世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

谷中の町並みは、昔はどこにでもあった町並みですが、どこかほっとします

2013-04-14 08:00:00 | 日本の町並み
 町の中に数多くある古墳が世界遺産の暫定リストに登録されているのが藤井寺でしたが、暫定リストに載る対象は意外と多く13箇所にもなります。すべてが文化遺産の候補ですが、その中には世界遺産の登録では東京23区で初となる西洋美術館本館があります。今回は、西洋美術館のある上野そのものではなく、上野の山の裏手に当たる谷中一帯を紹介します。

 西洋美術館本館は、20世紀前半に活躍したフランスのル・コルビジェの設計になるものです。日本を含む6カ国、19箇所のコルビジェ作品がフランスによって登録申請されています。2011年の世界遺産会議では、登録延期となりましたが、推薦書を再提出の可能性もあるようです。世界遺産の中で、複数の国に跨るものは、大部分が2カ国ですが、例外的にシュトルーヴェの測地弧が10カ国に跨っています。ル・コルビジェの作品群が登録になれば、これに次ぐ例となり、一人の作者の登録としては、もっとも多くの国に跨るものとなります。

 さて、今回紹介する谷中ですが、谷根千(谷中、根津、千駄木)と言われる上野から日暮里の西に広がる町並みの一つで、最も山手線沿いの地域です。上野から散歩をスタートする場合は、西洋美術館の右に見て右折し、公園の突き当たりで左折して、博物館の前の通りを北西方向に進みます。東京芸大と通り抜けて、さらに進むと谷中霊園の南端に出ます。

 谷中霊園は、天王寺の寺域の一部だった所で、やはり天王寺のものだった五重塔のあった場所です。五重塔は、明治末期に当時の東京市に移管されましたが、戦後まもなく放火心中事件で焼失してしまいました。この五重塔は、谷中の塔と呼ばれ、幸田露伴の小説の題材にもなった塔です。戦災にも焼けずに済んだのですが、不倫の精算という放火が原因で貴重な文化財が滅失というのは、もったいない話です。現在、塔の立っていた場所には、塔の再建はなされず、基石だけが寂しげに残されています。

 
 
 
 この谷中霊園から、日暮里の駅にかけて昔風の町並みが続いています。竹箒が立てかけられた店、木製のサッシのガラス戸の内側に品物の並ぶ店、店先に床机が置かれたお菓子やさんなどなど。

 
初音小路という名前の、昔よく見たような商店街もありました。酒屋さんは、移築されて台東区下町風俗資料館の付帯施設として公開されているので、店の内部も見ることができます。

 
 
 さらには、朝倉文夫のかつてのアトリエを改装した朝倉彫塑館は、数多くの作品だけでなく、建物自体も見ごたえがあります。観音寺の塀は、通常の土塀に瓦を埋め込んだもので、高知東部の水切り瓦が幾層も重なったようにも見えます。普通の土壁より表情が豊かなように見えます。表情と言えば、閻魔大王と思しき怖い表情の石仏があるかと思うと、やさしい表情のお地蔵様も居るのが谷中でした。

 谷中の塔は、焼失した後、現在も再建されていませんが、寺の開基から300年たった現在に、初めて五重塔を建てたお寺があります。それは高松市の仏生山法然寺の五重塔で、木造の従来工法によるものです。過去に建てられた五重塔を解析をして、美しくて頑丈な塔に仕立て上げたそうです。ただ、純粋に木造の技術だけではなく、各部に補強の金属材が使われたようです。地震や台風でも倒壊しないよう、綿密な構造計算に基づく結果なのでしょう。建築の構造計算には早くからコンピュータが使われ、大型コンピュータの共同利用のユーザには建築会社も多かったようです。ただ、法隆寺や興福寺などの五重塔はすべて木製で、コンピュータも存在しない頃に建てられ、何百年も地震や台風に遭いながら、びくともしていないんですね。