草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

偏向マスコミではなく啓蒙的な知識層が積極的に発言すべきだ!

2016年02月14日 | マスコミ評

日本のジャーナリストがダメなのは、大声を張り上げる絶叫型であるからだ。それでは単なるアジテーターである。佐伯啓思は『現代民主主義の病理』において、リップマンが述べていた「現代デモクラシーの成立条件は、まさに、誰も知らない『世界』を、切り取り、簡略化し、討論可能なような形に変容する専門家たち、つまりジャーナリスト(それにさまざまな学者、評論家たち)にかかっている」との言葉を紹介していた▼それと同時に、実際は困難であることにも佐伯は触れていた。「しかし、まさにそこでわれわれは困難に直面するのである。なぜなら、これもやはりリップマンが述べたように、学者、ジャーナリストに限らず、われわれの認識は、決して中立的でなどありえず、結局、われわれは、常に自分が見たいように世界を見、あるいはそうでなくても、大衆が望むように世界を見、切り取るものだからである」からだ。それでは開かれた情報空間とはいえない。団塊の世代に特徴なのは、自分たちが受けた教育に異議を差し挟む勇気がないことだ。それ以外は知らないのである▼情報や事実はマスコミが仲立ちをしていることを忘れるべきではないだろう。常に歪曲され加工される危険性がある。佐伯も指摘しているように、新たな啓蒙的知識層を育てなくてはならない。アカデミックな知識層はジャーナリズムを軽蔑しているが。それでは国民のためにはならない。最近のテレビのコメンテーターの劣化は目に余る。まともな知識人が意見を開陳すべきだろう。冷静な意見が多くなれば、一時的な感情で政治は動かなくなるからだ。

 

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