日本の政治家が堕落してしまったのは、座禅をしないからではないか。身体だけでなく、「心の鍛錬」を怠っているからではないか。嘘吐きと批判されている蓮舫ごときに政治家が振り回されているのは、選挙の勝敗しか頭にないからである。大義がなければ虚しさしかないのを、どうして気付かないのだろう▼京都学派の西谷啓治は『宗教と非宗教との間』のなかに収録された「禅の現代的意義」において、人間が立脚すべき価値について論じている。「一個の小さい人間である自分の信念が、実は大きな、世界全体を包むような、そういう立場から根拠づけられという自覚、そういう信念、それが本当の自覚だし信念です。宗教はそういう問題だといえます。それは、ちょうど木の根に当たるようなところの事柄で、木の根はやはり宙に浮いてはいけない」▼政治家は根無し草であってはならない。「自分を超えたもっと根本的なところ、場合によってもっと高いところから方向づけられている」と感じることができなければ、危機に対応するのは難しい。勝手気ままに生きるのではなく、自分が生かされて生きているという境地が大事であり、それが西谷のいう「立命」なのである。今の政治家に求められるのは「心の鍛錬」ではないだろうか。打算や党利党略が最優先するような政治は、国民を不幸にするだけである。
←応援のクリックをお願いいたします。