草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

核保有の北朝鮮のミサイル実験を甘くみるべきではない!

2016年02月06日 | 安全保障

何が大事かがわからないのが日本のマスコミである。北朝鮮のミサイルは日本の安全保障にとって重大な脅威である。テレビをつけると甘利、清原の話題ばかり。国民の話題はそっちの方に向いてしまっている。清原容疑者の逮捕について、甘利前経済再生相の金銭授受の目くらましであるかのような意見があるが、それよりは北朝鮮のミサイルについて、ほとんど報道しないことを批判すべきだろう▼アメリカが神経をとがらせているのは、大陸間弾道弾を開発する可能性があるからだろう。もしそれが成功すれば、アメリカも安閑としてはいられないし、今の北朝鮮であれば、「イスラム国」などのテロリストに小型化した核兵器やミサイルを渡すことも考えられる。アメリカは武力を用いても阻止したいのではないだろうか。アメリカと中共との関係がぐきしゃくしているのも、北朝鮮を影で操っている中共への不信感があるだろう。平和ボケしたマスコミは、たわいもないことに時間を割いている。北朝鮮による日本人拉致を伝えなかったように、今回もまた気兼ねをしているのである▼自衛隊はイージス艦などを展開し、最悪の事態に備えている。芸能人の犯罪や政治かの汚職よりも、国民の生命が危険にさらされる方が大問題なのである。側近を次々と処刑しているのが金正恩である。いかに母親が在日朝鮮人であったとしても、日本に対して武力攻撃を仕掛けないという保証はない。安倍政権は万全の備えをすべきだろう。北朝鮮の脅威を認めない勢力は憲法9条を絶対視しているが、どうして現実を直視できないのだろう。北朝鮮のノドン、テポドンなどのミサイルは今日にでも日本を攻撃できるわけだから。

  

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日本人が英語人としてふるまうことの問題点を指摘した田中克彦!

2016年02月06日 | 思想家

英語を使いこなせるかどうかで、その人間の価値が決まるのだろうか。英語を母国語としない日本人は最初からハンディがある。英語よりもまず大切なのは日本人が日本語をマスターすることではないだろうか。英語を話したり書いたりできても、思考する言語は一つしかないのであり、それをマスターしなければ、英語を学ぶことがかえって宙ぶらりんな日本人をつくることになるからだ▼田中克彦の『言語学とは何か』の岩波新書は衝撃的な書である。「思考とは言語の問題である」のウォーフの見方を紹介しながら、田中は「このウォーフの言いかたにしたがえば、英語とははなはだしく構造の異なる言語を母体とする人が、英語人としてふるまうということは、つきつめて言えばその本性をかくして、あるいはその本性を一時的にせよ棚上げして英語人としてふるまう、ウソと言わずとも仮の姿だということになる。真実の探求が、本心をかくした、仮のつき合いや、単なる演技であってはならないということは言うまでもない。じつは、ここのところが、今日あらゆる知的な活動の根本に横たわっている大きな問題である」と書いた▼ウォーフの「印欧族の中の少数の最近の方言とそれらのパターンから練り上げられた理論的思考の技術が人間精神の発展の頂点に立つものであるとか、またそれらが広く使われるということが適者生存の結果を示すといった考え方は、もはやわれわれの採らないところとなろう」(『言語・思考・現実』池上嘉彦訳)との主張と一致する。英語による世界の普遍化は、その一方では固有文化のアイデンティティの喪失を伴うのだ。英語を日本語以上に重視するのは、ある意味では英語帝国主義への屈服なのである。

  

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