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草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

肉牛に続いて米も駄目なら会津農業は壊滅だ!

2011年07月20日 | 災害

 放射性セシウムの稲藁汚染は、新潟県や岩手県まで拡大してしまった。当初は福島県の農家が槍玉に上がったが、そんなレベルではなかった。岩手県でも稲藁を調査したところ、放射性セシウムが暫定許容量を超える値を記録したという。手の打ちようがあったはずなのに、国の対応があまりにも後手に回っており、東北の穀倉地帯が軒並み危機にさらされている。8月には会津坂下町の超早場米「瑞穂黄金」の刈り取りが始まる。そのときの検査で放射性セシウムが暫定許容量を上回ることがあれば、会津の米作は壊滅的な打撃を受けるだろう。それを考えると、目の前が真っ暗になる。古代において湿地地帯であった会津は、早くから米作が行われていた。高温多湿のせいで、滅多に冷害に見舞われることもなかった。しかし、3月11日の原発事故で、桃源郷から被曝地帯に一変した。致命傷となったのが、肉牛の全面的な出荷停止であった。そこに追い打ちをかけるように、米まで汚染されてしまえば、二度と立ち上がれなくなるだろう。いつもと変わらず、今日も会津の農民は黙々と働いている。少し不安があっても、間違っても出荷停止になるとは思っていない。来月になれば白黒の決着がつくだけに、今はただ祈るしかない。  

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原発事故によって失われた死者と生者の絆

2011年07月20日 | 思想家

 日本人の歩みのなかで、今回の原発事故ほど悲惨なものはなかったろう。慣れ親しんだ故郷を追われ、いつ戻れるかもしれない、流浪の旅に追い立てられる。先祖の墓に詣でることができない、荒涼たる死の灰の地に、一瞬で変貌したのだ。御魂を鎮めるすべがなくなれば、死者は悪霊となってさまようしかなくなる。それを痛ましいこととして、嘆き悲しんだのが、柳田国男であった。原子力発電に私が異議を唱えるのは、ほんのささいな過ちによって、死者と生者との絆が失われることへの怒りだ。福島県の東半分は、もはや人が住むには困難な地域になった。残りの西半分の会津地方でも、第一次産業が壊滅的な打撃を受け、低線量被曝は今も続いている。福島県はフクシマと呼ばれ、原子力の負の代名詞となったのだ。保守民族派は、サヨクのように、これから訪れるであろう未来が、バラ色のものだとは考えていない。だからこそ、進歩史観に背を向けるのであり、経済優先主義にも与しないのである。「国家の倫理という、肇国の根元に於いては、一切の商人的破廉恥を拒まねばならぬのである。日本が国家として恥辱を知り倫理を失わない限り、恐らく日本は不朽であろう」(『近代の終焉』)と言い切った、保田與重郎の反近代の思想こそが、私たちの立場なのだから。  

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