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草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

連合と共産党との股裂きになって迷走する民進党を嗤う!

2016年10月10日 | 政局

今後の日本の政治を占う上で重要な意味を持つのが新潟知事選挙である。16日投開票で自民、公明が推薦する前長岡市長の森民雄が逃げ切るか、それとも共産、社民、生活の推薦を受けた医師の米山隆一が最終盤で逆転するかどうかで注目されている。今回の選挙では支持母体の連合が森の支援に回っていることもあって、民進党は自主投票になった。組合レベルでは共産党アレルギーは根強いものがある。勝つためには手段を選ばない蓮舫のような手法は、連合にとっても迷惑な話なのである▼それでも米山は民進党支持者の7割を固めている。まさしく分裂状態なのである。民進党をあてにしていた米山は、梯子を外されたのである。蓮舫がいかに威勢のいいことを口にしても、連合なくしてはやってはいけない。国政選挙では民進党の候補を勝手に共産党が応援するだけだ、と居直るつもりだろうが、それで本当に連合を納得させることができるのだろうか。連合はその成り立ちからして、共産党系の全労連とは対立してきた歴史がある。とくに、金属労協や電力労連は共産党とは犬猿の仲なのである▼連合傘下のほとんどの組合は共産党との共闘を望んではいない。それが今回の新潟知事選挙で顕在化した。政治的な力量がまったくない蓮舫に代わって、幹事長の野田佳彦が采配を振るっているのだろうが、迷走をするだけではないだろうか。こうなればなおさら、どっち付かずの民進党は解散するしかない。期待する方が間違っているのである。

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天皇陛下は日本人にとって「無」の象徴でなければならない!

2016年10月10日 | 思想家

一時的にはマスコミの論調に踊らされたとしても、それは日本人の本心ではなかった。永く受け継がれてきた皇室への思いは変わらないのである。読売新聞が去る七日から九日にかけて行ったアンケート調査によれば、天皇陛下の「生前退位」を「急ぐべきだ」が48%で、「慎重に検討すべきだ」が45%であった▼日本人は冷静さを取り戻しつつある。皇室への政治的な介入を招きかねない「生前退位」について、強引に決定してはならない。結果的に「無」の象徴としての天皇陛下を否定することになりかねないからだ▼西田幾多郎は『日本文化の問題』で国体や皇室の意義について書いている。「私は日本文化の特色と云ふのは、主體から環境へと云ふ方向に於て、何處までも自分自身を否定して物となる、物となって見、物となって行ふと云ふにあるのではないかと思ふ。己を空うして物を見る、自己が物の中に没する、無心とか自然法爾とか云ふことが、我々日本人の強い憧憬の境地であると思ふ。禮之用和爲尊と云ふことすらも、尚日本精神の眞髄に徹するものとは考へられない。日本精神の眞髄は、物に於て、事に於て一になると云ふことでなければならない。元來そこには我も人もなかつた所に於て一にになると云ふことである。それが矛盾的自己同一としての皇室中心と云ふことであらう」▼天皇陛下が「無」であるというのは、自らを語らず何事にも自己主張なされないからである。自ずと結論は導き出されるのではないだろうか。

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