世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

明治の産業遺産は、地域も北から南までばらばら、登録されている物も様々です(日本)

2015-07-12 08:00:00 | 世界遺産
 ドイツのボンで開かれてた2015年の世界遺産会議で、明治日本の産業革命遺産が世界文化遺産に新たに登録されました。政治がからんで、国内外ですったもんだしましたが、ようやく決まったといった感じです。今回の指登録地域は、8エリア28箇所と、これまでに無い多数の場所の指定になりました。今回は、とてもすべての場所を訪問できていませんので、限定的な紹介になります。また、学生時代に訪問した場所の写真が見当たらなかったので、写真のある場所は3箇所と、さらに限定されます。

 首都圏に近い韮山の反射炉からスタートします。韮山反射炉は、東海道線の三島駅から南に伸びる伊豆箱根鉄道の伊豆長岡駅の東1kmほどのところにある幕末の遺構で、現存する2基の反射炉の一つです。実際に稼動をして、大砲も鋳造をしたそうです。学生時代には、一つ隣の韮山駅近くの願成就院の方に興味があって、反射炉はついでに立ち寄ったような記憶があります。

 現存の反射炉のもう一基は、山口県の萩市にあります。山陰線の東萩駅から2km近くをテクテクと歩いて行ったように思います。こちらの遺構は、煙突部のみが残り、反射炉自体も、試験的に作られたもので、実稼動の記録は無いのだそうです。
 日本における反射炉は、西欧列強に対抗するために幕末に各地で作られたもので、最初に作られたものは佐賀藩のものでした。佐賀藩の反射炉の遺構は残っていませんが、佐賀市内の公園にその模型が作られています。(写真は佐賀藩の反射炉の模型)
 今回の登録で佐賀市内には、三重津海軍所跡がありますが、未取材です。さらに、岩手県釜石には、わが国最初の様式高炉の遺跡が登録されていますが、こちらも未訪問です。

 
 
 萩には、反射炉跡だけではなく、松下村塾や萩の城下町など5箇所が登録されています。松下村塾はNHKの大河ドラマでも取り上げられており、今回の指定と重なって、観光客がどっと押しかけるのではないかと思います。日本人のこのような行動パターンには納得できません。萩の落ち着いた町並みには、しばらくたって、人並みが引いてから訪れたほうがよさそうです。

 
 山口県から海を渡った北九州では、八幡製鉄所の関連施設が登録されています。現役の製造施設の一部が登録されるのは珍しいように思います。旧事務所や修繕工場も登録されていますが、紹介するのは1901年に最初に稼動をした東田第一高炉の遺構です。鹿児島本線のスペースワールド駅から徒歩5分、八幡駅寄りで、スペースワールとは逆側に巨大な高炉が建っています。この高炉は昭和47年に役割を終えて火を落としていますが、かつては日本の産業の基礎になる鉄の製造を支え続けてきた遺構です。現在の鹿児島本線は、この遺構やスペースワールドの海岸寄りを走っていますが、この場所はかつての製鉄所の敷地内で、鉄道は大きく南側に迂回をしていました。高炉などの主要施設は、湾を挟んだ戸畑側に移り、工場跡地にスペースワールドができ、取り残されたような東田第一高炉より海側にショートカットされた線路が移設されたそうです。


 北九州には、佐賀県、長崎県と炭鉱関連の遺構が数多く登録され、軍艦島と呼ばれる端島炭鉱跡を訪れる観光船は大繁盛になっているようです。その中で、変わったところでは長崎のグラバー邸があります。明治の産業遺産を資本家の立場から推し進めたグラバーの関連施設ということで登録対象となったようです。日本の木造洋風建築の草分けとして重要文化財にも指定されている建物です。現在は、明治期の洋風建築を移築してグラバー園として長崎観光の目玉の一つともなっており、園の高台から眺める長崎の景色もなかなかのものです。

 九州を南下して鹿児島県に入ると、幕末に薩摩藩が作った旧集成館などが登録されています。こちらにも反射炉があったようですが、現在はその下部機構のみが残されています。建物は2棟、旧集成館機械工場と旧鹿児島紡績技師館とが登録になっています。旧集成館機械工場は尚古集成館の名称で博物館として公開されていて、重要文化財にも指定されています。学生時代に訪問したように思いますが、ほとんど記憶がありません。

 日本の産業が重厚長大から軽薄短小に移行して、随分と時間がたつように思います。重厚長大の代表格であった製鉄会社が電子部品のLSIを作るようになったのが象徴的でした。最近は、ハードの製造から、ソフト産業に軸足が移ってしまい、国内の産業基盤の空洞化が進んでいます。ゲーム産業だけで、国が成り立っていくとは思えません。