世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

飛鳥と難波とを結ぶ古街道の穴虫越には中将姫伝説の当麻寺も建っています

2014-10-12 08:00:00 | 日本の町並み
 水運を利用した木綿の集散地として発展し木綿街道の名前が残るのが出雲台車の近くの雲州平田でした。木綿に比べて高級な繊維のイメージが強い絹は、東洋で作られたものが遠くシルクロードを伝わってヨーロッパにもたらされました。このシルクロードの東の起点は、日本の飛鳥地方といわれています。飛鳥地方から難波津を経由して中国大陸につながり、遠く中近東までつながり、正倉院の御物のいくつかは、このルートで遠くペルシャからも伝わったと言われています。この飛鳥と難波を結ぶ古街道が竹之内街道で、古には聖徳太子も通ったであろうとされていますが、竹之内街道の東側の起点は、奈良と大阪の県境にそびえる二上山の南東側の麓にある長尾神社あたりとされています。竹之内街道は二上山の南側を越えていますが、北側を越える古道が穴虫越と呼ばれる竹之内街道の補助街道です。今回は、この穴虫越のうち当麻寺の参詣道に当たる町並みと、かつての穴虫村と呼ばれた地域に広がる町並みとを紹介します。

 
 二上山は、飛鳥の西にそびえ、日が雄岳と雌岳との間に沈む様子から神格化され、万葉集にも数多く登場する山の一つです。雄岳の頂上付近には、草壁皇子との権力闘争に敗れた大友皇子のものとされる墓がありますが、異説も多いようです。一方、当麻寺は二上山の東の麓にあるお寺で、中将姫が夢のお告げを受けて蓮の繊維を使って織ったという曼荼羅で有名です。この当麻寺には、曼荼羅だけではなく、古代に建てられた東西の三重塔が唯一存在するお寺としても有名です。

 
 
 古い町並みは、近鉄の当麻寺駅からまっすぐ西に伸びる参詣道にそって伸びています。この道の調度中間辺りに蹴速塚があります。垂仁天皇の頃に、この地の當麻蹴速と出雲からの野見宿禰とが相撲を取り、當麻蹴速が腰を踏み折られて亡くなったと言われる場所で、相撲発祥の地とされています。

 
 
 
 一方、穴虫村のあった所は、二上山の北東に位置していて、奈良県側から北西に伸びる穴虫越が北に向きを変えるあたりです。近鉄の二上山駅と二上駅との間に町並みが細長く伸びています。かつての街道であった道は意外なほど狭く、この狭い道路に沿って格子の連なる町家や土蔵造りの家並みが、これまた意外なほど数多く残されています。行政上は大阪のベッドタウン的な性格の香芝市の一部ですが、周りには畑が残り、人通りもまばらな場所で、ちょっと異次元空間の雰囲気です。

 曼荼羅というのは仏教の教えに登場する仏様を分類した、いわば仏様の戸籍簿のようなものです。戸籍といえば、この制度が存在するのは日本と中国だけだそうで、プライバシーの問題など欠点もありますが、便利な制度です。最近は、役所に出向かなくても、コンビニや駅頭で戸籍関連の書類が手に入るようになり便利になりました。ネットワークと、個人認証の技術の発達が便利さを支えているのでしょう。戸籍と個人認証といえば、ある発展途上国で、国民の戸籍データを作るプロジェクトが立ち上がったのですが、二重登録をどうやって防ぐかが問題になったのだそうです。そこで、登場したのが、わが国の指紋認証技術で、戸籍の登録時に指紋も合わせて登録して二重登録を防止したのだそうです。わが国でも似たようなシステムが必要にならないのでしょうか。