草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

醜の御楯と出で立つわれは 5首

2014年04月15日 | 短歌

気にかけし人ありしかな散り急ぐ桜の花のためらいなりし

亡き父の残せしものは予科練の桜に錨(いかり)七つボタンか

国難に奮い立ちたる大和なる醜の御楯と出で立つわれは

桜花愛でるにあらず青空に身を投げ出して花びらとなる

夜桜が遠つ祖の面影をたたえしことをいにしえ人は

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ロシアの力の前にウクライナは風前の灯だ!

2014年04月15日 | 国際問題

 ウクライナを見ても分かる通り、国際社会は無慈悲である。ロシアの影響力から離脱しようとしても、それはかなわず、ロシア系住民に紛れ込んだロシアの武装工作員によって、ウクライナの治安部隊は翻弄されている。そして、国境線にはロシア軍の大部隊が控えており、攻め込まれればあっという間に制圧されてしまうだろう。ロシアは口実を求めているのである。ウクライナ東部の官庁施設などを占拠しているロシア系住民を退去させるために、ウクライナの治安部隊が本格的な行動を起こすのを。そうなれば自分たちの同胞が攻撃されたことになり、その生命を守ることを口実にすればいいのだ。これに対してアメリカは、あまりにも愚かである。国際連合の場でいくらロシアを批判しても始まらず、ウクライナを支持する多国籍軍を展開させるなどして、これから起きる悲劇を阻止すべきだ。中共を味方に付けようとするのも、とんでもない見当違いである。ロシアはウクライナの独立を最初から認めたくはなかった。東欧が次々と欧米の勢力圏に組み込まれているのを容認したとしても、ウクライナだけは別であった。今回のことは事前に予想されたことなのである。何も驚くことではない。これからウクライナは大きく東西に分裂するか、さもなければロシアに呑みこまれるだろう。名目はロシア系住民の保護なのである。悲しいかな米国は、当初から軍事的な手段を放棄している。米ロが全面対決することを恐れているのだ。それは中共との間でも同じである。尖閣諸島が侵略される危機が高まっているのは、オバマ政権の弱腰のせいなのである。

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日本人を悪者にするために手段を選ばぬマスコミを嗤う!

2014年04月14日 | 祖国日本を救う運動

 日本人を悪者にするために、日本人が血眼になって何かを探している。まさしく自虐そのものではないか。それは『アンネの日記』の関連図書を破いたことであったり、四国八十八ヶ所から朝鮮人を締め出そうとした張り紙であったり、次から次へと出てくる。あれだけ大騒ぎした『アンネの日記』に関しては、もう過去の出来事になりつつある。行動する保守を犯罪者に仕立て上げようとした目論見は、あっけなく潰えたのである。張り紙の件にしても、あまりにも一方的だ。張り紙をした側の言い分も聞くべきだろう。驚くなかれ違法なハングル文字のステッカーが6000枚も張られていたというのだ。公共施設も含めてベタベタ張ったのである。マスコミはそのことを伝えず、あくまでも「民族差別」ということを問題にした。しかし、世界中のどこに、自分の国の国民を悪者にして喜ぶマスコミがあるだろうか。これでは日本の未来は絶望的である。枚数の問題ではなく、違法性の点では両方とも一緒である。にもかかわらず、韓国朝鮮人はお咎めがないのでは、由々しき事態ではないだろうか。そうでなくても、今の韓国政府の日本バッシングは異常である。韓国に加勢するのではなく、事実を事実として伝えるのが日本のマスコミだろう。ネットだけが日本国民のことを考えて、反論に努めているのは健気ですらある。ウクライナを見るがいい。ようやく手にした自由が今まさに奪われようとしているのだ。それは日本だって同じである。自分たちの民族や国家を否定すれば、それ相応の報いを受けるのである。日本人は極端な排外主義とは無縁な国民性である。それを知っていながらレッテル貼りをするのは、日本を滅ぼしたいのだろう。

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集団的自衛権の行使容認を国内に限定して早期の閣議決定を!

2014年04月14日 | 安全保障

 いよいよ集団的自衛権の行使容認をめぐる動きが加速してきた。落とし所は「他国領域での行使は禁止する」になるのだろう。自民党の岩屋毅安全保障調査会長が昨日のNHKの番組で語ったもので、それだと今の憲法にも抵触しないですむ。目の前に迫っているのは、中共帝国主義の日本侵略である。それを阻止するには、米軍との共同行動は絶対条件である。そうでなくても米国は、中立的なことを平気で口にしている。日米安保条約にもとづき、米国に縛りをかける意味でも、ここは安倍政権が決断をしなくてはならないのである。非常時に近い状態になっているにもかかわらず、これまで通りのお花畑ではいられないのだ。民主党もこれであれば反対はできないはずだ。米国が同盟国としてどこまで日本を遇してくれるか、日本人は半信半疑でいる。まずはこちらからやるべきことを行なって、それから米国の反応をみるしかない。中共帝国主義が明日にでも尖閣諸島に攻めてくる可能性がある。戦後の日本の歩みは、安全保障上は米国に大きく依存してきた。その根幹となっていたのが憲法であり、日米安保条約であった。この二つはセットであったのだ。日本の交戦権を否定することは、あくまでも米軍のプレゼンスが条件であった。米軍の力が弱まりつつある現在、日本が身構えるしかないのである。それをためらうことは国家の存亡にかかわる。状況が大きく変わってきていることに、日本人は気付くべきだろう。

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ウクライナの内戦は尖閣に飛び火する 5首

2014年04月13日 | 短歌

米国がウクライナ見殺しに尖閣もまた危機迎えし

尖閣に五星紅旗翻る力の世界許すべからず

ウクライナ東部の激しき銃声は力示さぬオバマの敗北

日本を見放すつもりか米国は最後の頼み自衛隊なり

武装せる者たちの前立たずして何の非武装口先だけよ

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お花畑の平和主義者は帝国主義国家中共を利するだけだ!

2014年04月13日 | 安全保障

 自由と平和を守るには、それ相応の努力が要るのである。憲法9条を口にすれば侵略してこない。まさしく神がかりではないか。私が何度も書いているように、中共は確実に尖閣諸島に攻めて来るし、沖縄すらもコントロール下に置こうとするだろう。その現実が一方ではあるのに、神奈川の市民団体が「憲法9条」をノーベル平和賞の候補にしようとして、インターネットで2万4千人の署名を集めノーベル委員会に推薦状を送ったところ、「受理した」とのメールが届いたという。今まさに中共に侵略されようとしているときに、身構えもせず、武装を放棄することは自殺行為に等しい。それを分かっているのだろうか。中共によるチベット人やウイグル人への弾圧、台湾も併合しようとする動きに対しては、中共の片棒を担いでいる韓国を除いては、アジアの国々はどこも批判的である。中共や韓国に媚び売るようなことをして、日本の自由と平和が守れるのだろうか。それは同時に、日夜日本の防衛にあたっている自衛隊員を罵倒するに等しい。思い起してみればいい。日本国憲法の制定にあたって、軍備の必要性を強く訴えたのは、当時の日本共産党であったことを。それが現在の9条を守る会なるものの中心なのである。戦争をなくすことは人類の悲願であり、それに向けた動きは進めて行かなくてはならないが、武力によって領土を拡大しようとする国家が存在する限り、私たち日本人も無防備であってはならないのだ。国を奪われた者たちの悲劇がインターネットで次々と流されている。憲法9条にこだわる人たちは、どうしてその現実を直視しないのだろう。

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新自由主義が日本を駄目にする 10句

2014年04月12日 | 川柳

大企業パートを使って胸張りし
つつましく暮らす文化が日本なり
勝つよりも負け組多し日本は
まともなる教育しない国になり
零細は借金返せず四苦八苦
大企業内部留保で富増やす
保守ならば民の暮らしに目を向けよ
安倍さんの瑞穂の国はどうなった
呆れ果て声なき声も脱政治
金持ちが威張りし国に未来なし

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家事や建設業への外国人の受け入れは日本の国柄を破壊する!

2014年04月12日 | 経済

 当面は安倍内閣を支持するしないが、あまりにも新自由主義に傾斜すれば対応を変えざるを得ない。とくに最近はそれが目に余る。去る4日の経済財政諮問会議や産業競争力会議の合同した会合で、家事などの分野や建設業での外国人労働者の受け入れを検討するように支持した。もしそれが本当だとすれば、安倍首相は新自由主義に屈服したことになる。しかも、女性を職場に進出させるために、家事を外国人に開放するというのは、言語道断である。子育てを外国人任せにする風潮になれば、親子の間柄は難しくなるし、それよりは家庭にいても仕事ができるようにすべきである。主婦としての役割を否定することは、それこそ日本の文化の否定にもつながりかねない。扶養控除の縮小や廃止の動きも、それと同じ流れであり、断じて認めるわけにはいかない。さらに、建設業の担い手を外国人労働者にすれば、結果的に中共の影響力が拡大し、ウクライナのように、道州制の名を借りて日本からの独立分離を主張する者も現れるだろう。日本は瑞穂の国の資本主義でなければならず、お互いが助け合う協同社会でなくてはならない。開国という美名のもとで、保守すべき日本の伝統や文化をないがしろにするようでは、安倍政権と対決するしかなくなる。それが国の安全保障にも影響するのであればなおさらである。

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日本が目指すべきは禁欲の精神を踏まえた協同社会だ!

2014年04月11日 | 思想家

 人が困っているときに手を差し伸べるのが保守である。助け合うことの大切さを自覚しているからだ。日本語で哲学を語った者たちとして、西田幾太郎を始めとする京都学派の著作に目を通すことができる。そのなかでも私がすぐに取り上げるのは、高山岩男である。小中学校の教師になろうとする若者に向って、懇切丁寧に説いた哲学は、私たちに考える材料を提供してくれる。とくに私が高山に魅了されるのは、助け合うことの意味を掘り下げた「協同主義の哲学」である。利益を追い求めるだけの結合社会ではなく、協同社会は「自己一身の私益を自ら制御する禁欲の精神を蔵している社会」である。禁欲を通った利益につて、高山は「単なる利益と言うものではなくて、福祉と言うべきものである」と定義する。そして、「福祉というときにはそこに既に道徳性が含まれている」と主張する。そこで持ち出されるのは、快楽と幸福との違いだ。「快楽の特徴はその反対の苦痛と共に、肉体的であり局所的であり、肉体が異なる以上は共感できないというところにある」のに対して、幸福はまったく別なのであり、「肉体的局所的のものではなく、他人と共感できるものである。幸福は家族全体が頒ち合うことができるし、不幸な民族全体がこれを味わい悲しむことができる。幸福はすなわち精神的なもの、協同的なものである」と解説している。その部分の文章だけでも、かなりの説得力がある。私たちが目指すべきは、結合社会ではなく協同社会なのである。

 

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私たちの子孫のために守り育てるべきは日本の国柄だ!

2014年04月11日 | 思想家

 なぜ日本派保守がサヨクや新自由主義と真っ向から対決するのか。それらの勢力は日本という国柄を否定するために、改革を至上命題としているからだ。日本派保守が改革そのものを拒否するわけではない。しかし、それは日本の国柄を守り育てるためでなければならない。今生きている者たちが、傲慢な決定を下すべきではないのである。そのことをとくに強調したのがエドモンド・バークであった。「国家や法を聖別するに当って則るべき第一重要の原理の一つは、それら国家や法を一時的乃至終身で所有している人々が、祖先から受け取ったものや本来子孫に属すべきものを忘れて、恰も自分達こそ完全な主人であるかの如く行為する、といったことがあってはならないということです。即ち、自らの社会の根源的な構造全体を恣意的に破壊し、それによって限嗣相続の制限を解除したり相続財産を浪費したりしても、それは自分達の権利の内なのだ、などと思わせてはならないということです。もしもそうしたことが行われれば、彼らは、後に続く者に対して、住まいとする所どころか廃墟を残すことになるでしょうし、彼らが自らの諸制度を殆ど尊重しなかったのと同じく、彼らの考案物もまた大した尊重しないように教えることになるでしょう」(『フランス革命の省察』・半澤孝麿訳)。人間の一生はたかだか知れている。にもかかわらず、その時々の風潮に流されて、尊い先人の知恵を顧みなくなれば、混乱をもたらすだけである。安倍政権が肝に銘じるべきはその一点であり、新自由主義とは距離を置くべきなのである。

 

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