世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

忘れ去られたために、かえって茅葺屋根の集落が保存されて観光地になってしまった大内宿

2009-08-23 09:59:27 | 日本の町並み
 数多くの茅葺の集落が、京都市内からほんの30kmほどの距離にあるのが美山集落でしたが、現存する茅葺の民家の数では日本一と言われているところが大内宿です。かつては宿場町として繁栄したのですが、人の流れが変わり、人々の意識からも忘れ去られて、まるで冷凍保存されたかのような形で残され、重要伝統的建物保存地区になった集落だといわれています。

 大内宿は、福島県の南部の山の中、下郷町にあります。西若松から南に伸びる会津鉄道で20kmほど行った湯野上温泉駅から、携帯が圏外になるような山道を5kmほど走ったところにあります。首都圏から行く場合は、会津鉄道につながる、東武鬼怒川線、野岩鉄道と3社の鉄道を縦断することになります。このため公共輸送機関でアクセスするには、かなり無理があり、マイカーやツアーバスで訪れる人々が多いようです。行き止まりに状態に近い大内宿への道路は、春秋の観光シーズンの休日には大渋滞になり、いつ着くか解らない状態です。

 大内宿は、江戸時代に日光今市から会津に通じる下野街道の宿場町として栄えた歴史を持ちます。下野街道は、会津西街道とも呼ばれ、江戸時代には江戸と会津以遠とを結び、参勤交代の通路としても重要な街道の一つだったようです。現在は、人や物の流れが郡山経由となり、人の往来もほとんど無い忘れ去られたような過疎の山村になってしまいました。取り残されたような状態が、結果的に数多くの茅葺の民家を冷凍保存のような状態で残すことになり、昭和56年に宿場町としては3番目の重要伝統的建物保存地区に指定されることで、観光地として見直されるようになりました。茅葺の民家も近代化のあおりを受けて、トタン葺にされたり、アルミサッシが入ったりと変化を見せ始めたそうですが、茅葺の集落が財産ということに気づいた方が、保存運動に乗り出され一部トタン葺に変わっていた屋根を茅葺に戻されたそうです。

 集落は、400m程度の電柱の無い砂利道に沿って、妻入りの茅葺民家が並んでいます。道の端には小さな水路があって、清冽な水が流れています。どぶ川は論外ですが、街道の風景のなかの小さな流れは重要なアクセントです。流れのそばには、決まったように四季の花々が植えられているのもいいですね。

ただ、たいした産業もなく、農産物もよくは取れない集落ゆえ、やむをえないことなのでしょうが、ほぼすべての茅葺民家が食べ物屋かお土産屋になってしまっているのは、ちょっと寂しい感じがします。砂利道の突き当たりの小高い丘の神社に上ると、集落の様子が良くわかります。

妻側を道路に接して、奥行きの深い建物の屋根が上に上にと重なって見えます。逆に、砂利道を南に集落を外れると、

水車があったり、

ススキの穂が太陽に輝いていたりで、集落とは違った風景が楽しめます。

 携帯電話では、サービスエリアの広さを表すのに、人口カバー率という表現が良く使われます。100%近い数字で、何処でも使えるように宣伝しているようですが、大変な誤解を生む宣伝なのです。この人口カバー率という数字は、通話が可能なエリアに住む人口が、日本の総人口の何%になるかという定義なのです。決してエリアの広さの割合ではないのです。大都市など、人口の多いところさえカバーしておけば、限りなく100%に近くにでき、人の住んでいない山奥で通話できなくっても、ほとんど数字には表れません。実際に、通話可能エリアの地図を見てみると、山の多い日本の地形では、大都市圏でない海岸から離れた内陸では真っ白なところが目立ちます。それでも、衛星を使った携帯電話ならば、地球上に居る限り、何処に居ても通じてしまいます。ただ、電源を切って居留守を決め込むのが難しくなるかもしれませんが。