世界遺産のエリア以外や郊外にも見どころの多かったのがベトナムのフエでした。本ブログで紹介した兵馬俑は大都市西安からかなり離れた郊外にありますが、西安からの道筋にも見どころが多く存在します。兵馬俑の紹介の時に一部紹介しましたが、今回はより詳しく紹介します。
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起点となる西安は、東京都と同程度の人口を擁する大都市で、かつては長安の名称で、前漢、北周、瑞などの都として繁栄した都市です。兵馬俑を作った始皇帝の都も西安の北の咸陽にありました。シルクロードの起点の国際的な都市として栄え、西遊記の玄奘も長安から出発し、持ち帰ったお経の原本は大雁塔に保存されています。広大な中国のほぼ中央、やや東寄りに位置し、かつてはJALの直行便が飛んでいましたが、現在は北京や上海などでの乗り継ぎが必要です。兵馬俑は西安の中心部の東北東30kmほどに位置し、その間にある施設を西安に近い順に紹介します。
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最初は半坡博物館で、この博物館は郊外というより西安市内の東寄りにあります。市内と言っても西安を囲む城壁乃外で、周りはだいぶ田舎めいてきます。この半坡遺跡は黄河中流域に新石器時代に形作られた遺跡で、その古さは半端ではなく長安よりずっと歴史が古いものです。遺跡は、雨風から程するために兵馬俑と同様に体育館のような建物で覆われていて、その中に数多くの住居跡が散在しています。先般に世界遺産となった三内丸山遺跡の保護シェルターの内部の様子と似ています。展示ブースには、やはり三内丸山遺跡の展示館と同様に
土器や石で作られた道具類などが展示されています。
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次はかなり東に走り、間もなく兵馬俑かと思われる場所にある華清池です。始皇帝の宮殿もあったという3千年の歴史のある温泉保養地です。古野温泉には楊貴妃も浸かったという伝承も残り、入浴中と思しき姿の巨大な楊貴妃増があって、観光客の撮影ポイントになっているようですが、むしろ池に咲く睡蓮や池を囲む建物などの方が絵になると思うのですが。
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この華清池が世界的に知られる事件の舞台となったのが、西安事件です。西安事件は、張学良らによって蒋介石が拉致監禁され、その後の国共合作、共同抗日戦線が形作られるきっかけとなった事件です。華清池の畔に建つ建物に、事件の現場となった部屋が残されています。
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さらに兵馬俑に近い場所にあるのが秦陵地宮で、これは始皇帝の陵墓を推定して再現したものです。発掘されていない始皇帝の地下宮を想像だけで作ったような代物で、はっきり言って見世物小屋ですが、見世物と割り切ってみる分には、それなりの豪華さがあってきれいで好奇心を満たしてくれます。
中華民国は西安事件の後に国民政府と共産党は合同して抗日に成功しますが、その後は再び内戦状態となり、国民政府は破れて台湾に逃げ込みます。この時、国民政府は紫禁城の宝物類一式を所持したまま戦いを続け、最終的に、これらの宝物は現在台北にある故宮博物院の所蔵品となっています。戦争という異常な状況の中をあれだけ膨大な量の美術品を移動させ、整理された形で展示されているのは驚くべきことです。個々の美術品の管理資料は散逸してしまっていると想像できるので、膨大なマンパワーを費やしたのではないかと思います。現在では、博物館の所蔵作品は電子データ化が進んでいるようで、基礎データ作りは人間の手作業でしょうが、類似検索や分類などは早さのまさるコンピュータの活躍の舞台になっているようです。
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起点となる西安は、東京都と同程度の人口を擁する大都市で、かつては長安の名称で、前漢、北周、瑞などの都として繁栄した都市です。兵馬俑を作った始皇帝の都も西安の北の咸陽にありました。シルクロードの起点の国際的な都市として栄え、西遊記の玄奘も長安から出発し、持ち帰ったお経の原本は大雁塔に保存されています。広大な中国のほぼ中央、やや東寄りに位置し、かつてはJALの直行便が飛んでいましたが、現在は北京や上海などでの乗り継ぎが必要です。兵馬俑は西安の中心部の東北東30kmほどに位置し、その間にある施設を西安に近い順に紹介します。
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最初は半坡博物館で、この博物館は郊外というより西安市内の東寄りにあります。市内と言っても西安を囲む城壁乃外で、周りはだいぶ田舎めいてきます。この半坡遺跡は黄河中流域に新石器時代に形作られた遺跡で、その古さは半端ではなく長安よりずっと歴史が古いものです。遺跡は、雨風から程するために兵馬俑と同様に体育館のような建物で覆われていて、その中に数多くの住居跡が散在しています。先般に世界遺産となった三内丸山遺跡の保護シェルターの内部の様子と似ています。展示ブースには、やはり三内丸山遺跡の展示館と同様に
土器や石で作られた道具類などが展示されています。
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次はかなり東に走り、間もなく兵馬俑かと思われる場所にある華清池です。始皇帝の宮殿もあったという3千年の歴史のある温泉保養地です。古野温泉には楊貴妃も浸かったという伝承も残り、入浴中と思しき姿の巨大な楊貴妃増があって、観光客の撮影ポイントになっているようですが、むしろ池に咲く睡蓮や池を囲む建物などの方が絵になると思うのですが。
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この華清池が世界的に知られる事件の舞台となったのが、西安事件です。西安事件は、張学良らによって蒋介石が拉致監禁され、その後の国共合作、共同抗日戦線が形作られるきっかけとなった事件です。華清池の畔に建つ建物に、事件の現場となった部屋が残されています。
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さらに兵馬俑に近い場所にあるのが秦陵地宮で、これは始皇帝の陵墓を推定して再現したものです。発掘されていない始皇帝の地下宮を想像だけで作ったような代物で、はっきり言って見世物小屋ですが、見世物と割り切ってみる分には、それなりの豪華さがあってきれいで好奇心を満たしてくれます。
中華民国は西安事件の後に国民政府と共産党は合同して抗日に成功しますが、その後は再び内戦状態となり、国民政府は破れて台湾に逃げ込みます。この時、国民政府は紫禁城の宝物類一式を所持したまま戦いを続け、最終的に、これらの宝物は現在台北にある故宮博物院の所蔵品となっています。戦争という異常な状況の中をあれだけ膨大な量の美術品を移動させ、整理された形で展示されているのは驚くべきことです。個々の美術品の管理資料は散逸してしまっていると想像できるので、膨大なマンパワーを費やしたのではないかと思います。現在では、博物館の所蔵作品は電子データ化が進んでいるようで、基礎データ作りは人間の手作業でしょうが、類似検索や分類などは早さのまさるコンピュータの活躍の舞台になっているようです。