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フエは王宮だけで終わりにしてはもったいない、カイディン帝廟のモザイクの美しさはタクシーのチャーター料以上に値打ちがあります(ベトナム)

2021-05-16 08:00:00 | 世界遺産
 ベトナム戦争で王宮の後ろ半分が無くなって夏草が茂る原っぱになってしまっていたのがベトナム中部のフエの王宮跡でした。世界遺産のフエの建造物群には王宮だけでなく郊外にある歴代皇帝の陵墓も含まれています。今回はこれらの中から筆者が訪問したカイデン帝廟とドゥドゥック帝廟とを紹介します。

 カイディン帝廟もドゥドゥック帝廟もフエ市内からフォン川を遡った所にあり、この2つの廟だけでなく他の皇帝の廟もジャングルの中に散在しているようです。ドゥドゥック帝廟はフエ市内から5kmほど、カイディン帝廟はさらに奥にあって10kmほどの距離にあって、とても歩ける距離ではありません。路線バスはなさそうで、筆者は車を1日チャーターしてフエをあちこち連れて行ってもらいました。

 カイディン帝はグエン朝の第12代皇帝で在位は1916~25年、宗主国のフランスに擁立された皇帝でした。陵墓は生存中から作られ始め没後6年たって完成しました。フランスの傾倒していたこともあって、陵墓はバロック様式で建てられ、陵墓の規模こそ他の皇帝の物よりも小ぶりですが、建物内外の装飾などは時間を掛けて華美と思えるほど贅を尽くしています。

 
 
 
 

 前庭には文官や武官それに兵士の石像が並んでいて中国の兵馬俑(兵馬俑は石像ではなく焼き物)を思わせます。象の像も置かれてありました。広場の中心には碑亭があり、外部も内部の柱にまでレリーフが施されて、内部には皇帝の功績が書かれた碑が置かれています。

 
 
 
 正面の石段を上がると、廟の中心的な建物で礼拝堂と度所である啓成殿があります。建物の外部は碑亭と同様に一面のレリーフが施され、華やかですが灰色の世界です。ところが、建物に入ると、目を疑うくらいの豪華絢爛のモザイク模様のオンパレードです。これだけの装飾だと作るのに時間がかかるのは当たり前のようです。中央にカイディン帝の像があり、地下9mのところに遺体が葬られているそうです。

 
 ドゥドゥック帝はグエン王朝の第4代皇帝で在位は1847~83年でグエン王朝最盛期の最後の皇帝です。陵墓は存命中から作られ大きな池を中心に陵墓と離宮が併存し、皇帝は生前に完成した離宮に休養のため訪れ詩文を作ったり、舟遊びをしたそうです。カイデン帝廟に比べると作られた時代が古いと言っても60年ほどですが、くすんだ感じがして華やかさには欠けますが、景色の中に水の存在があり変化に富んでいます。

 
 
 
 この池に面して西に一列に並ぶ建物群が寝殿で、小ぶりの紫禁城を感じさせます。その南側にはレンガ塀に囲まれた廃墟があり、これはこれで一種の美しさがあるように思います。

 
 
 
 
 逆に北側にはドゥドゥック帝の陵墓があり、やはり東から西に向かって手前に碑亭と奥に陵墓があります。碑亭はカイデン帝廟と同様に帝の功績が書かれた巨大な石碑を収めたもので、ドゥドゥック帝が自ら書いたものだそうです。奥の陵墓の中央には石棺が置かれていますが、帝の遺体が収容されているわけではなく、グエン朝の習わしで親族によって秘密裏に埋葬されたのだそうです。遺体の場所が分かっているのは、前述のカイデン帝がゆいつの例外なのだそうです。

 カイデン帝廟でもドゥドゥック帝廟でも碑亭は重要な位置を占めているようです。自分の功績を後世に残したくなるのが権力者の常なのでしょうか。巨大な石碑に彫り込むというのは中国文化の影響かもしれませんが、中国では石碑というと亀の背中に乗っていたようですが、こちらではそのような形はとってないようです。石に刻んだ文字は、よほどのことが無い限り後世に伝えられ、重要な資料となり、その良い例がロセッタストーンではないでしょうか。紙などに印刷された情報に比べれば、圧倒的に保存性がいいわけです。一方、ディジタル化された情報は、コピーしてバックアップも可能で、劣化はしないので、コンピュータなどで簡単に再現でき便利です。情報がどこにあるかを検索するのも短時間で済みます。ただ、ディジタル化が完全かというと、どうも嘘っぽい感じで、何百年後に同じコンピュータシステムが動作する保証はどこにもありません。