福島第一原発事故収束のカギとなる汚染水浄化装置が、送電線のトラブルで連日のようにストップしている。大変なことになっているはずなのに、マスコミは国と東京電力の発表をそのまま伝えるだけで、国民はまったく蚊帳の外である。昨日は5時間、一昨日は16時間も動かなかった。民主党政権は順調だと胸を張るが、それを信用する国民はいないのではなかろうか。ここ2、3日は東風が吹いたこともあり、会津地方の放射線量も若干増えたような気がする。現在でも福島第一原発から放射性物質は漏れ続けているのだから、国は国民に真実を伝える責務がある。さらに、マスコミは、民主党政権の隠蔽体質を徹底して批判する必要がある。現状がどうなっているかについてのニュースは、あまりにもパターン化している。まずトラブルが起きたことに触れつつ、その影響がないことが強調される。さらに、目下、原因を調べており、今後改善を進める意向、という紋切り型報道がまかり通っているのだ。民主党政権の言っていることと、現実がまったく違うというのを、マスコミはどうして言わないのだろうか。原発事故発生時のことが、ようやく今になって判明しているように、2ヶ月3ヶ月後にならないと、真実が伝わってこないのでは、国民にとっては最悪だ。
福島県人というだけで、白眼視されるようなことになったのは、原発事故について、国がきちんとした対応をしなかったからだ。結婚がご破算になった人もいるとか。真実を知らせず、放射能物質で汚染された地域に人々を放置し、被曝させた責任は、一体誰がとるのだろう。市民団体の「被災地とともに日本の復興を考える会」が去る14日、原子炉規正法に違反しているというので、菅直人首相、清水孝東京電力前社長、枝野幸男官房長官、海江田万里経済産業大臣ら6人を、業務上過失傷害で刑事告発した。福島第一原発1号機で水素爆発が起きたのは、ベント作業を速やかに行わなかったからだ、というのが理由である。菅首相の視察のせいでベントが遅れ、それによって最悪の事態になったというのだ。法律にのっとって、白黒をはっきりさせようというのは、私も大賛成である。やるべきことを怠ったことが問題であり、それを正面から取り上げた勇気には、頭が下がってならない。民主党政権は自分たちの不手際を隠蔽するのに必死なあまり、情報を公開することを避けてきた。国会であれば、あやふやな答弁でも通用するだろうが、刑事告発をされたわけだから、菅首相らは正直に語るべきだろう。行政をチェックする観点からも、司法の場で争うというのは、大きな意味があるのではないか。
それでは農民を守ることにはならないのではないか。国と東京電力に全頭検査と買い上げをさせるべきであるのに、福島県のやっていることは、国の思う壺ではなかろうか。どうして全面補償を求めないのだろう。福島産肉牛の信用はガタ落ちだし、もとの状態に戻るのは、当面はほぼ不可能だ。にもかかわらず、どうして7月中に国の出荷停止を解除してもらうことにこだわるのだろう。消費者から信用してもらうには、安全であることを立証する責任がある。それをした上で、解除の期日を決めるのが筋であり、本末転倒もはなはだしい。さらに、福島県は、福島市や郡山市でと母と子が続々と自主避難していることに危機感を抱き、県外のNPOなどによる善意の避難先提供に、横槍を入れているようだが、どうしてそういうことをするのだろう。1時間あたり1マイクロシーベルトを超える地域に、子供を生活させることの方が問題ではないか。消費者や幼い者の命を守ることこそが、最優先されるべきだ。3月11日から月日はどんどん経過しているが、民主党政権のせいで無政府状態が続いている。福島県の対応もメチャクチャだ。国や東京電力ばかりでなく、福島県に対しても、福島県民は怒りの矛先を向けるべきだろう。
会津地方の目立つ場所に、この日の丸をあしらったノボリがはためいており、「福島の心を一つに」「がんばってます会津」というキャッチフレーズが書かれている。会津地区商工会がつくったもので、会津地方の町村の商店街であれば、そののぼりがひるがえっている。放射線を吹き飛ばそうと、神風を起こそうと、会津人は一丸となって取り組んでいるのだ。会津は賊軍にあらず、という尊皇の心意気は、今なお天を突くものがある。会津地方も低線量の被曝地帯として、大地や農産物が危機にさらされているが、めげることなく頑張っているのだ。会津坂下町などは、メインストリートに軒並み掲げられている。郷土を愛し、国を愛することにかけては、会津地方はどこにも引けを取らないのである。とくに今日あたりは台風の影響で、風でもみくちゃになっていたが、日の丸を見て私は目頭が熱くなってしまった。「がんばろう」というのと違って 「がんばってます会津」という言葉にも好感が持てた。他人事ではなく、率先垂範を旨とするのである。会津人らしいではなかろうか。どんな逆境にあっても、音を上げないのが会津人なのだから。
いかに日本の政治的最高指導者であっても、国柄を破壊し、さらに国を売り渡すようであれば、断固裁かれるべきだろう。菅直人首相の政治資金管理団体が、よど号ハイジャック犯のリーダーであった、田宮高麿の息子が所属し、北朝鮮の息がかかっていると思われる政治団体に、平成19年から21年にかけて6250万も献金していたのは、前代未聞のことだ。日本の公安警備当局も、国民の前にその全貌を明らかにすべきだろう。田宮が所属していた赤軍派の関係者の口からは、昭和45年のハイジャック事件のすぐ後から、ヨーロッパに行けば田宮らのグループと接触できる、ということが公然と語られていた。世界同時革命に向けた国際根拠地として、北朝鮮を利用しようとしたわけだから、赤軍派兵士の獲得に躍起になっていたのだ。日本人拉致事件に彼らが関与する伏線は、早い段階からあったといえる。しかし、スターリニスト国家が彼らの夢物語に協力するはずもなく、田宮は北朝鮮当局と衝突し、平成7年に粛清されたともいわれている。北朝鮮流の教育を受け、それから日本にやってきたその息子が、北朝鮮の走狗となっているのは、朝鮮総連との深いつながりからも、容易に想像がつく。菅首相は日本にスパイ防止法があれば、即刻逮捕される人間ではなかろうか。そんな政治家の言動など、誰が一体信用するだろうか。
放射性セシウムの稲藁汚染は、新潟県や岩手県まで拡大してしまった。当初は福島県の農家が槍玉に上がったが、そんなレベルではなかった。岩手県でも稲藁を調査したところ、放射性セシウムが暫定許容量を超える値を記録したという。手の打ちようがあったはずなのに、国の対応があまりにも後手に回っており、東北の穀倉地帯が軒並み危機にさらされている。8月には会津坂下町の超早場米「瑞穂黄金」の刈り取りが始まる。そのときの検査で放射性セシウムが暫定許容量を上回ることがあれば、会津の米作は壊滅的な打撃を受けるだろう。それを考えると、目の前が真っ暗になる。古代において湿地地帯であった会津は、早くから米作が行われていた。高温多湿のせいで、滅多に冷害に見舞われることもなかった。しかし、3月11日の原発事故で、桃源郷から被曝地帯に一変した。致命傷となったのが、肉牛の全面的な出荷停止であった。そこに追い打ちをかけるように、米まで汚染されてしまえば、二度と立ち上がれなくなるだろう。いつもと変わらず、今日も会津の農民は黙々と働いている。少し不安があっても、間違っても出荷停止になるとは思っていない。来月になれば白黒の決着がつくだけに、今はただ祈るしかない。
日本人の歩みのなかで、今回の原発事故ほど悲惨なものはなかったろう。慣れ親しんだ故郷を追われ、いつ戻れるかもしれない、流浪の旅に追い立てられる。先祖の墓に詣でることができない、荒涼たる死の灰の地に、一瞬で変貌したのだ。御魂を鎮めるすべがなくなれば、死者は悪霊となってさまようしかなくなる。それを痛ましいこととして、嘆き悲しんだのが、柳田国男であった。原子力発電に私が異議を唱えるのは、ほんのささいな過ちによって、死者と生者との絆が失われることへの怒りだ。福島県の東半分は、もはや人が住むには困難な地域になった。残りの西半分の会津地方でも、第一次産業が壊滅的な打撃を受け、低線量被曝は今も続いている。福島県はフクシマと呼ばれ、原子力の負の代名詞となったのだ。保守民族派は、サヨクのように、これから訪れるであろう未来が、バラ色のものだとは考えていない。だからこそ、進歩史観に背を向けるのであり、経済優先主義にも与しないのである。「国家の倫理という、肇国の根元に於いては、一切の商人的破廉恥を拒まねばならぬのである。日本が国家として恥辱を知り倫理を失わない限り、恐らく日本は不朽であろう」(『近代の終焉』)と言い切った、保田與重郎の反近代の思想こそが、私たちの立場なのだから。
福島県の農家を悪者に仕立て、自分たちは逃げ切れると思っていたのだろうが、そんなわけにはいかない。昨日は新潟県長岡市の農家でも、暫定基準を超える放射性セシウムが宮城県産の稲藁から検出された。農林水産省が3月19日、稲藁管理の通知を出していたとしても、それが周知徹底していなかったことで、各地に汚染された牛が出荷され、日本の食の安全が危機に瀕している。今回のような危機的な状況下では、通達一つにしても、守られているかどうか、検証するのがあたりまえだ。しかし、今考えてみると、危機意識に乏しい民主党政権は、風評被害にばかりに気を取られ、実害になることを阻止するための、万全の策を講じなかった。いつもの通りに、役人に責任を転嫁するのが菅直人首相の手口だが、政治主導のかけ声も、スローガン倒れであり、民主党政権の隠蔽体質が引き起こした人災によって、日本の国家システムが根本から揺らいでいるのだ。原発事故が発生した段階で、福島第一原発から100キロから200キロ圏内は、食べ物について要注意地帯にすべきだった。それを行わなかったのは、民主党政権が補償金を払いたくなかったからだろう。口では国民目線と言っても、内心は国民の命などどうでもよいのだ。