世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

レトロな町並みの続く倉吉の中心部には綺麗なトイレもたくさんありました

2010-03-21 08:00:00 | 日本の町並み
 上総掘りの自噴井戸が町中にたくさんある久留里は、15世紀の中ごろには里見氏の上総における拠点でもありました。里見氏は、その後の北条攻めに遅れたことなどを理由に上総を追われ安房に一国に押し込まれましたが、江戸初期に倉吉に転封されてしまいました。今回は、南総里見八犬伝のモデルとなった里見氏と家臣の八賢士が葬られたお寺もあり、房総半島と縁がある倉吉を紹介します。

 倉吉市は、鳥取県のほぼ中央に位置していますが、内陸の都市でJRの山陰線の倉吉駅は市の中心部から遠く北に離れています。駅から中心部へはバスでの移動になりますが、1985年までは倉吉線という支線が中心部を通っていました。さらに、その倉吉線に倉吉駅があり、現在の倉吉駅は上井と名乗っていたそうです。

 さて、南総里見八犬伝ですが、南総といえば当然千葉県ですが、モデルとなる八賢士は、安房の国からはるか離れた倉吉に転封され失意のうちに29歳で他界した藩主の里見忠義とともに殉死した家臣の8人です。この8人の戒名に賢の字が付けられたことから八賢士と呼ばれ、滝沢馬琴が里見忠義と八賢士をモデルとして壮大な歴史ドラマを書き上げたものが「南総里見八犬伝」なのです。

大岳院には、忠義と八賢氏が葬られた墓があり、賢(けん)の字の付いた位牌が保存されているそうです。ちなみに、小説に出てくる八人の若者は八犬士で、戒名ではなく苗字に犬(けん)の文字を持ち、それぞれ仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字が書かれた数珠の玉を持っていて、運命の糸に引かれて里見家に集結することになっています。

 この大岳院の西側に玉川沿いに白壁の土蔵造りや格子の美しい町並みが続いています。大岳院に近い研屋町のところで玉川が斜めに折れ曲がっている先に、白壁に赤い石洲瓦で葺かれた家並みの風景は絵になるので倉吉の紹介写真としてよく使われるアングルのようです。
 
ここから玉川に着かず離れずで西に向かって歩いてゆくと、白壁の造り酒屋や、醤油を醸造して販売しているお店の格子があり、さらには蔵を改造したギャラリーと蕎麦屋を兼ねたお店がありと、古い家並みが現役の店舗などで生かされています。
  
この家並みの中に、お寺や神社がぽつぽつと散らばっているという感じです。ただ、玉川の南に平行する商店街の中には、シャッターを降ろしたお店も多く、町の顔を寂しくしていました。

 他の古い町並みが保存されている町には無いものが倉吉にはあります。それは、美観公衆トイレなのです。グッドトイレのコンクールで日本一を獲得したといれなど、20箇所ほどの美観トイレが、白壁の町に点在しています。

内部は清潔に掃除が行き届いていることは言うまでも無く、その外観が町の風景に溶け込んでいて、遠くから見ると白壁の民家のように見えるものもあります。この公衆トイレをテーマにして倉吉を訪れる観光客もあるとのことです。

 八犬士が持ち八種類の文字が浮かぶという玉は、お互いが近づくと感応して、お互いの存在を知らせるとのことです。まるで、Suicaなどの非接触ICカードのようですが、この玉にもICチップが埋め込まれていたのでしょうか。Suicaでは数ミリの距離でしか反応しませんが、八犬士の玉は随分と感度が良かったようです。いろいろなものにICチップを埋め込んで、埋め込まれたものを追跡したり、本物であることの証明などの分野への応用が進みつつあります。八犬士のように持ち物や、せいぜい痣(あざ)程度ならばいいのですが、身体にICチップを埋め込まれることは、後免こうむりたいです。