草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

NHKにも見放されつつある民主党政権を嗤う

2011年07月27日 | マスコミ評

 民主党政権の嘘に付き合わされる国民も哀れだが、マスコミもそれのたれ流しでは、もはや存在意義がゼロである。それでも、ここにきて少しはまともになってきたのがNHKだ。福島第一原発についてのニュースを絶えず流しており、いくら紋切り型であっても、それによって、現状をうかがい知ることができるからだ。今日の東京電力の動きとしては「最も多くの汚染水が発生している3号機で、発生源となっている核燃料を冷やす水を減らす方法を探るため、ロボットを使った調査を始めました」と伝えている。3号機の建屋に人を入れるための準備なのだろうが、冷却システムでトラブルが相次いでいることから、このところ足踏み状態が続いている。放射線被曝の対策の方も、民主党政権はこれまたお粗末である。NHKも今日の朝のラジオで批判的に取り上げていたが、放射線の影響に関して、内閣府の食品安全委員会がまとめた答申案では、食品と外部被曝を含めて「健康に影響が見出されるのは、生涯の累積で100ミリシーベルト以上」と述べているだけで、子供のことも触れておらず、まったく具体性が乏しい。菅直人首相は、福島第一原発は危機を脱したかのようなことを口にしているが、それが真っ赤な嘘であることを、多くの国民は知ってしまったのであり、NHKだってもはや、お先棒を担げなくなっているのだ。

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辛らつな論評をする保守派ネットが日本のギークだ!

2011年07月26日 | 思想家

 団塊の世代の後塵を拝した世代だけに、私はもうロートルであるが、ネットを通じて多くのことを学んだ。公文俊平が『情報社会学序説』で述べているように、1950年から1985年までは、高度な教育を受けたテクノクラートが日本を引っ張り、それに挑戦するかのように、対抗智民としてのハッカーが出現した。その二つは表向きは張り合ってはいても、その出自においては一緒であった。いずれも、東京大学を中心とする知的ヒーラルヒーに属していたからだ。ハッカーからは、クラッカーと呼ばれる犯罪者も出るなど、物騒な面もあったが、あくまでも少数派であった。奇をてらったようなポストモダンも、いくら深刻ぶっても、単なる仇花でしかなかった。それが一変したのは、ギークの台頭である。1975年から始まり、それが今も続いている。サーカスの最下級の芸人を指す言葉が、いつの間にやら尊称として用いられるようになった。ギークは頭が良く、個性的ではあるが、アウトサイダーに徹し、権威には懐疑的である。戦後の日本においては、知的選良としてのサヨクが、テクノクラートやハッカーになったこともあり、大部分はシニカルな保守派に属する。ありきたりの言説に振り回されることなく、辛らつなユーモアを駆使するのが特徴だ。保守派がネットで力を持っているのは、ギークとして本領を発揮しているからだろう。  

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危機を乗り切る統治スタイルとなじまぬ民主党政治

2011年07月26日 | 思想家

 国家が危急存亡に直面した場合には、民主的な統治スタイルを停止してでも、危機を乗り切るべきであるのは、いうまでもない。そこでためらってしまったのでは、取り返しが付かなくなるからだ。時を失っては、それこそ万事休すだ。民主党政権が福島第一原発の事故対応で失敗したのは、リーダーシップを発揮して、果敢に決断しなかったためだ。高山岩男は消火活動に置き換えて、非常緊急時における政治では、何が一番大事かを教えてくれた。「消火に際して全員がホースを握って自由勝手に動いていては有効な消火活動にはなるまい。状況の全般を見渡しているものが1人いて、火勢の弱まった所から火勢の盛んな所に人を動かすというふうに全般を指揮する。このような指揮者がおり、その統率命令に全員が服従することによって、ここに始めて効果的な消火活動がなされる」(『教育哲学』)。私もその通りだと思う。高山は得意の呼応の論理にもとづき、非情緊急に対応する合理的な行動秩序として位置づけたのだ。ただし、その場合にも、政治的指導者は腹が据わっていなければならない。言うことがコロコロ変わる朝令暮改であってはならないのだ。菅直人首相や民主党政権が最悪なのは、右往左往するだけで、揺るぎなき信念がないことだ。  

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テロをやりかねない外国勢力への警戒を怠るな!

2011年07月25日 | 安全保障

 福島第一原発の処理で手一杯なのが、今の日本である。その隙に乗じての、テロリストによる破壊工作を警戒すべきだろう。当面動いている原発の警備は、自衛隊が受け持つべきだ。戦車を配備することも必要だし、そこで働く人の身元の確認も大事だ。テロリストが紛れこめば、収束がどんどん遠のいてしまうからだ。自衛隊はこの4ヶ月でかなり消耗していると思われるが、日本を取り巻く環境も一段と厳しいものがある。中共や北朝鮮という国家は、国内での反政府活動が活発化すると、決まって国民の目を外に向けさせようとする。中共の戦闘機が台湾海峡の中間線を越えて、台湾側の領空を侵犯したのは、先月28日のことだ。中共とベトナムとの関係もキナ臭くなっている。台湾やベトナムは戦争に備えているが、一番腑抜けなのが日本である。中共や北朝鮮を平和愛好国家だと思っており、国を守る気概に欠けている。サヨクの民主党政権が誕生してからは、なおさらだ。鳩山由紀夫前首相にいたっては、東アジア共同体構想をぶちあげ、中共と急接近を図ろうとまでした。国民の支持を失っているくせに、日本の解体を強引に進めている。そのせいもあって、テロをやりかねない外国勢力も勢いづいている。警戒心を少しでも怠れば、それこそ日本は滅びるだけだ。

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国県に頼らずに独自に年間被曝限度を定めた川口市

2011年07月25日 | 健康

 国や県が放射線量の暫定基準値を示さないために、会津地方の各市町村でも大混乱である。緊急情報を知らせるチラシのなかで、放射線測定結果を紹介しながら、安全を強調したいがために、「いずれも国の暫定基準値を下回っており、健康に影響を及ぼす値ではありません」と書くところも出てくる始末だ。いうまでもなく、国は大気中の放射線量の暫定基準を今もって示していない。それに業を煮やした埼玉県川口市は、先月20日、全国に先駆けて、独自に年間被曝限度を1・64ミリシーベルトとする暫定基準値を定めた。もはや国や県に頼っていてはどうにもならないので、市町村レベルで対応するしかなくなっているのだ。川口市の決断に、私たちも学ぶべきだろう。それを目標にして、危険な箇所の除染などを行えれば、達成することも難しくはないはずだ。子供たちの健康を考えれば、せいぜいその数字が限度なのである。これまで会津地方は風評被害だといわれてきたが、次々と実害が出てきている。国や県のいうことに従っていれば、結局は泣きを見るだけだ。後になって騒がなくてもすむように、それぞれの市町村で暫定基準値を決め、自分たちで防衛するしか手はないのだから。  

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トラブル続きなのに安定冷却達成とはこれいかに?

2011年07月25日 | 災害

 この場に及んでも、東京電力に丸投げしている民主党政権のせいで、福島第一原発がどうなっているかについて、まともな説明は何一つ聞こえてこない。放射性物質で汚染された水を浄化し、それを原子炉の冷却に利用するシステムが、予定通りに動いていないということだけで、今後どうなるかは、国民にはまったく見当がつかない。NHKも「原子炉冷却不安定続く」と今日のニュースで流しているが、締めくくりに「東京電力は原子炉を冷却する重要なシステム全体で不安定な状況が続いていることから、設備の監視を強化した上で原因を調べています」というように、いつもながらの紋切り型の報道である。去る19日に民主党政権が勝手にステップワンを達成したと発表したことで、安定的に冷却するシステムができたと思っている国民もいるに違いない。しかし、現実はそうではない。国営放送そのものであるNHKですら、いくら紋切り型であっても、連日のトラブルを取り上げざるを得なくなっているからだ。「浄化設備の稼働率の低迷続く」「汚染水処理東電が対策検討」「汚染水浄化設備配管を調査へ」。民主党政権は、あくまでも東電のせいにしたいわけだから、われ関せずの立場を貫いているが、そんなことでどうして国民の命が守れるだろう。

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人を大勢殺めても死を選ばないのがキリスト教だ!

2011年07月24日 | 思想家

 三島由紀夫の『奔馬』に登場する飯沼勲のように、テロで人を殺めれば、自らも死を選択すべきである。無差別に近い殺戮を実行するというのも、日本人の美意識からすれば、そぐわないものがある。ノルウェーで起きた連続テロの実行犯と日本人は、そもそも文化土壌が違っているのではないか。1960年10月12日、日比谷公会堂で、演説中の浅沼稲次郎社会党委員長を刺殺した山口二矢は、翌月2日に練馬の少年鑑別所で縊死している。17歳の少年であったが、そこまでの覚悟ができていたのだ。それと比べると、今回の犯人は、キリスト教原理主義者といわれていることもあり、神に逆らうような自殺は、最初から考えていなかったのだろう。裁判の場で自らの主張を述べるつもりのようだ。日本人のテロリズムの祖型として、よく取り上げられるのに、明治9年の神風連の乱がある。あくまでも神慮によっての行動であり、人間の意思が介在する余地はなかった。神頼みであったために、建設よりも破壊が優先され、テロに駆り立てた純粋性に目が向けられた。それだけに、おめおめと生き残るのを、もっとも恐れたのだった。政治に暴力が付き物ではあるが、人を大勢殺めながら生きているという神経は、どうしても私には理解できない。  

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会津の古刹北山薬師と大正寺 5首

2011年07月24日 | 短歌

 開基せし徳一の名伝えしは二つ児参り今も途絶えず  

 徳一が植えしイチョウの大木の葉を焼酎に血がさらさらに  

 鹿もいて会津の里の奥深き大正寺での護摩供養かな  

 古代より会津の人が手を合わせ鬼門扼せし大正寺かな

 廃れたる会津の心蘇える大正寺では声もはばかる  

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冷酷無情こそがテロリストのテロリストたるゆえんだ!

2011年07月24日 | 思想家

 ノルウェーで起きた連続テロ事件は、あまりにも凄惨であるだけに、常軌を逸した狂人の犯行と決め付ける見方があるが、私はそうは思わない。橋川文三が「一般に人間のエネルギーが最高度に発揮されるのは政治的闘争においてである。つまり、カール・シュミットのいう意味で、存在そのものの抹殺を究極の目的とする政治的敵対ー戦争において、人間はまさに生死を賭した力をあらわす」(「テロリズム信仰の精神史」)とみたのは正しい。今回の犯人も、できるだけ多くの敵を抹殺するために、犯行に及んだのであり、明確な政治的主張の持主だったために、あれだけのことをしでかしたのだ。首都オスロの政府庁舎前で爆弾を破裂させたり、与党労働党の青年部集会を襲撃するにあたっても、あらかじめ入念に準備をしており、衝動的な無差別殺人ではない。平和惚けをしている日本人には理解できないだろうが、それこそが政治なのである。ここ半世紀ほどの日本人は、たまたまそうした場面に遭遇しなかっただけだ。今でもイラクやアフガニスタンでは、爆弾テロが横行している。日常的に「政治的敵対ー戦争」状態なのである。いくら私たちが道徳論を振り回しても、テロリストが歯牙にも掛けないのは、それなりの深い理由があるのだ。  

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背筋が凍りつくノルウェーでのテロは福祉国家への怨念?

2011年07月23日 | 思想家

 北欧型の社会福祉国家が抱える苦悩が、今回のノルウェーでのテロによって明らかになったのではないか。犯人像については、まだ推測の域を出ないが、キリスト教原理主義者であるともいわれる。無差別なテロは断じて許されないが、その引き金となった背景についても、私たちは目を向けるべきだろう。ノルウェーでは、外国人であっても、3年間居住していれば、地方選挙における投票権と被選挙権が与えられる。1979年からそうなったのであり、それだけ国家解体が進んでいる。また、重要な産業は国営企業が担っており、社会主義的な色彩が強い。その典型的な例が石油部門である。さらに、農業や小売業でも、生産協同組合や消費者協同組合がほとんどを独占している。創意工夫による自由な競争が行われず、社会的平等が錦の御旗になっているのだ。しかし、それが人間に幸福をもたらすかというと、大いに議論があるところだ。1970年4月の日本文化会議主催の「日本は国家か」のシンポジウムで、三島由紀夫が福祉国家への疑問を呈したのに対して、武藤光朗は「福祉国家がもつ麻酔作用に反抗するような実存の根を培い眼ざましてゆくことが大切だ」(『限界状況としての日本』)と語ったことがあったが、ぬるま湯に異を唱えるテロリストの出現は、予想されたとはいえ、福祉国家の負の面として、背筋が凍りついてならない。

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