中曽根康弘元首相が去る29日に亡くなったが、政治家としての評価となると功罪相半ばするのではないだろうか。国鉄を民営化したことで、親方日の丸で赤字を垂れ流していた体質を抜本から改革した功績は大きい。「日本は浮沈空母である」と述べることで、日米の同盟関係を強化したことも賞賛に値する。しかし、その一方で中共との関係では、改憲論者であるわりには弱腰であった▼首相による靖国参拝が難しくなったのは、中曽根元首相のせいである。参拝を断念すれば中国共産党内の改革派であった胡耀邦党総書記の失脚を阻止できると思った、と弁解しているが、まんまと中共の術中にはまったのであり、それが前例となって首相の参拝が難しくなったのである。口では憲法改正を主張し、「戦後政治の総決算」を掲げたくせに、昭和61年にとんでもない失態を演じてしまったのである▼権力者が権力者であり続けるためには、プラグマティストに徹するしかなかったとの弁護論もあるが、田中派への配慮があったことは否定できないだろう。親中派の派閥が支持してくれなければ、長期政権は困難であったからだ。その負の遺産をどのようにして解消するかは、今の保守政治家の課題である。中曽根元首相の志を継いで「戦後レジームからの脱却」をスローガンにした安倍首相も、ここにきて勢いがなくなった。憲法改正はかけ声倒れに終わりそうである。外国の媚びるのではなく、日本派の政治家が現れなければ、日本は壊れていくしかないのである。
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