朝日新聞などは赤塚富士夫の漫画が使われている憲法の本まで持ち出して、お花畑の維持に必死になっている。そこまで頑固だと手の施しがない重病である。江藤淳がすごかったのは、昭和44年の段階で、平成の世の日本を予言していたことだ。宮沢喜一との対談「その次にくるもの」のなかで、日本は昭和20年8月15日の敗戦から「反鎖国状態に入っている」と指摘。そこで江藤は「ミズリー号が第二の黒船だとしても、ペリーの黒船とちがうところは、攻めて来たとたんにこちらを守りだしたということだと思います。アメリカの武力に守られている以上は、日本人は完全に国際的になりえないと少なくとも思っているわけですよね。アメリカの安全保障上の助力というものが全くなくなって世間の冷たい雨風にさらされてしまえば、私は突然わかるかもしれないと思うんです」と語った。そして、変化が顕在化する一つの目安して昭和50年頃を想定した。昭和50年頃を境にして、日本の自主防衛の声が高まってきた。そして、平成18年の北朝鮮による核実験、さらには、尖閣諸島をめぐって、中共が領有権を主張し出したのは昭和45年頃からである。それが一時的に棚上げされたこともあったが、ここにきて中共は軍事力で奪い取ろうとしている。「世間の冷たい雨風」にさらされる事態になって、日本人はようやく目覚めたのである。アメリカとの関係においても、一体ではなく隙間風があるというのも。国を守る気概を持てば、国際社会もそれなりに遇してくれるのであり、いよいよ日本人に決断のときが迫っているのである。
↑
応援のクリックをお願いします
↑
応援のクリックをお願いします