世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

フォロロマーの遺跡は巨大クレータのようでした(イタリア)

2016-05-01 08:00:00 | 世界遺産
 サンティアゴ・コンポステイラへの参詣道の紹介が4回も続きましたが、キリスト教の巡礼路はサンティアゴ・コンポステイラに続く道ですが、かつてローマ帝国が繁栄したころには、すべての道はローマに通じていたようです。今回と次回は、そのローマを紹介します。今回はフェロロマーノ周辺を、次回はそれ以外の場所を紹介しようと思いますが、なにせ訪問したのは25年も前のこと、現地の様子も変わっているでしょうし、記憶も金成曖昧です、さらには掲載の写真もアナログのスライドからスキャナで取り込んだもので、かなり退色をしてしまっています。



 
 
 ローマは言わずと知れたイタリアの首都で、かつてのローマ帝国の中心地だった場所になります。イタリアは世界遺産の登録数のもっとも多い国で51の登録数を誇りますが、なんとなくドサクサ紛れの感じもします。基金の拠出額では日本は世界で2位、イタリアは6位ですが、その額はおよそ1/3で、登録数は3倍ってのは納得できません。それに、最近は1年に登録できる数を1件と制限して、旧西欧列強がが、金も出さずに既得権を振り回しているように感じます。
まあ、文句はそれくらいにして、ローマ歴史地区の遺産登録は、イタリアでは2番目に古く、ヴァルカモルカの岩絵の翌年に最後の晩餐のある修道院とともに登録されました。

 
 
  フォロロマーノは、鉄道駅のテルミニの南西2kmほど、コロッセオの西隣にあります。筆者は、都待ったホテルの位置関係から、北西側からフェロロマーノに入りましたが、そのときの第一印象は、巨大なくぼ地!でした。遺跡の西側からだと遺跡を見下ろすカピトリーノの丘の崖の上から入ることになり、最初に遺跡の全体像が見えますが、先ほどのような印象になります。現在もおそらくそうでしょうが、まだまだ発掘途中で、でこぼこの地面と雑草のなかに、建物の残骸や柱だけが立っています。現在は、修復が済んで全体像を表しているようですが、コンスタンティヌスの凱旋門も板囲いでした。その他にも、元老院の跡やバシリカ・ユリアの跡などが残っていますが、あまり記憶に定かでありません。

 古代ローマの土木技術は、現代の技術をもしのぐものがあったといわれています。水道橋の傾斜は、34/10万という精密さで、これは東京から熱海まで引いて高低差がわずか34mというすごさです。古代ローマから、ずっと後の我が国の玉川上水でさえ210/10万程度の傾斜で、それでもすごい技術と言われたわけで、古代ローマは別格なんでしょう。もちろん、現代ではレーザなどを使った技術で、もっと微妙な傾斜もでき、両側から掘ったトンネルの断面の誤差が数cmということも可能だそうです。たd、現代では、コンピュータや精密機械がやってくれるだけで、人間の技術自体は退化してきているのかもしれません。