日本のサヨクは1956年のスターリン批判や、さらに1989年のベルリンの壁崩壊から何も学んだのだろう。それを痛切に感じていたからこそ、柄谷行人は1993年の段階で白旗を掲げたのではないか。柄谷はマルクスの『共産主義者宣言』(金塚貞文訳)に掲載された「刊行に寄せて」のなかで、マルクスの理論の脱構築を試みた▼その本の題名が「共産党宣言」でないことからも分かるように、レーニン的な前衛党を否定するとともに、共産主義体制なるものを、マルクスが明らかにしなかった点を力説したのだ。「本書に共産主義のプログラムを読むことは、根本的にまちがっている。マルクスは、歴史を動かしているような理念を否定した。彼が見ようとしたのは、いわば物自体としての歴史であり、それは資本主義によってたえず予想をこえて変形されている」▼そもそも仰々しい理念などは仮象でしかないというのだ。しかし、目指すべき理念は仮象にとどまるとしても、「(資本主義の)たえず変容する所与の前提のなかで、それがもたらす諸矛盾を止楊しようとする闘争が各所であるならば、そこに『共産主義者』がいるだろう」と居直ったのだった。現実の世界ではそんな自己弁護が通用するわけもなく、今のような退廃的な無節操、無方針を生むにいたったのである。
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