には走ってはいませんが。茨城空港の開港が2010年ですから、もう少し廃線が遅れていたなら、空港アクセス線になっていたかもしれませんが、空港に行くには支線を延ばす必要があり、そこまでしても、茨城空港の状況から需要は見込めなかったでしょう。混むのは年に1℃の百里基地の基地際の日だけだったかもしれません。この茨城空港は、スクランブル基地ということだけあって、空港の展望台から基地方向はすりガラスで醜くしていますが、中国や韓国の民間機が降りてくるのは、不思議に思います。
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小川町は、霞ケ浦の水運を利用した廻船問屋が核になりましたが、前述のように今は廃線となった鹿島鉄道線が開通して運輸業としては見捨てられるようになったそうです。その後、養蚕業が盛んになり全国に名を知られるようになったのですが、これも百里基地の前身の海軍基地ができて衰退してしまいました。さらに、県道は小川町をバイパスし、小川町から離れたところを通ってしまい、水戸と霞ケ浦を結んだ旧道には石岡駅と茨城空港とを結ぶ路線バスが走るのみとなり時代から取り残されたような形となりました。その結果、旧街道沿いに古い町並みが冷凍保存されてしまったようです。
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この旧道は旧街道らしく、微妙に曲がりくねって見通しがききません、路線バスの運転は機を使うでしょうが、歩いている人はほとんど見かけません。この道沿いには、一階に出格子をはめ二階部分が土蔵造りの古民家が多く、どっしりとした門構えの奥には造り酒屋もあります。人気の少ない道沿いには、古風な青色の朝顔が咲き乱れ、見上げた空の夕焼けは、雲の間から光の帯が放射状に伸びて、なにか修家用的な感覚を受けそうな景色でした。
前述のように茨城空港から乗ったバスが終点の石岡駅に近づくと鹿島鉄道の旧路線敷を使ったバス専用道を走ります。鹿島鉄道は単線でしたから、この専用道もバス1台が通れる幅しかありません。単線の鉄道では、タブレットと呼ばれる通行証で、双方向から列車が来て正面衝突するのを防止していて、すごく原始的ですが、通行証を運転士が見誤らない限りシンプルで安全なシステムです。さすがに現在では、大部分が電気的な自動閉塞システムが導入されて、通行証は信号機になっています。そこで、疑問になったのが、バス専用道の衝突防止システムです。ダイヤはさほど密では異様ですが、途中のかつて駅だったらしい場所で対向車と行違いました。タブレットや信号機などは見当たりません。ダイヤで行き違い場所を決めてるので、その通りに走っているのでしょうか、それとも都会にあるバスきっせつシステムのように電波と簡単なコンピュータシステムの組み合わせなのでしょうか。