世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

炭鉱が生んだ富をバックに飯塚/幸袋には嘉穂劇場や旧伊藤伝右衛門邸が残りました

2013-11-03 08:00:00 | 日本の町並み
 中国山地の山奥の宿場町に広大な敷地と美しい建物が残されていたのが智頭でした。中心となる石谷家住宅は、大庄屋から議員まで上り詰めた当主により現在の形となりましたが、筑豊炭田により巨万の富を得て婦人のために建てられた贅沢な邸宅が残されているのが飯塚市の幸袋です。今回は、この邸宅のある幸袋と飯塚市内の嘉穂劇場の周辺を紹介をします。

 
 
 
 飯塚市は、福岡県の中央あたり、鹿児島本線の小倉に近い折尾から筑豊本線で20kmほど南下した所にあります。江戸時代は長崎街道の宿場町として、近年は筑豊炭田の中心都市として栄えてきた町です。炭鉱王の伊藤伝右衛門邸がある幸袋は飯塚から本数の少ないバスで折尾方向に20分ほど戻った、筑豊本線とは遠賀川の対岸になる所です。再婚同士のお相手は白蓮のペンネームを持つ伯爵家の令嬢ので、この新しい奥様のために幸袋の本邸の増築だけでなく、別府に別邸まで作ったそうです。しかしこの結婚は、お金と家柄とが絡む政略結婚で、あまりに違いすぎる二人は10年で離婚してしまったそうです。そして残された旧伝右衛門邸ですが、大名屋敷を思わせる長屋門の中に贅沢の限りを尽くして建てられています。

 
 2階には白蓮の個室があって、けして本人以外の人間を入れなかったそうですが、その部屋から眺める広大な庭もお金がかかっていそうです。

 
 この、旧伊藤伝右衛門邸は、バス通りから直角に入った通りに面していますが、この通りに土蔵造りの家並みが少し残されています。旧長崎街道は、バスが走っている道路なのですが、こちらは新しい町並みだけで、旧街道の面影はありません。

 
 
 幸袋は飯塚市の中でも北のはずれに位置しますが、市の中心には大正時代創建の嘉穂劇場が残っています。現在の建物は昭和初期に再建されたものですが、なかなかレトロな味わいのある劇場です。炭鉱の華やかりし頃に炭鉱に従事する人たちや家族を観客に見込んで作られましたが、炭鉱の衰退と共に劇場も衰退して廃止寸前までになっていたそうです。最近は劇場の持つレトロな雰囲気と、全国座長大会が開かれるなどで、盛り返してきているそうです。このような劇場は、四国の内子座や熊本県山鹿の八千代座などがあって、人手による舞台装置が面白く、公演の無い時にはミニ博物館を含めて見学ができます。

 古い劇場を見学すると、いつも思う疑問があります。嘉穂劇場は大正期なので電灯は点いていたでしょうが、もっと古い劇場では蝋燭の明かりで上演していたはずで、客席から舞台が見えたのかしら?ギリシャ/ローマの劇場は屋外なので明るさは十分だったでしょうが、天井が無いので声が発散して、客席の後部まで届いたのだろうかとも思います。現在の劇場は、回り舞台などの電動化などに加えて、コンピュータ制御による音響や映像を加えることで演出の幅を広げるだけでなく、無線による連絡支援やネットのチケット販売などバックグラウンドでもIT技術は切り離せなくなってきているようです。ただ、舞台ではロボットだけではなく、生身の人間中心で演じて欲しいですが。