草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

辛らつな論評をする保守派ネットが日本のギークだ!

2011年07月26日 | 思想家

 団塊の世代の後塵を拝した世代だけに、私はもうロートルであるが、ネットを通じて多くのことを学んだ。公文俊平が『情報社会学序説』で述べているように、1950年から1985年までは、高度な教育を受けたテクノクラートが日本を引っ張り、それに挑戦するかのように、対抗智民としてのハッカーが出現した。その二つは表向きは張り合ってはいても、その出自においては一緒であった。いずれも、東京大学を中心とする知的ヒーラルヒーに属していたからだ。ハッカーからは、クラッカーと呼ばれる犯罪者も出るなど、物騒な面もあったが、あくまでも少数派であった。奇をてらったようなポストモダンも、いくら深刻ぶっても、単なる仇花でしかなかった。それが一変したのは、ギークの台頭である。1975年から始まり、それが今も続いている。サーカスの最下級の芸人を指す言葉が、いつの間にやら尊称として用いられるようになった。ギークは頭が良く、個性的ではあるが、アウトサイダーに徹し、権威には懐疑的である。戦後の日本においては、知的選良としてのサヨクが、テクノクラートやハッカーになったこともあり、大部分はシニカルな保守派に属する。ありきたりの言説に振り回されることなく、辛らつなユーモアを駆使するのが特徴だ。保守派がネットで力を持っているのは、ギークとして本領を発揮しているからだろう。  

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危機を乗り切る統治スタイルとなじまぬ民主党政治

2011年07月26日 | 思想家

 国家が危急存亡に直面した場合には、民主的な統治スタイルを停止してでも、危機を乗り切るべきであるのは、いうまでもない。そこでためらってしまったのでは、取り返しが付かなくなるからだ。時を失っては、それこそ万事休すだ。民主党政権が福島第一原発の事故対応で失敗したのは、リーダーシップを発揮して、果敢に決断しなかったためだ。高山岩男は消火活動に置き換えて、非常緊急時における政治では、何が一番大事かを教えてくれた。「消火に際して全員がホースを握って自由勝手に動いていては有効な消火活動にはなるまい。状況の全般を見渡しているものが1人いて、火勢の弱まった所から火勢の盛んな所に人を動かすというふうに全般を指揮する。このような指揮者がおり、その統率命令に全員が服従することによって、ここに始めて効果的な消火活動がなされる」(『教育哲学』)。私もその通りだと思う。高山は得意の呼応の論理にもとづき、非情緊急に対応する合理的な行動秩序として位置づけたのだ。ただし、その場合にも、政治的指導者は腹が据わっていなければならない。言うことがコロコロ変わる朝令暮改であってはならないのだ。菅直人首相や民主党政権が最悪なのは、右往左往するだけで、揺るぎなき信念がないことだ。  

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