世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

潔癖な白のタージマハルより、優れた技術の粋が見られるフユマーン廟です(インド)

2016-12-11 08:00:00 | 世界遺産
 上座部仏教が生活の中に生きているタイの古都に、13世紀の仏教遺跡が残っているのがスコタイでした。仏教はインドの北部で起こり、東に伝わって我が国に及んだ大乗仏教徒、南東に伝わった上座部仏教ですが、生誕地のインドでは仏教はすたれてしまっています。仏教関連の世界遺産も釈迦の生誕地など3か所程度です。ヒンドゥー教やイスラム教関連のものが多く、今回は、イスラム関連遺跡の一つフマユーン廟を紹介します。

 筆者がインドを訪れたのは、17年も前ですから、だいぶ状況も変わっているかもしれません。デジカメも、まだまだおもちゃっぽく、画素数も小さく、色の飽和度も少なくって現在とは全く違ったものでした。今回の写真は、その頃のデジカメのものですので、画像がさえないのをお許しください。また、記述内容も、記憶が薄れてあいまいな部分が多いこともご了解ください。

 インドへの旅行は、地上移動が不安で、現役時代の時間的制約からパッケージ旅行でした。ニューデリーの空港に着いて、夕食に向かう頃には、あたりは真っ暗、街路灯もあまり無かったんです。バスの窓からは暗闇しか見えないのですが、その暗闇の中に、なにかうごめくものが見えて、よ~く見ると、これが道路の端を歩いている人の群れだったのです。それが、まるで、デモに向かう群衆くらい大勢なんです。インドは人が多いんだ!と時間下瞬間でした。インドに旅行をすると、人生観が変わるとも言われますが、そこまではいきませんでした。
 
 
 さて、フユーマーン廟は、フユマーン帝が事故死した後、その王妃によって首都のデリーのヤムナー河近くに16世紀に作られたものです。17世紀に作られたタージマハルにも影響を与えた廟です。タージマハルは、王が王妃のために作った廟なので、フユマーン廟とは逆になりますが。フユマーン帝は、中央アジアからインドにやってきてイスラムイスラム王朝を作ったムガール帝国の2代目の皇帝でした。内乱を鎮めるためにペルシャの援軍を頼んだ際に、大勢の職人や芸術家もつれてきたそうです。王妃が、このフユマーン廟を作る際にもペルシャの建築家の指揮のもとに、帝国で最も壮麗な廟を作ったそうです。

 
 タージマハルは大理石で作られて真っ白な廟ですが、フマユーン廟では、オレンジ色の赤砂岩と白い大理石を組み合わせて、壁面に美しい模様が描かれています。ペルシャからの職人たちは、祖国では質の良い自然石が手に入らず、やむなくレンガなどを使って象嵌をしていたものが、インドでは自然石で造詣ができたのだそうです。真っ白なタージマハルは、潔癖さを感じて、それなりに存在感がありますが、建物としての美しさという面で見ると、フユマーン廟の方が、職人の技術が生きていて、美しいように感じます。

 仏教はインドで生まれましたが、現在のインドにはほとんど仏教徒は居ないようです。宗教に限らず、生まれたところでは発展しないで、他の国で成果を生んだものも多く、IT分野でもその例外ではありません。一時期は、日本の十八番だった液晶ディスプレイですが、発明者はアメリ人でした。しかし、日本の天下も長続きせず、現在は韓国、台湾に追い抜かれてしまっています。IT分野ではありませんが、現在のインスタント・コーヒの元になる発明者はアメリカ在住の日本人だったのです。ところが、インスタント・コーヒの生産では、日本でもアメリカでもないスイスの会社が日本シェアの70%なのです。