草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

カジノ法案の賛否以前にパチンコを禁止すべきだ!

2016年12月02日 | 世相

IR整備法案というからややっこしいのである。カジノ法案の名称でいい。すぐに横文字を使いたがるのは、やましいところがあるからだろう。解せないのは民進党の動きである。党内をまとめきれないくせに、それでいて審議拒否をして騒いでいる。博打そのものに縁がない身としては、断固反対する政党があってもいいと思うが、そうならパチンコも問題にすべきだ▼外国人や金持ちが楽しみで博打をやるのがカジノだとすれば、貧乏人の庶民から金を巻き上げるのがパチンコなのである。飲みに行く金もないので、小遣い稼ぎにパチンコをやって、儲かるどころか、文無しになってしまうのである。金とパチンコの玉を交換した段階ですでに損をしているわけだから、金をドブに捨てているようなものだ▼一時は「庶民の娯楽」とかいわれたが、デジタル化して大負けするようになると、パチンコ離れが進んできた。パチンコ人口は3千万人から1千万人、売り上げも年間30兆円から18兆円に減少している。それでも日本中にパチンコ依存症はたくさんいる。北朝鮮に金を送っているのではないか、との疑惑も付きまとう。賭けマージャンをやっても、法律的には裁かれるのである。東京ばかりではなく、どこの地方都市に行っても、一番明るくて目立つのはパチンコ屋である。カジノ法案を云々する間に、まずはパチンコを禁止すべきだろう。

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「言葉をあやつる」知識人はいつの世も支配者の側に立ってきた!

2016年12月02日 | 思想家

知識人と評される者たちがなぜ嫌われるのだろう。ネット時代に突入して、なおさらその傾向が一層強まっている。知識人を支配者と位置づけ、それ以外の額に汗して働く者たちを搾取してきた、と断じたのはシモーヌ・ヴェイユであった▼「事物をあやつる人びとより言葉をあやつる人びとが優位を占めるという状況は、人間の歴史のあらゆる段階にみいだされる。付言すべきは、総体として、祭司または知識人といった言葉の組み合わせや組み立てにたずさわる人間が、つねに支配者の側、つまり生産者に対立する搾取者の側に立ってきたことである」(『ヴェイユの言葉』冨原眞弓編訳)▼現在の日本における所得格差もそれとは無関係ではない。朝から晩まで必死に働いても、年収300万前後の者たちが多いのに、一方ではNHKの職員や朝日新聞の社員、大学教授のような高給取りがいる。その違いは「事物をあやつるか言葉をあやつるか」なのである。ミッシェル・フーコーは「言葉は暴力」とまで言い切ったが、それに対して疑問を感じ、反抗する人たちが登場したとしても、誰が批判することができるだろう▼知識人の多くは、そのことには一切口をつぐんでいる。彼らが人権にこだわり、抑圧された側に立つことを口にするのは、自己弁護の方便としてなのである。知識人があやつる言葉は絶対なのだろうか。シモーヌ・ヴェイユが述べているように、私たち人間にとっては避けて通れない深刻な問題なのである。

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