マリアの出現と奇跡の起こった町としてカトリック信者の重要な巡礼地となっているのがポルトガルのファティマでした。敬虔な信者が、地面に身を投げ出しながら聖堂に進む姿を見ていると、部外者には信心の恐ろしささえ感じます。宗教というのはそれだけ人々を動かす不思議な力を持つようですが、ベトナム戦争中にサイゴンまで車で乗り付けて焼身自殺をした僧侶の話は心が痛みますが、その時の車がフエのお寺に保存されています。今回は、そのお寺であるフエのティエンムー寺院を中心に紹介します。
ティエンムー寺院は、フエの市街地からフォーン川を少しさかのぼった左岸、王宮と同じ側に位置する仏教寺院です。17世紀初頭に建てられ、フエでもっとも古い寺院で、フォーン川の河岸段丘の上の境内からのフォーン川のゆったりした流れを眺めることもできます。川沿いの道から石段を登っていくと約21mの八角七層の慈仁塔がお寺の存在を主張しています。この塔は19世紀のもので、フエのシンボルとしてお土産のモティーフとして使われているようです。
塔のところから北に向け奥に長い境内があって、中国風の神像が置かれた門を抜けると寺の中心の大雄殿があって、大雄殿の裏にもさらに木々の緑に囲まれた境内が伸びています。池には水連が咲き、南国の花と思しき花々も咲いていて気持ちの良い空間です。北の端に近いところには基壇の上に六角六層の石塔があります。こちらは小ぶりですが、慈仁塔と違って各層の出入りが深く、日本の塔にやや似ていると言えば似ています。
そして、問題の車も境内の一郭に、車本体と事件を報じた写真がパネルになって壁に飾られています。僧侶の名前はディック・クアン・ドック、体が焼け落ちた後も心臓だけは元の形を保っていて、その写真もパネルになっています。飾られている車はイギリス製のオースチンで、なぜかアメ車ではありませんでした。
筆者が訪れた時は、クリスマスの直前だったこともあって、フォーン川に日が沈んだ後、市内はイルミネーションであふれていました。同じベトナムのホーチミン市では市内の幹線道路の上はイルミネーションで覆いつくされていました(横位置の写真はホーチミン市の目抜き通り)。フエではそこまで派手ではありませんでしたが、町のいたるところが輝いていました。新市街と旧市街を結ぶフォーン川に架かる橋も色々と色の変わるライトアップがなされていましたが、こちらは通年のようです。
僧侶の焼身自殺を人間BBQと言った人間が居ました、それは南ベトナムの当時の副大統領夫人で、このことから国民の非難を受けて軍事クーデターに発展しゴ・ディン・ジェム政権が倒れるきっかけになっりました。このゴ・ディン・ジェム政権は、ベトナム王朝を倒して成立した政権でしたが、崩壊の1年後からベトナム戦争が始まってしまいました。ベトナム戦争では、新しい兵器が数多く投入され、間接的に電子技術が発展したとされていますが、結果的にアメリカは敗北し、ベトナムは世界中で唯一アメリカに勝利した国と言われています。最新式の電子技術も、人々の反戦努力の熱意には勝てなかったわけです。
ティエンムー寺院は、フエの市街地からフォーン川を少しさかのぼった左岸、王宮と同じ側に位置する仏教寺院です。17世紀初頭に建てられ、フエでもっとも古い寺院で、フォーン川の河岸段丘の上の境内からのフォーン川のゆったりした流れを眺めることもできます。川沿いの道から石段を登っていくと約21mの八角七層の慈仁塔がお寺の存在を主張しています。この塔は19世紀のもので、フエのシンボルとしてお土産のモティーフとして使われているようです。
塔のところから北に向け奥に長い境内があって、中国風の神像が置かれた門を抜けると寺の中心の大雄殿があって、大雄殿の裏にもさらに木々の緑に囲まれた境内が伸びています。池には水連が咲き、南国の花と思しき花々も咲いていて気持ちの良い空間です。北の端に近いところには基壇の上に六角六層の石塔があります。こちらは小ぶりですが、慈仁塔と違って各層の出入りが深く、日本の塔にやや似ていると言えば似ています。
そして、問題の車も境内の一郭に、車本体と事件を報じた写真がパネルになって壁に飾られています。僧侶の名前はディック・クアン・ドック、体が焼け落ちた後も心臓だけは元の形を保っていて、その写真もパネルになっています。飾られている車はイギリス製のオースチンで、なぜかアメ車ではありませんでした。
筆者が訪れた時は、クリスマスの直前だったこともあって、フォーン川に日が沈んだ後、市内はイルミネーションであふれていました。同じベトナムのホーチミン市では市内の幹線道路の上はイルミネーションで覆いつくされていました(横位置の写真はホーチミン市の目抜き通り)。フエではそこまで派手ではありませんでしたが、町のいたるところが輝いていました。新市街と旧市街を結ぶフォーン川に架かる橋も色々と色の変わるライトアップがなされていましたが、こちらは通年のようです。
僧侶の焼身自殺を人間BBQと言った人間が居ました、それは南ベトナムの当時の副大統領夫人で、このことから国民の非難を受けて軍事クーデターに発展しゴ・ディン・ジェム政権が倒れるきっかけになっりました。このゴ・ディン・ジェム政権は、ベトナム王朝を倒して成立した政権でしたが、崩壊の1年後からベトナム戦争が始まってしまいました。ベトナム戦争では、新しい兵器が数多く投入され、間接的に電子技術が発展したとされていますが、結果的にアメリカは敗北し、ベトナムは世界中で唯一アメリカに勝利した国と言われています。最新式の電子技術も、人々の反戦努力の熱意には勝てなかったわけです。